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人を頼る 話

家庭の波線

長男たこ・長女ぴこ・次女ちぃは、最近はほとんど学校に行っていない。
日がな一日メディア漬けだ。

母はこのままでは、いけないなぁ。なんとかしないと『ひきこもり』が悪化していくなぁ。とゆるりと考えている。
どうしてこんなに悠長に構えているのかと言うと、叱咤激励を毎日繰り返し、親子で潰れた時期を経験したからだ。

「どうして学校に行けないのか」尋問を繰り返した。
「このままであなたたちはどう生きていくつもりか」言い換えれば、「何も成さない君たちは生きて行けない」と未来を恐怖で支配いた。
「私が今までの子育てを間違えてごめん。もっと社会になじめるような育て方があったのかもしれない」自分を責めて、それを子どもたちに見せつけて、自分と子どもの肯力感を爆下げした。

家の中がそんな雰囲気で気がよどむ。こんな状態では、家から抜け出す元気すら沸かない。ここに居ては苦しいと分かっていても、動けない。家ですら気が重いのに、学校や会社になんて、足を運べるワケが無い。
親子ともに、墜ちるところまで堕ちていた。

今現在、目が座ったたこと、家で楽しく遊ぶぴことちぃ。母自身も、今、どん底の頃の体調よりは、前を向き始めている。

たこは、なぜ目が座っているかというと、ぴことちぃより、現実を考えているからだ。中学進学も迫っている。根が真面目で、人の期待には応えたいという思いが強い。たこは、両親とも関係は悪くないはずだし、学校の用務員さんにも登校を期待されていた。
しかし、たこは自分に正直な子だったので、「学校行って欲しい気持ちは重々分かっているけれど、本当は行きたくないんだ」と目が座っていた。
これが、母の見解。

夫はまた違う見方をしていた。
「ずるずる休むうちに、自信が無くなって、行きたいのに行けないのではないか?」

そして祖父母となるとまた違う。
「ゲームばっかりやってるから、元気がなくなるんだ!親が甘いんだ。その環境を許すから、楽な方へ身を置いてしまう。たこのわがままを親が助長してる!」

うん。どれも正解で、どれも不正解だ。たこ自身、なんで行きたくないのか分からず、とても苦しんでいた。

人の意見も聞きようだ。自分のマインドの調子に大きく左右される。
正論や苦言をキャッチャーミットで受けて、投げ返せる時もあれば、
ギリギリ、顔面直撃覚悟でなんとか受けるだけは出来ます、といういう時もある。
しかし、マウンドにすら入れないこともあるんだ。ベンチでぶるぶる震えている状態の時もある。

私はきっと、ベンチでぶるぶる震えている子どもたちに、夫と、さらには自分の両親と、親戚一同、学校まで巻き込んで。外野席から太鼓やトランペットを吹いてメガホン片手に応援をしていたんだ。「お前ならできる!行け!出て来いよ!!飛び出して来て、いい仕事してくれよ!!」

たこは、学校どころか、外にでることすら、怯えるようになった。

戦友とパパ友

母は漠然と思っていた。学校に行かないにしても、社会とは繋がっていて欲しい。家族以外の人と、コミュニケーションをとって、色んな人に触れる中で、『自分の軸』をさがしてほしい、と。

色んな経験をする中で、元気に生きる大人の背中を見せることで、子どもたちが感じるものがあったら嬉しい。そう考えていた。

しかし、当時、母はそれを子どもたちに提供する体力はなく、流れ流れて拾ってもらったという感覚が強い。

ショートステイ

母の体調が、登校激励の反動でメルトダウンを起こし、墜ちすぎて廃人になりかけたことがある。
「もうだめだ。この子たちは学校に行けない。社会とも繋がれない。全部自分が面倒見なければいけない。母親がしっかりしなくては。頑張れ自分!頑張れ自分!!」そう言い聞かせて頑張っていた。
精神と理性をつなぎとめるロープは、日に日に摩耗し、ぷちん、ぷちん、と徐々にほぐれて切れていった。

子ども同士の口喧嘩も「母親である自分が、子どもたちのいがみ合いを止めることができないなんて。」「そもそも、喧嘩をするなんて、やっぱり私の育て方がいけないんだ」そうやって自分へ、自分へ、叱責を増した。

