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今日を愛した記録を重ねていく

今日は、最近気がついたことをシェアしたいと思うのですが、
皆さんの中に、日記を書いたことがある、あるいは、今も日記を書いている、という方はいらっしゃるでしょうか?

noteが日記代わり、という方もいらっしゃるかもしれませんね。

私はというと、今年で、日記を書き始めて10年目になります。

日記を書いているという話をすると、「そんなに続けられてすごいね」「コツコツ続けるのが得意なんだね」と言われることが多いのですが、去年の終わりごろから、日記を書く気が起きない日がたびたびあり、全く書かない日すら出てくるようになっていたのです。

何だかいい気分ではありませんが、日記を書くことは、義務ではありません。誰かに強制されていませんし、続けたからといって表彰されるわけでもありません。

やめてもいいのです。

でも、やめたくないという気持ちが確かに自分の中にあり、そのくせ書きたくもならないので、モヤモヤした気持ちを抱えながら生活していました。

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日記も書く気にならないし、そもそも自分の生活自体からも活力が失われているように感じる……。

そんな負のループの中にいた私ですが、先日、とても幸せなことがありました。

幸せなことといっても、人によっては、「まぁ、普通じゃない?」と捉えることもできてしまうかもしれないようなことです。

というのも、正確には、1日の中で、小さな嬉しい出来事が沢山重なったという感じだったからです。

しかも、1つの出来事に対して、「こう考えたら、あの時間って奇跡だったかも」と自分からポジティブに捉えたからこそ感じられた幸せであって、何も思わずに通り過ぎてしまいそうなことでもありました。

でも、私は本当に幸せを感じて、
1日が終わる頃には、自分が今日まで生きてこられたこと、その日出会った人(すれ違ったレベルの人も含めて)全員が、今日という日を生きていることに何か特別なものを感じられるまでになったのです。

その日の夜、本当に久しぶりに、日記を書きたいという気持ちがわきあがってきました。

どうしても、この幸せな1日のことを忘れたくなかったのです。

そして、「あんないいこともあった」「こんないいこともあった」「何も書き逃したくないな」と思いながら日記を書いていた時、ふと、ここ最近日記を書く気になれなかった理由が分かった気がしました。

日記を書きたいと思うかどうか。

それは、いかに今日を愛せたかが問題なのだと思いました。

いかに特別なことが起きたか、ではありません。

確かに、誰かと出かけたり、何かをお祝いしてもらったり、豪華な食事をしたり、そういう特別な日のことは、誰だって忘れたくないでしょう。

でも、そういう出来事だって、捉え方によっては、大したことのない、当たり前の出来事にしてしまうことだってできるのです。

例えば、約束をしたんだから当然、それだけいいことが起こったんだから当然、相応のお金を払ったんだから当然、という風に。

逆に、自分と出かけるために、いつもよりちょっとおしゃれしてくれている友達の気持ちに気がついたり、自分の見えないところで自分を喜ばせようと準備してくれていた家族や友達の姿を想像したり、豪華な食事をサーブしてくれた人の後ろにいる、その料理を作ってくれた人や、野菜を作ってくれた人や、動物や動物を育ててくれた人、食器を作ってくれた人など、沢山の人たちの存在を感じたりすることで、その出来事をさらに特別なものとして捉えることができるのです。

そして、日常の、当たり前のような出来事も、その裏での誰かの頑張りを想像したり、周りの人のちょっとした優しさに気づいたりすることで、どこか色あせてみえていた景色も、変わって見えてくると思うのです。

最近の私に欠けていたのは、出来事に対する想像力と、そこに特別な何かを感じる力だったのだと思います。

そしてそれが、日記を書くという行為へのモチベーションを下げていたのだと思います。

なぜなら、今の自分の経験や体験がどんなに奇跡的なものなのか分かっていなければ、その日の特別さに気づけないからです。その日が特別だということを知らなければ、今日という日の出来事をわざわざ日記に書きたいとは思わないでしょう。

日記を書きたいと思うのは、その日をきちんと愛せたからだと思うのです。

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今日も、明日も、明後日も、私は日記を書くだろうと思います。

でも、この経験を通して、私の日記を書く意味は少し変わったように思います。

それは単なるルーティンでも、特別なことがあった日にだけ書きたくなるものでもありません。

日常に潜む幸せや奇跡に自分から気づいていって
今日という日を全力で愛して
そのことを記録していきたい思います。

どんなに幸せな1日の思い出も、いつかは記憶の海の底に沈んでいってしまいます。でも、日記に記せば、後でそれを読み返すことができます。

特別なことが何もなかった日の、ほんの小さな幸せは、探そうとしなければ見つけられませんし、見つけたとしても、来年になっても覚えておくというのは不可能でしょう。

でも、それを日記に記すことで、後から思い出すことができます。

そんな毎日を積み重ねていこうとしさえすれば、日記帳が、今日という特別な1日を愛した記憶であふれていくと思うのです。

今日を愛した記録を重ねられるように生きて、
日記に残していきたい。

10年目にして、日記への気持ちを新たにすることができた、最近の気づきです。



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