見出し画像

参加サークル:Spirits-grassfield

文学イベント東京 参加サークル 「Spirits-grassfield」の紹介ページです。


■ 「最後の灯台守」

 一族代々、灯台守をしていた。あの灯台の最後の灯台守は、僕だ。あの灯台には、まだ姉さんがいる。姉さんはひとりであそこにいる。僕は、ずっと姉さんを探している。姉さんを見つけて初めて、この一族の灯台守の仕事が本当に 終わる。
 令和の七月は暑かった。木漏れ日でも、灼熱の熱気は容赦ない。
 獣道を通りながら、僕はかつて自分が暮らした灯台に向かう。手に持つ花束 が、暑さでしおれかけていた。
 ――かつてのあの日も、このくらいは暑かったのかもしれない。
 明治、大正、昭和、平成すらも経た灯台。
 姉さんは今もまだ、あの灯台にいる。

 ころころと変わりやすい海の天候に、昔はのろしやらかがり火やらを使って、海上の船 の標となっていた。それがひいひいじいさんのころ、明治で文明開化の音がして、外国からわんさか御用学者がやってきて、日本にいくつか灯台を作っていった。それを日本の頭 のいい人たちが研究して、日本に灯台を増やした。電気という最新の文明の利器で、かがり火とは比べ物にならないほど遠くまで照らしてくれる灯台は、船乗りにとても歓迎された。近代の灯台は近代建築の技術の粋を集めた造りをしていて、見栄えも立派だった。あ まりの評判で、明治の天皇陛下も見にきたらしい。
 真っ白な灯台の初代灯台守は、僕のひいじいさんだ。元々海岸でのろしを焚く役目をし ていたので、その流れで灯台守をすることになったのだ。灯台は、岸壁や海風の強い場 所、人の暮らさない場所に建てられる。家族で灯台に住み、灯台のそばで畑を耕し、海風 に負けながらも農作物を育てて、時々村に米を買いに行き、水は雨水を沸かしたりするな ど、生活は決して豊かだったとはいえない。高価なものは、昭和の皇太后陛下がくれたラ ジオだったと、今は死んだじいさんが言っていた。
 ずっと灯台で暮らしてきた家族の中で、大正時代の終わりごろに、僕と姉さんは生まれ た。数回来てくれた医者が、おふくろの腹を見るなり「双子がいる」と言うものだから、 親父は十月十日になる前に産婆を灯台に招いてもてなして、やっとのことで姉さんと僕は生まれた。

 灯台の光が絶えないように、夜は親父が灯台を見ている。朝、母さんが作った朝食を食 べ、姉さんと僕は畑仕事をする。塩害に遭いにくいように作物を作るのは大変だった。コ ツはじいさんとばあさんが教えてくれたが、年端も行かないころにやることなすことは失 敗ばかりで、怒られることが多かった。怒られるのも仕方がなかった。そうしないと、僕 ら家族は食べていくことができないからだ。小さい時はいろいろな苦労をしたけれど、姉 さんと一緒にやれば、難しい作業も楽しかった。
 姉さんはとてもきれいだった。髪が長いのに、潮風でごわつかない。元々色白だから、 夏は肌が焼けて小麦色になった。冬になると白い肌に戻る。おっとりとしてもの静かな姉 さんが、おいしいごはんを食べて笑う顔。目を細めて、少し口角を上げるだけでえくぼが できる。笑う時にわずかに首を傾けると、黒髪がさらりと肩にかかる。僕はといえば、双子とは思えないほどに姉さんとは違った。髪はくせ毛だし、海風で肌が荒れやすかった。 じいさんとばあさんは、僕は母さんに、姉さんは父に似たとよく言っていた。実際そうだ った。ごくたまに友達が僕たちの住む灯台に遊びに来ると、目を丸くして「そっくり だ!」というほどだったから、そうだったのだろう。
 天気の良い、海の時化ていない日に、姉さんと僕は尋常小学校に行った。天気の良い 日、灯台の修理がない日など、姉さんと僕が学校に行ける日は限られている。灯台は嫌い ではなかったけれど、いつも海ばかり見ていた。だから学校は姉さんと僕にとって、人が たくさんいて、いろんなことを見聞きできる、新鮮な場所だった。僕は素読が好きになっ て、文字も早くに覚えることができた。親父には、学の覚えが早いと褒められた。「安心 して、灯台守の跡を継がせられる」と言って、親父は喜んだ。算盤を教えてくれたのも  親父だ。電気のことを学ばないと灯台守の仕事はできなかった。
 姉さんは音楽を好きになった。姉さんの歌声には、海風のような軽さと爽やかさがる。 姉さんの歌は、村でたちまち評判になった。僕らの一つ上の学年に庄屋の息子がいて、わ ざわざ姉さんと僕の教室まで来て、「歌ってみろよ」と姉さんを囃したことがある。姉さ んが歌を聴かせると、庄屋の息子は態度を一変させて、いたく感心した。後日に縦笛を姉 さんに贈ったのはそいつだ。
 姉さんはその縦笛も、うまく吹けるようになった。灯台に笛を持ち帰り、姉さんは時々 笛を吹いた。海が時化て灯台の明かりの調子が悪くなった日や、霧が耐えず霧鐘を鳴らさ ないといけない日は家族全員が忙しかったけれど、天気が良くなると姉さんは笛を吹い た。天気のいい日に聞く笛の音は、家族全員の気持ちを穏やかにした。僕の自慢の、姉だ った。

「東弥は、これからどうするの」

 十八歳になった夜、姉さんは僕にそう訊いた。昭和十六年、大東亜戦争開戦の速報をラジオで聞いた日の夜。姉さんと僕は岸壁で、遠くまで照らす灯台の光を目で追ってい た。ラジオを聞いた僕は、高揚していた。日本男児として何かしなければ、と思う気持ち が強かった。

「僕は、軍人になろうと思う」

 僕は揚々としていたのに、姉さんの顔は浮かなかった。姉さんも僕と同じ十八歳、昔に見ていた幼さは既に消え去り、柳眉に切れ長の目、つややかな黒髪に白い肌で、村で一番 の美人になっていた。弟が帝国軍人になりたいと言うのに姉さんの顔は晴れなくて、僕は むっとした。


< 続く >




■ 「水底の虎」

「死にたがりの男が、何をどうやっても死ねない」

社会的に何もかも成功させてきた、晴彦。この努力ができたのは、「父親のようになる」という目標があればこそだった。
父の二十七回忌を機に、晴彦は「今この状況から消え去りたい」という自分の願望に改めて気がつく。
彼は思いきって死ぬことを選ぶ亜、気がつけば、彼は無傷で生きたままでいた。
確かに「死んだ瞬間」を経験したのに、死のうとした痕跡すら残っていない。何度試しても「死ねない」という事実に、晴彦は絶望する。

晴彦の消失願望を、絶対に叶えようとしないもの。
それは、淀んだ水の底で、不気味に笑う『虎』。
『虎』は、社会的体裁を守り抜こうとする晴彦を、永遠にこの世に束縛する気でいた。




「最後の灯台守」550円
「水底の虎」1100円
は、文学イベント東京 販売予定作品です。

参加希望者(WEB作家さん・イラスト描きさん・漫画家さん)は以下でチケットを購入ください。


遊びに来たい方、作家の作品を買いたい方はこちら。


よろしければ、作品の自費出版の費用にさせていただきます。