片野美和子

メノナイト札幌ベテルキリスト教会の牧師です。セルフサポートのため、カイロプラクティック…

片野美和子

メノナイト札幌ベテルキリスト教会の牧師です。セルフサポートのため、カイロプラクティックのサロンと合氣健康教室を開いています。超教派の「オンライン聖書を読む会」、霊的同伴もやってます。身体を動かすこと、黙想、空を見上げること、散歩が好きです♫

最近の記事

愛するために生まれた

私たちは 愛するために生まれた。 愛されることで 愛を知ると言われるけれど 完全な愛を持って愛することのできる人は いないと思うので 歪んだ「愛」を 愛と勘違いして 育ってしまうこともあると思う。 「神は愛なり」 多くの人が知る 聖書の言葉だと思う。 自分が神に愛されている感覚が 私にとっての 「愛されている」ということ。 私の父も母も 私を愛してくれたけれど それは 神が愛するように 愛していなかった部分が 多々あると今ならわかる。 来年は60歳ということで 私な

    • 1人で山に退く

      昨日の聖書日課 ヨハネによる福音書6章15節〜21節 を読んでいて 「自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、再びただ一人で山に退かれた」 という箇所が目に止まりました。 池田大作が逝去したニュースを読んでいると 幹部たちは彼のファンだったようです。 カリスマ的な人だったのでしょう、きっと。 そんなニュースが頭にあったからか イエスもカリスマがあったんだろうなぁ と思うものの 一人で再び山に退かれた わけです。 また カリスマのある人なら 十字架につ

      • お寿司の予約に並びながら思いを馳せる

        北海道あるあるでよく言われますが、 大晦日にはお寿司を食べて 年越しをします。 今朝は ご近所の回転寿司「なごやか亭」で 9時から予約受付なので 8時半に来てみたら もう長蛇の列で 98番。 冷たい雨も結構降っていて 遠くでは雷の音も鳴り響いています。 そう言えば 聖書には 雨の記述がないけれど イエスさまの話を聞いたり 癒してもらったり 多くの群衆が集まった時 雨の日もあったのかなぁ とか… お寿司をこんなに求めるくらい 真理を 生き方を 絶対的なものを 求める

        • 霊的同伴

          先週金曜日の夜から 喉が痛くなり 日曜日の夜には とうとう熱が出てしまいました。 37.6度の微熱ですが 何年ぶりの発熱でしょう。 朝には下がりますが 夜になるとまた微熱が出て そのうち 咳と痰と鼻水が出て 鼻詰まりになり 頭痛もあり 寝てばかりで体も痛くて 熱出たら こんなに辛いということを 忘れてました 笑 「体が菌をやっつけようと 免疫システム総動員して 私の肉体を守ろうとしてるんだなぁ。 解毒してスッキリしたいわ。」 なんてことを思いつつ 寝てました。 聖書には

        愛するために生まれた

          映画「ミュンヘン」視聴

          「ミュンヘン」という映画をNetflixで視聴しました。 実話に基づいた映画を見るのが好きなので、見てみたのですが、救いのない話で、でも、今でも終わっていない事柄なので、なんとも言えない重たい氣持ちです。 1972年のミュンヘンオリンピックの時、イスラエルの選手たちがテロに殺されます。その復讐のために、イスラエル政府は、テロ組織であるパレスチナ人を一人一人殺していきます… イエスの 「敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」 という言葉が重くのしかかります。 また 「人

          映画「ミュンヘン」視聴

          読書&観想会

          この本の 読書&観想報告会 みたいなものを オンラインで開催します。 この本をご存知で 分かち合いたい方 または この本のタイトルに導かれて 参加したい方は どうぞ こちらのフォームより ご連絡下さい。 第一回目は 7月5日の9時半です。

          葛藤、痛みとの向き合う

          私の好きな著者に アントニー・デ・メロ へンリー・ナウエン フィリップ・ヤンシー トーマス・マートン がいる。 今、ラリー・クラブの 「インサイドアウト」を 読んでいる。 人として経験する 葛藤、疑問、痛み、虚しさ、渇き、欺瞞 を見ないようにするのではなく 向き合った人たちの言葉が 自分には響くのかな とあらためて思う。 自分としては その中でも デ・メロが最もピタッとくる。 東洋だからなのか? 私自身、北米の神学校で 牧会カウンセリングを学び カウンセリングの恩恵

          葛藤、痛みとの向き合う

          元氣であることと信仰と…

          イースター礼拝が終わって 分かち合いの時に ある方が 「今日はイースターなのに なんか静かで元氣がないですね。」 とおっしゃいました。 今年のイースター礼拝には ほとんどの青年たちは 仕事でいませんでした。 そのせいもあるのかも、 と思った私は 「年?」と笑って返しましたが 何かずーっと 引っかかるものがありました。 そして 昨日 正規雇用として 4月1日から働き始めた娘が 疲れているからこそ 礼拝に出たい と礼拝しに来ました。 「みなさん なんか疲れているような…

