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パリ軟禁日記 44日目 耐えろ、ダウンヒル

2020/4/29(水)
 人生にはやはり、勝負事につきものの「流れ」というやつがあると思う。

 今の自分の調子は下り坂なのを感じる。ここ数日がそうだ。なかなか底を打たない。スポーツで例えるならば、一つの試合、もしくは一年のシーズンの中で必ず訪れる苦しい時間帯。これまでのやり方が急に上手くいかなくなり、心が焦り、モチベーションが下がる。そのためか、小さなミスが発生し、自信までぐらつく。

 そう、これまで何度となく経験したはずの精神的ダウンヒル。毎日、日記をつけるとしたら、どこかで感情の落ち込みと向き合う時が来るとは思っていた。僕にできる誠実なことは、赤裸々にそのことを記すことだ。

 今日も雨が降っている。明日もそのようだ。今の自分のモチベーションの低さが低気圧に由来する可能性はもちろんある。日本にいた頃は、梅雨時になると頭が重くなった。しかし、だからと言って、雨が嫌いというわけではない。心が躍る雨の日だってもちろんある。結局のところ、気候や気圧は一つのきっかけに過ぎないのだ。

 調子の波に関して、友人の誰かがこう言っていた。まず、絶好調の時に結果が出るのは当たり前。問題は、絶不調の時に大崩れしないで試合をまとめることができるかだ、と。職業人として求められる最低限のパフォーマンスというものはあるだろう。僕が彼の言葉に付け足すとすれば、勝負時にギアを上げることができるか、そして、隙を見て「力を抜く」ことができるか。

 長丁場の勝負であればあるほど、いい意味で「力を抜く」時間帯が必ず必要になる。何事につけ、僕は硬くなりがちなので、尚更そう思う。それはリラックスして本来の力を存分に発揮するという意味では勿論そうだし、結局のところは前述の勝負どころでその力を十二分に出すための温存でもある。体力・精神力には限界があるので、無駄づかいはできない。結局のところは、上手いやりくり−「ゲームプラン」が肝要なのだ。

 力の抜けたフォームを手に入れるための一つのやり方としては、限界まで自分を追い込むことだろう(今どき、これはスポ魂・熱血な古い考え方なのかもしれない)。体力の限界に来て初めて、身体が勝手に楽をしようとして、力みが抜けた無駄のないフォームが生まれるという理屈。実のところ、僕が毎日懲りずに書いているのはこのトレーニングを文章にも当てはめようと思ったからだ。力みのない文体で、例え苦しくても、文章を捻り出す。

 この度のコロナマラソンは想定以上の長丁場になる。僕が思い描いていた当初のゲームプランから多少のズレが生じてきてはいるものの、苦しい時間帯が来るのは覚悟していた。対処法は心得ている。焦らず、一つ一つ、基本に忠実に積み重ねるのみ。ここで大崩れしてはならない。

 人類はここまでヤツに対して大量失点を食らってしまった。
 今は耐える時間帯。いかに失点を減らし、反撃に転じるか。 
 虎視眈々と機をうかがおうじゃありませんか。

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