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つり革掴んでるのが電車に繋がれてるように感じた

行きたくない場所に向かうことが続くと
タイトルのように感じてしまう。

僕は電車に乗ってる時によく思うことがある。

「いかに自分の存在を消せるかどうか」

満員電車に乗る人々が、
共通して思っていることではないだろうか。
音楽を聴くのも、スマホを眺めるのも、
本を読むのもそう。
電車じゃない違う世界に没頭することで、
密集した空間にいる自分を守っている。

下手に動いて痴漢だと
勘違いされたくないから縮こまり、
スマホを覗き込まれたくないから
画面を暗くしたり。

隣にいる生まれも育ちも知らない
どこぞの誰かに、
これでもかというほど神経を使っている。

見えない闘いというか、
見えない殺し合いというか。

我先に乗り込みドカッと座り辺りを見渡し
盛大にマウントをとってるクソもいれば、

子供が泣いて自分も泣き出しそうな
新米ママに手を差し伸べたり伸べられたり、

それらを見かけてなにを言うでもなく
勝手に温かい気持ちになったり、

時には心無い暴言を耳にして生きたまま殺された気分にもなる。

男はラッキーおっぱいに励まされて
ぬくもりをお持ち帰りする日も稀にあるだろう。

隣がイケメンだからって寝たふりして
肩にもたれかかって匂い嗅ぐような
バカ女に成り下がる日があっていいと思う。

人に迷惑のかからない範囲内で
思う存分楽しめれば、
自分を消す時間も心なしかワクワクしてくるような、
そんなふうに思えたらなんだか少しだけこの地下鉄も大事な空間に思えてきた。

今はコロナの影響もあって満員を避けようとする動きがまだあるが、毎年年末になると人身事故が増えているような気がしてる。

新しい何かを迎えようとするとき、
そして終わりでもあるとき。
ひょっとしたら命を断とうと地下鉄に
身を投じる人がいるかもしれない。

そんな時に、人ごとではなく、
少しだけ思いを馳せられるようになれればいいなと思う。
進む電車を遮るのは、
一つの命であることを忘れちゃいけない。
命を運ぶその箱を止めるのは、
まだある一つの命なのだ。

イラッとしたときにも、ふと、
あ、こいつも命なんだよなと
思えたら素敵だよなぁ。

不機嫌な顔で隣の人を睨みつけてるような人は
いざという時に仲間を見捨てるだろうし
ホラー映画では真っ先にヤられるんだろうなぁ。

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