そこへきて、「ママが笑顔じゃなくちゃ!ママの元気が一番なのよ!」どこへ相談しても、そんな事ばかり言われ、さらに『笑顔もなけりゃ、元気もない』自分を責めた。

母は、命の危機を感じ、市の制度を調べまくった。手当たり次第に電話をかけた。役所、教育センター、児相相談所、ベビーシッター、ファミリーサポート。。。
仕事を休んでいるので、大きなお金はかけることができない。子ども3人分だ。全ての金額が3倍になった。
なんとか出せる予算で、市のショートステイ事業を紹介してもらい、そこを頼ってみることにした。

役所で申し込みを済ませ、子どもたちに説明した。
ママが見ての通り、限界であること。ママの実家は遠くて、頼る人が居ない事。ママがぶっ倒れた時に、近所に子どもたちを助けてくれる味方を作りたいと考えていること。
そして、子どもたちにとって、外の社会を知るきっかけになる事。体験が増えると、視野が広がる事。絶対安全であること。

それらの事を話し、子どもたちの承諾を得て、当日を迎える。
一泊二日、子どもが家に居ない。母の精神は波立つことなく、久しぶりに呼吸ができたという感覚だった。

子どもは子どもで、犬と子どもの居るご家庭にショートステイさせてもらい、不登校も許可され、公園で遊んだり、犬と戯れたり、ママとは違う味のご飯をご馳走になったりして、ご満悦で帰ってきた。

子どもを預けてみて、思ったことがある。
「あ、頼っていいんだ。」と。
自分が望んで産んだ子どもたち。自分が育てた子どもたち。そのすべての責任は親にあると思い込み過ぎていた。人様にご迷惑をかけてはいけない。自分が子どもをしっかり見なきゃいけない。全て私の育て方が招いた結果が、今なんだから、しっかり自分でケツを拭かなければいけない。そう思い込み過ぎていたんだ。

ショートステイを経験して、里親さんから、
「楽しかったです。自分の子どもたちも一緒に遊べて嬉しそうで。犬も沢山かまってもらって喜んでました。ありがとうございます。」
とお礼を言われた時には、世界がひっくり返った。お礼を言うのは、預けた私の方だ。恐縮すぎる。けれど同時に、温かいものがふわぁっと心を満たした。頼って、良いんだ。。。肩の力を抜いてもらったと思った。

戦友のこと

不登校を一緒に闘って来たママ友がいる。戦友は、私の前ではいつも元気でパワフルだった。絶対に墜ちていることもあるだろうけれど、それを明るく話す。

子ども同士が同級生と言うこともあり、戦友とは長い付き合いになる。そしてとても私を気にかけてくれた。私はその頃、ダメダメに弱り切っていて、その弱りを隠せないほどに堕ちていた。

体調にも顕著に不調が表れ、食べられないし、頭痛はするしで、楽しみにしていた戦友との約束すら断らなければいけないような状況だった。

本当なら戦友に気を使って、体調不良は伏せて、都合が悪くなったと言えば済んだものの、取り繕う余裕すらなく、「ごめん、倒れてて行けない。」と正直にぶちまけてしまった。本心のどこかでは、戦友に甘えていた部分もある。戦友ならきっと、正直に言っても受け止めてくれる、と安心していたのだろう。

戦友は、持ち前のパワフルさで、すぐに行動を起こす。
「子どもたち、全員預かるよ!!うちに泊めちゃうから!!大丈夫!ゆっくりして!!」
えーーーー!!そんなこと、恐縮すぎるーーーー!!私は、戦友とのアポを断るという失礼を侵したのに、善意なんて受けられないですーーー!!
そんな私の混乱なんて押し切って、竜巻のように我が子を迎えに来て、笑顔で引き受けてくれた。

「私が好きでやってるだけだから!おせっかいでむしろごめんね!!大丈夫!私がぶっ倒れたら、へーちゃんに頼むから!お互い様だから大丈夫だよ!任せて!!」
そう告げて、ブーンと車で去って行った。神だ。。。そう思った。

心底、救われてしまった。子どもとの物理的な距離が、これ程までに自分をとり戻せるものか、と。そんな、子どもを見きれない母親は、責任放棄だ!と思ってしまう自分は心の片隅にチラつくが、もう見ないことにした。今はどっぷりと甘えてしまおう、と戦友にただただ、感謝して目を閉じることにした。

