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夏目漱石に「美しいもの」を問われた

私は夏目漱石が好きだ。作品はもちろんのこと、暇さえあれば墓参りにも行く。もしかしたら彼が化けて参拝者に紛れ込んでいるかもしれないと思って下駄に作務衣を着てよく雑司が谷霊園を闊歩したものだ。やばいな。

夏目漱石を好きになってしまったのは私がイギリスのオックスフォードに留学していた時のことだった。留学生活一週間めで環境の変化に適応しきれず私は早速熱を出した。学校も休んだ。

一日中寝て、ちょっと起きて電子書籍で『倫敦塔』を読んだ。私は単純なので、治ったらロンドン塔に行こうと決めた。次に『こころ』を読んだ。

人間の葛藤の本質を突いたような内容に私はすっかり心を奪われてしまった。

「それは怠慢か?」とことあるごとに頭の中でKがささやくようになってしまったのもその時からだ。

今はKではなく夏目漱石本人が住み込みで語りかけてくるようになった。Kだと自分を追い込みすぎて自殺しかねないのでおいとましてもらった。

ついに先日は夏目漱石が夢にも出てきた。いや、ただの妄想だったかもしれない。

彼と私は共に雑司が谷霊園を歩いていた。二人の下駄の音がアスファルトの上で小気味よく鳴る。夕方の蝉の鳴き声が喉の奥をきゅっと締めてくるようだ。

夏目漱石は真剣な顔で「お前の美しいものとは何か?」と私に問いかける。

「ええっと…大きな窓から見上げる空とかですかね…」私は彼の問いに一生懸命応えようとする。彼の眉毛がぴくりと動き、言った。「他には?」

「波打ち際、大きな魚、気を張る女の子、気の緩い男の子…」

彼の表情は満足そうには見えず、無言で「それで?」と言ってくる。

私が「先生はどうなんですか」と聞いたところで、起きた。

人に聞いておいて自分は答えないなんてずるいな。予想でしかないけれど、多分「人間そのものが美しい」とか言うのかな。いや、明治を代表する大文豪においてそんな逆に軽薄なことを言うだろうか。人間は美しいよ、そりゃ。

オックスフォードにいたころ、授業の合間を縫っては大きな公園の芝生で寝転がり、漱石の作品をあらかた読んだ。バスで一時間かけてロンドンへ一人で赴き、ロンドン塔の目の前にあるテムズ川のほとりのベンチでもう一度『倫敦塔』を読んだりもした。

おかげで留学中は友だちが同じ日本人すら一人もできなかった。英語もそんなに上達しなかった。「子どもでも英語こんな喋っとる」とホームステイ先の子どもたちに嫉妬してしまったのを覚えている。

漱石も「乞食でも英語こんな喋っとる」と鬱になったことは有名なはなしだ。

あ、そう考えてみれば「思い出」が一番「美しいもの」、というよりか「美しくなってしまうもの」なのかもしれないな。

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