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永遠は一瞬に宿る ここ3日間のこと

ひとりぼっちのカラオケボックス。銀杏BOYZの銀河鉄道の夜、夢で逢えたら、BABY BABYを全力で歌う。豪雨の雨音も聞こえやしない。そうか、全部主人公は孤独なジョバンニで、大好きなカムパネルラに重ねた誰かを思っているんだ。ずっと一緒にいようね。そんな永遠を求めてるんだ。
みんなが気付いていたことなのかもしれない。けれども自分が気付けたことに意味があって、真理は本当は違うのかもしれない。それでも僕は嬉しくてエンジェルベイビーを入れた。
ハローマイフレンド、君と僕なら永遠に無敵さ。

銀杏BOYZのせいで、宮沢賢治の銀河鉄道の夜を読んだ。本当の幸いが今でも分からない。だから舞台「たぶんこれ銀河鉄道の夜」を観に行った。それでも本当の幸いは分からなかった。でも間違いなく、ジョバンニにとってカムパネルラがどれほど大きな存在だったかということは、舞台を観る前と観た後では違った気がした。そしてそれこそが重要に思えた。

昨日、江口寿史の「東京彼女展」に行った。これもまた銀杏BOYZのせいだ。過去にCDジャケットのイラストを手がけた江口寿史。彼の描く「彼女」たちはどれも圧倒的に可愛かった。色んな女性を描いていて、タイプが異なるのに、全ての女性が魅力的に見えた。これはもしかしたら勝手に「彼女」というフィルターをかけていたからなのかもしれない。というより、江口寿史の描いたイラストからは好きな人を見ているまなざしになれたのだ。圧倒的に可愛いときっと思えるんだそう思ったら彼女が欲しくなってしまった。僕はグッズをたくさん買って、ひとりでに雨のビル群を後にした。

今日、又吉直樹のエッセイ集、「月と散文」を買った。又吉直樹は僕が崇拝している人間の1人だ。彼の言葉はなぜか信用ができた。どんな自己啓発本の1行より彼の言葉が欲しかった。僕の火花という名前は彼の小説からきている。それから線香花火が好きだったから、それから連想できた火花をつけた。
線香花火が綺麗に見えるのは、すぐに落ちて消えてしまうからなのだと思っていた。それなら永遠に綺麗だと思えるものはこの世にないのだろうか。
後になって気付いてしまったが、又吉直樹がピースを組む前のコンビ名は線香花火だった。彼は「完成して強い光を放つものは、たとえ終わりを迎えたとしても、その一瞬の強い瞬きに永遠が宿るんじゃないか」という考えに至っていた。そこから線香花火という名前をつけたのだ。僕は間違っていた。刹那的なものが綺麗なのではない。刹那的な光の中に永遠があったのだ。

僕も、銀杏BOYZも、又吉直樹も永遠を追い求めている。一瞬に宿る永遠を。

最近、フィルムカメラを買った。目に見える「今」という瞬きを永遠に保存したかったからだ。他のカメラだってそういわれれば、そうなのだが、フィルムカメラはその刹那性から一層「今」を強く感じられた。もはやそれは写真に意味をなすのではなく、カメラを持つことで、この瞬きというものが大切な永遠だということを認識させるのに役立った。

銀杏BOYZ、銀河鉄道の夜、江口寿史、又吉直樹、線香花火、フィルムカメラ。好きなものが自分の中でぐるぐると回って、輪をつくる。

僕は多幸感の渦の中にいた。

本当の幸いは、ジョバンニには、カムパネルラは、、、

僕はまだ銀河鉄道の中にいる。いや最初からずっと銀河鉄道に乗っているのかもしれない。

その先が死でも、永遠に生きてられる。一瞬でも輝くことができるならば。

その一瞬のために僕は今文章を書いた。

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