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          オンラインでの交わり

          私が 現在オンラインで 超教派で開催しているものは 「聖書を読む会」隔週  昼の部  夜の部 「境界線」の学び会(午前中 月一) 霊的同伴(個別) があります。 他にやりたいなぁ と思っているのは 「ひとりきりのとき 人は愛することができる」 アントニー・デ・メロ著 女子パウロ会 を一章ずつ読んで分かち合い会 です。 これらの交わり 分かち合い 学び会に 興味のある方はぜ 下記から連絡下さい。

          オンラインでの交わり

          「いのちの道」を選ぶ

          Netflixで 「実話に基づいた映画」 をずーっと観ている。 ナチスや 共産主義に 抵抗して自由や人権を守ろうとする人々が いる一方 保身から 軍部に情報を提供する人々がいる。 いつの時代も そのように どの道を選ぶか分かれていだのだと つくづく思う。 信念に基づいて いのちを助けるために 勇敢に行動する人々と そうでない人々と 別れるのは 何が異なるのだろうか。 いわゆる 「善」を行う人々がいたから この世は続いているのかもしれない。 いつの世も 神とサタン

          「いのちの道」を選ぶ

          わたしのような神はいない

          今日の聖書日課 イザヤ書46:5-11 「わたしが神である。 ほかにはいない。 わたしのような神はいない。」 神の姿に似せて造られた 私たち人間も だから 誰一人として 同じ者はいない。 一人一人が そのような意味でユニークな存在。 「わたしをだれになぞらえて比べ、 わたしをだれと並べて、なぞらえるのか。」 私たちも 誰かと比べることは 本来はできないのだと思う。 なのに 比べて 時には優劣の差をつけることで 優越感を覚えたり 劣等感を抱いたり 嫉妬したり

          わたしのような神はいない

          マタイのイエス降誕の話

          今年のクリスマスの聖書日課は マタイ福音書2章13節から15節と19節から23節です。 今週、オンライン聖書を読む会が、昼の部と夜の部とあり、同じ箇所を読みました。が、いつものように、メンバーが異なるので、分かち合われる内容が異なり、理解が豊かに広がりました。 ○ マリアではなく、ヨセフの話だ ○旧約聖書にも出てくるエジプトに逃げる話 ○ヨセフは神に忠実な人 ○ルカの華々しいクリスマス物語とは違う ○旧約聖書の預言が成就した ○「彼はナザレ人と呼ばれる」と語られた   こ

          マタイのイエス降誕の話

          神を箱に閉じ込めない

          先日 説教の準備をしていて 神を知る 神に全幅の信頼を置く 神に委ねる ということを 思い巡らしていたら 神学校に行ってた時 よく耳にした言葉を思い出しました。 「私たちはつい神を箱に閉じ込めてしまう」 という言葉です。 私たちは つい自分の理解し得る範囲の神の イメージ 神がどのような方であるかということ しか 受け入れない態度を取ってしまう という意味だと 私は理解しています。 でも 聖書を見ると メシアが まさか大工の息子だとは 思わなかった人々がいま

          神を箱に閉じ込めない

          リーダーのための内奥の旅~偽りの自己から真の自己へ

          フェイスブックで知人が紹介していた記事で とてもいいなぁと思ったので 翻訳DeepLで訳したものを修正してみました。 M.ロバート・マルホーランド博士によるものです。 「あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。」 コロサイ人への手紙3章3節(新共同訳) ある時、キリストにある深い生活に重点を置き、活き活きと成長している大きな教会の牧師に、毎週50人から75人の新らしい教会員を確認しているので、その人たちはどこから来て

          リーダーのための内奥の旅~偽りの自己から真の自己へ

          苦しみ

          昔一度読んだのですが 今もう一度読んでいるのが この本です。 一日一章を読んでいます。 今日読んだ中に 「彼ら(この世の人々)は この世を愛する者として 苦しむだけで、 キリストを愛する者として 苦しむのではありません」 という言葉に出会いました。 この言葉に出会う少し前に 自分の記憶として 覚えている出来事は 良い出来事もそうでない出来事も 何か意味があるから 覚えているんだろうな ということを何となくぼやっと 考えていました。 そしてブラザー・ローレンスの

          癒しの主キリスト

          今月の初め 仲間と合氣の稽古中 受け身をして立ち上がった時に 左足の甲に一瞬痛みが走った。 やばいと思ったけれど 大丈夫そうなので そのまま稽古をして帰宅。 3日後くらいに なんとなく足が変な感じで なんだろう? と考えていたら 稽古の時に痛みが走ったことを思い出した。 でも大した痛みではないので そのうち治ると思って 普通に過ごしていたけれど 出かけて歩いた5日目の夜 痛みが強くなり ふと見ると 足の甲がポコっと 1箇所腫れていた。 翌日整形外科に行ったら レントゲ

          癒しの主キリスト