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気という生命エネルギー

ふつうカラダに対する刺激は

受ける回数を重ねるにつれて

カラダは刺激に対して慣れてきて

刺激を強くしていかないと効かなくなってくる。

ところが愉気は

カラダに気を通されれば通される程に敏感になって

より感応するようになっていく。


そもそも命の営みは

無意識運動が運営しているわけだけど

その原動力は「気」というエネルギー。


へっ?

って思った人は

今までの人生の中で一度も自分を運営してくれているエネルギーに目を向けてこなかった人。

「気」って、

あまりに当たり前で

身近なエネルギーであるがゆえに

気づかないで死んでいくひとがほとんど。


けれども「気」は見ることもできるし

感じることだって出来る。


人間のカラダは物じゃない。

そもそも1つの細胞からすべてが生み出された有機体。


だから様々な部位が連動している。

愉気を受けたり、活元運動をしているひとは

受けるたび、運動を行うたびにカラダが敏感になっていく。

だから頭に愉気をうけていて

骨盤が動くのが感じられたり

全然別の部位に痛みを感じたり

動き出すのを感じられたりする。


ところが感受性が鈍っていると

愉気を行っているぼくの手が痛みを感じるのに

その異常を抱えている本人は何も感じないなんてこともある。

そういう部位は当然気が通らない。


不思議なことに

特定の足指だけに水虫が出来ている場合などは

たいてい気が通らない指だったりする。


感じなかった鈍い処も

気が通ってくるようになると

異常感を感じられるように変化していく。


気って、注意と言い換えてもいい。

感じられるから

その場所に気が集まってくる。


愉気をしていて

気に感応してくると

自然と活元運動が現れて動き出されることがある。


ある日の整体指導において、

もう終えようと

最後の愉気をしていたら突然活元運動が出てきて

動き出し始められた。


ちょうど大変な状況にいらっしゃる人で

活元運動が出なくなっていた時だったので

よくやく動き出せたのなら

いっぱい動いた方がいい。

そのまま活元運動が落ち着くまで愉気を続けた。


愉気を受けていくと

カラダを感じられるようになって

カラダの内側で動く「何か」も感じられるようになる。

そのなんだか分からないような「何か」こそが

「気」なんだよね。


生まれた時から見知っている自分のカラダ

そんな身近なカラダに未開拓の感覚が存在している。

むかしは心技体ではなく

心気体と言われていた。

技ってカラダに備わっているから

体=技なんだよね。

気の感覚が失わてから心技体になってしまった。


もともとの心気体って言葉が現わしているように

「気」は心と体と同レベルで大切な要素。

無意識運動を動かしているエネルギーなのだから。

そんな大切な感覚を失っていたことに我ながら驚いてしまう。







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