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【勉強エッセイ】アテネ

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参考教材は「一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書」です。

アテネ

 

 民衆が国の意思を決定するという「民主主義」の原点が生まれる。

数あるポリスの中で中心的だったイオニア人のポリス、アテネにおいて、市民全体で意思決定を行う直接民主政という政治体制がとられるようになった。

 参政権を求めたきっかけは、アテネの商工業が発展して、一般市民が経済力を高めるようになり、自らが武器を購入し、戦争に参加する市民が登場したことだった。国のために戦っているのに、貴族ばかりが政治を独占していてズルいと考えるようになり、参政権を求めて貴族に身分闘争を挑むようになった。

 僕はなんだか、小学生が公園で遊んでいる姿が頭に浮かんだ。ジャイアンみたいな子が、オリジナルな遊びを提案し、オリジナルルールを説明している。そのルールは圧倒的に体の大きなジャイアンが有利なルール。当然他の子供たちは反発した。ジャイアンばっかりずるいよ!!ルールはみんなで考えよう!そう言い出す。

 民主主義など大袈裟な名前が付いているが、僕たちの中には、平等を求める心が備わっているのだと思う。

 アテネの民主政の基盤は段階的につくられた。

まず、ドラコンという人物が誰でも読める文章で記された法をつくり、貴族による法の独占を防いだ。

 次にソロンという人物が、納税額に応じて4つに市民を分け、段階的に参政権を与えるという財産政治を開始した。財産さえ持てば、参政権が与えられるという点において、参政権自体は大幅に拡大した。

 そしてペイシストラトスが武力でアクロポリスを占拠し、一時アテネの実権を握った。独裁者(僭主)の前では貴族も市民もなかった。

 指導者クレイステネスはそんな抑圧的な僭主の登場を防ぐために、陶片追放の制度を始めた。陶器のかけらに僭主になりそうな人を書き、得票数の多いものをアテネから10年間追放するという制度だった。また、血縁ごとの部族制をやめ、住んでいる土地ごとに民衆のグループを区別した。

 将軍ペリクレスの時代になると、成年男子市民が民会を開き、多数決で国家の政策を決定し、役人も抽選で決めた。

 こうしてアテネの民主政は完成形を迎えた。

古代ギリシア、アテネの時代から、民衆たちは独裁者に立ち向かっていた。今もなお、世界の色んなところで、独裁政治は行われている。そして誰もが想像できるように民主主義の声は立ち上がるのだろう。それを抑圧しているのはやはり恐怖なのだろうか。

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