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神を箱に閉じ込めない

先日
説教の準備をしていて

神を知る
神に全幅の信頼を置く
神に委ねる

ということを
思い巡らしていたら

神学校に行ってた時
よく耳にした言葉を思い出しました。

「私たちはつい神を箱に閉じ込めてしまう」
という言葉です。

私たちは
つい自分の理解し得る範囲の神の
イメージ
神がどのような方であるかということ
しか
受け入れない態度を取ってしまう

という意味だと
私は理解しています。

でも
聖書を見ると

メシアが

まさか大工の息子だとは
思わなかった人々がいましたし

力強い王と期待していた人々もいたし

「罪人」たちと食事をしたり
安息日に病人を癒したり

割礼ある者たちのしもべとなった

まして
十字架で処刑される
など

理解の範疇を超えていたと思います。

そう考えると
現在(いま)生きている私たちにも

神がどのような姿で現れるのか
自分の想定外であることは
十分にあり得ます。

そういう意味で
私自身
自分の「認知の箱」に
神を閉じ込めてしまっていないだろうかと

常に自分自身に問い続けたいと
心から願います。

もっと大胆な言い方をするなら
神を神として認識したい
神が自由に神であることを認めたい

そんなことを大切にしながら
無力で弱く
人に頼らなければ生きていけない

赤ん坊として生まれ
飼い葉桶で眠っていた

御子イエス・キリストの
誕生に思いを巡らせます。

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