きっと、戦友は大変だったと思う。自分の子に加えて、うちの子らを引き受け、5人の子どもの面倒をみて。。。ご飯ひとつもお風呂一つも、何をとってもカオスが浮かぶ。子どもたちは、ハイになり、いつも以上に統制が効かない事請け合いだ。
戦友。。。ありがとう。。。いつか必ず、この御恩はお返ししたいと強く思った。私もいつか、戦友を支えられる人間になりたい、と思った。

パパ友のこと

母が少し元気を取り戻したころ、我が市には未だ存在しない、『プレーパーク』を立ち上げよう!と動いている団体があるぞ!第一弾プレーパークやっちゃうぞ!という情報が回ってきた。

我が子たちは、プレーパークのような、自由さが、保育園時代大好きだった。行ってみよう!と子どもたちと出かけ、大いにプレーパークを楽しんだ。

そこでスタッフとして子どもと遊んでいた男性が、あれ?保育園も小学校も同じパパさんだ!と気が付いた。
「素敵な活動ですね!プレパ、子どもたちも大好きで。私もこういうのすっごく好きなんです。」とあいさつしてお礼を告げた。

パパさんと『プレパへの思い』を話したり、我が子を交えて遊んだりする中で、我が子が不登校であることも共有した。

パパさんは、「自分の感情を素直に出せて、物怖じしないで思いっきり遊べる、とても好感がもてるお子さんですね。」と我が子を見て言った。
そして、「不登校をさせてあげる、親御さんの大きさに関心するし、僕は共感します。」と言った。

今までにない経験に、しばらくフリーズしてしまった。パパさんの子どもは元気に学校に行っている。それなのに?と、理解が追いつかない。
私は、不登校の親で葛藤と悶絶を経験して、その境地に行きつきたい、早く楽になりたい、と思考のシフトを試みている最中だ。
けれど、パパさんは、日常の中でその境地に立っていた。何者なんだ?と思った。

パパさんは、生き方ってもっと自由で良いよね、世界って広いよね、面白いと思う事いっぱいしていこうよ!というマインドセットが出来上がっている人だった。そして、とても礼儀正しい。夢物語で言っているのではなく、地に足つけて体現している人だと思った。

そのパパさんに「子どもたち、良かったら、うちで一緒に遊びませんか?」と誘いを受けた。知り合って間もないし、遠慮もあったが、好奇心が勝って子どもを遊ばせた。
そこには、近所の子も数人集まっていて、我が子もすっかりリラックスして楽しんで、ついには、お泊りさせてもらった。
「寝袋しかないけど、良かったら。」というパパさん。「ママ、お願い!!泊まりたい!帰らないから!じゃ、バイバイ!!」という我が子たち。

・・・・良いんですか?私、割と今元気ですけど、子ども預けちゃって良いんですか?と。半信半疑で預けてみることにした。

一泊甘えて、翌日迎えに行く夫。子どもたちはパパさんに懐きすぎて、肩車なんてしてもらっている。大人にもオープンハートなパパさんと、奥さん。夫までパパさんに懐いてしまい、お昼ご飯をご馳走になって帰ってきた。

なにか恩返しを!!と強く思っているのだが、
「信用して預けていただいただけで、十分です。子どもたちが安心して遊べる、地域の輪、作っていきましょうよ」と笑顔で返してくれた。

神降臨。

なんておおきな人間なんだ。うそだ。まぼろしだ。幻想だ。信じられない。

里親を引き受けている人も。戦友も。パパさんも。
すごい。自分の事だけで手いっぱいの私ときたら。自分と家族の事でヒーヒー言っている私ときたら!!同じ人間とはとうてい思えない。

自分もいつか、人を支える人になれるのだろうか。なりたいと思った。そんな温かい循環が生まれる社会を作りたい、と思った。それを体現する人間になりたい、と思った。

自分への教訓

  • 抱え込みすぎず、人を頼ってもいい。

  • 感謝をいつか返すことで、誰かの助けになれたらいい。

  • でも、「誰かの役に立たなくちゃ」と思わなくてよくて、自分のしたい事をする中で、結果誰かが救われたらそれで良いんだよ、と戦友に言われたんだった。




学校で生きずらさを抱える子どもたちのために何ができるのか。 たこ・ぴこ・ちぃだけではなく、不登校児の安心できる居場所づくりの資金にしたいと考えています。