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私たちは意味のないものに価値を付けている

そのものには価値はない

冷静に考えさえすれば、お金そのものに価値があるわけではないことを、私たちは理解している。経済が破綻したり、自分しかいない場所で生きる時、お金はただの紙切れになって、おしりを拭くくらいにしか役に立たない。

私たちがお金に価値があると思うのは、「価値がある」という夢をお金に付けているからだ。紙幣を手にしたら、私たちは、「これであれが買える」「この支払いに使える」「これであれが食べられる」という幻想を瞬時に夢見、その視点でお金の価値を見ている。

ダイヤモンドに価値があるのは私たちが共通の幻想を見ているから

他のものでもそうだ。よくよく考えてみよう。たとえば、ダイヤモンドを自分のものにして、その価値があると感じているのは、ダイヤモンドのきらめきだけに対してではなく、その金額やその希少性や手間、買ったプロセスについて価値を見いだしているからだし、その価値は売り手がその価値をあおった結果だ。本当に彼から送られるものならダイヤモンドじゃなくてもいいはずだし、キラキラ光るものが欲しいなら綺麗なガラスでもクリスタルでもいいようなものだし、固いものが欲しいならダイヤモンドより58%も硬いロンズデーライトにしたらどうだろう。彼から送られたそのダイヤモンドが50万円くらいだと見当を付けたのに実際は10万円だったと分かった時や、人工ダイヤモンドだと分かった時、ダイヤモンドは変わらないのに、急に色あせて感じないだろうか。

でも、私たちは共通の幻想を見ているので、ダイヤモンドには価値があると思う。この共通の幻想は通常運行の時と異常事態の時は違うので、異常事態時にはダイヤモンドより水が価値が出ることもあるし、紙幣よりトイレットペーパーに価値があることもある。

価値を付けることで全てが陳列棚に並ぶ

私たちはなんでも、こうして価値を付けては、みんなでその幻想を共有できるようにしてきた。それは便利な性質もあったけれど、いつの間にか、私たちが生来持っている本当の意味のあるものも同じ棚に並べ始めた。

それは、ありのままに生きることや、だったりする。

本来、それは、私たちがもつ本当に価値があったもので、今だってそれは変わらないはずなのに、同じように陳列棚において、他の価値があるとされるものと比べては、その横のものを選ぶ。「愛は大事だ」「つながりを持って行きよう」「私らしく生きよう」とか口先だけでは言うけれど、それを選択する時は、他のものと比べて、どちらの方が価値があるか、得をするかを考える。

そのくせ、「つながりを感じられない」といって病んだり、つながりや愛をインターネットの中で探したりする。私たちが自分の愛情なくして生きられると思っているのは、エゴがそうささやいているからだけれど、私たちはただその口車に乗っかって、正気を失った視点のまま、愛を陳列棚に放置する。

その実体の真実に興味を持つか

世界には意味がない。お金もダイヤモンドも家も学歴も権力も、霜降り肉も車もパートナーも本当は意味はない。別に価値がないものだって、手に入らないものだって、自然のものだって一緒だ。太陽も海もミミズも落ち葉も意味はない。同じものだ。それに優劣を付けて、そのもの自体ではなくそれに付随している価値を夢見ているのが私たちだ。

価値を付けなくては成り立たないとあなたは言うだろうが、《価値がある》と思っていることと、《価値があるとされている》と理解していることは全然違う。「世の中ではこれに価値があるとしているのだな」と理解している人は、自分の中にある愛情や信頼を陳列棚には並べない。真実と世界の違いを理解している人は、本当に価値があるものと本当は価値がないものを区別できるからだ。

本当に価値があるものを探す

本当に大事なものを感じられるようになると、外の世界に、それらが息づいているかどうかを見ることができるようになる。今の一瞬に自分が愛情に基づいているのか、恐れからなる感情に支配されているのかを意識できるようになってくるのだ。私たちは未熟で、いつも愛による選択ができるかというと、残念ながらまだまだそれは難しいが、それでも外に見えるものや自分の中に見えることを赦す作業によって、また選択し直すことが少なくともできる。私たちの幸せのヒントはそこにある。

価値だけでものごとをはかると、いつしか私たちは自分自身も陳列棚に乗せている。自分が価値がある人間か、自分の値段はいくらか、他の人より価値があるか、その価値をアピールできているかと自分を売り物にする。

みんなが自分を陳列棚に乗せるゲームをそれぞれがやめられたらいいのになと思う。すべての苦悩はここにあるのではないかと思う。あなたがしあわせを感じたいなら、自分をキャリアや家やお金と同じようにはかりに乗せるのをやめなければならない。そこに意味がないことを理解しなければならない。

価値を計る世界にしあわせは存在しない

あなたは大いなる計画通りに、なるようになっているし、世界は自動運転で進んでいく。あなたが価値を付けているものに価値はないし、あなたが今はかりにかけている真実のものにだけ、実は唯一の価値がある。

世界の価値から解放されたところに、あなたのしあわせがあることは確実だ。私たちは欲があるし、エゴもある。そこを責める必要なんて露ほどもないし、リラックスしてそれを赦してあげると、これまでとは違う感覚を味わうだろう。私たちはそれを超えるためにここにいるのだから。

自分の全ての選択もまるっとひっくるめて赦してやりながら、私たちが集団で幻想を見ていたことを発見していこう。しあわせがそこにあるかのようにうまく錯覚させられていただけで、求めても求めても、そこには決して存在しない。あなたが全力で勝ち取ろうとしなくても、あなたがここにいる意味がある限り、心配しなくても、あなたはこれからだってちゃんと、生かされていくのだ。

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