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最終奥義「感じない」を使わせないで。

カラダには知覚神経の密度が濃い場所と薄い場所がある。

押さえると痛くないのが正常の場所もあれば

押さえると痛く感じるのが正常の場所もある。


眼精疲労が酷くなると耳の外縁が硬くなる。

ここを強く押さえて引っ張ってあげると眼精疲労解消に有効なんだけど。

自分でやると手加減してしまう程ものすごく痛い。


先日、仕事優先の生き方をされている人で

耳の外縁が触れたことのないレベルで硬い人がいた。

うわぁ~こんな硬い耳を押さえたら

本人はさぞかし痛いだろうなあと思いながら押さえてみたんだけど

まったく ノーリアクション


えっ!?

痛くないですか?と尋ねてみると

まったく痛くありませんと返ってきた。


完全に知覚が麻痺している耳だった。

感じないってことは変化が起こらないってこと。


押さえているぼくが怖くなるほどまったく感じていなかった。

前代未聞レベルの不感症。

30年間、仕事でPCを見つめ続けていた方でもいなかったレベル。

どんな扱いを受けたら

耳の硬張りが象徴している「感じない」カラダが出来上がってしまうのだろう。


初めて眼精疲労にさらされたときには

いわゆる目の疲れだけじゃなくって

肩の凝りや、頭痛、腕の疲れなど

だいぶん疲れたよって、カラダはメッセージを発してくれる。

疲れたから、休みたいというメッセージ。


ところが疲労によって生じた硬張りが一向に解消されないと

違和感や、異常感はますます強くなっていく。

そのころには硬張りは全身に波及してしまう。

いま従事している作業や仕事を離れたい

逃げて、環境、居場所を変えようというメッセージに変わっていく。


疲れたよ

休ませてよ

逃げたいよ

っていうメッセージすらも聞き届けてもらえないときに

初めてカラダは最終奥義「感じない」を出してくる。

それは、そうしなけば生きていけない過酷な環境だから。


見たこともないほどに硬張っていた耳は

いかに今まで持ち主に虐げられて扱われてきたかを物語っていた。

疲れたよ

休ませてよ

逃げたいよ

これらの声を無視するって、もはや人間として扱ってないじゃん。

奴隷扱いじゃん。


同様にカラダから湧き起こるはずの要求すら感じないのは

実は深刻な在り方なんだよね。

やりたいことが分からない。

好きなことが分からない。

背景には「感じない」カラダがある。


こころの防御機能でも

ショックだった出来事や事故のことを忘れていましたとか。

親からの虐待を受けている自分は

自分じゃないって認知しようとして多重人格を生み出すこともある。

「感じない」というのはこころにとっても最後の手段。


だからこころやカラダに最終奥義「感じない」を使わせてはいけない。

発してくれている違和感や異常感というメッセージに丁寧に耳を傾けて

扱い方を見直してあげたり

職場環境などの居場所を見直してあげなきゃ。

それこそが自分の「いのち」を大切に扱うことに繋がっていきます。



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