パリ軟禁日記 54日目 解放を前に思うこと
2020/5/9(土)
何事にも終わりがある。あと1日で、長かった軟禁生活にも終止符が打たれる。
つまり、ここまで続いた軟禁日記も残すところ、今日含めてあと2回。50日以上も、毎日ある程度の量の日記をつけ続けたのは生まれて初めてだ。小学校の夏休みの絵日記だってこんなに長くはなかっただろう。毎年必ず日記の宿題があったはずなのに、僕はどんなことを書いたのかほとんど思い出せない。
まずは、ここまで生き延びていることを嬉しく思う。外出禁止が始まってから発症するケースもあると聞いていたからだ。自分はここまで対策をとっているから大丈夫、と自分に言い聞かせてはいたけれども、僕は次のような空恐ろしい仮説も思い浮かべずにはいられなかった。
もし途中で感染して、僕が入院でもしたとしたらどうなっただろうか。この日記はどうなっただろう。もし、命尽きようものなら、きっとニュースになって僕の日記は更に多くの人に読まれたことだろう。ある意味において、人の死が「悲劇」という名の見せ物になって久しいこの世界。不謹慎にもそんなことが脳裏をよぎった。書いてある内容に興味がある人は少数で、多くの人は誰が書いたかに興味がある。
そんなことを考えないようにするためか、今日も僕は本を読んだし、映画も見た。不思議なものだ。生き延びることが最優先されるこの状況においても、僕はその目的に直接結びつかない営みも習慣化してしまっている。
仮にもし、僕がどこかで政治犯にでもなって、さらに過酷な軟禁生活を強いられたのだとしたら、どうなってしまっていただろうか。PCもスマホも、本も映画もなし。外出も一切禁止。食事は1日1回、簡素なパンとスープだけ。考えるだに恐ろしいけれど、今回の経験は多少なりとも役に立つかもしれない。どれだけ異常な状況であっても、それが続けば人は慣れるし、何かを見つけ出すということはよく身にしみた。閉じるドアがあれば、開くドアがあるのだ。
何事も最後となると、少しの名残惜しさのようなものを感じる。
明日、僕はどのように過ごして軟禁生活を締めくくるべきなのだろうか。軟禁生活ならではの営みに考えを巡らせてみたけれど、特にいいアイデアは思い浮かばなかった。
これまでがそうであったように、明日も今日と同じような1日になるのだろう。モノトーンな日常、それこそが軟禁生活の醍醐味なのだ。
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