マガジンのカバー画像

パリ軟禁日記

55
2020年3月17日、今日から僕らが当たり前に享受していた移動の自由が奪われる。ここ、自由の国フランスで。外出禁止令が施行されたのは、時が真昼を告げる刻だった。 軟禁状態にある…
運営しているクリエイター

#いま私にできること

パリ軟禁日記 55日目  ロックダウン最終日に思うこと

2020/5/10(日)  単調で彩のないこの生活を、いつの日か懐かしく思い出すことができるのだろうか。  昼過ぎに、少し離れたアジア系食材のスーパーに買い出しに行った。扉を出る前に、スマートフォンに外出証明書をダウンロードする。もう明日からこいつを気にする必要がなくなるのかと思うと、心が軽くなった。一度ダウンロードしていないことに気づいて、冷や冷やした日もあった。明日から、好きな時間に外に出られるという「当たり前」が日常に戻ってくる。  うどんとラーメン、下処理済みの肉

パリ軟禁日記 54日目 解放を前に思うこと

2020/5/9(土)  何事にも終わりがある。あと1日で、長かった軟禁生活にも終止符が打たれる。  つまり、ここまで続いた軟禁日記も残すところ、今日含めてあと2回。50日以上も、毎日ある程度の量の日記をつけ続けたのは生まれて初めてだ。小学校の夏休みの絵日記だってこんなに長くはなかっただろう。毎年必ず日記の宿題があったはずなのに、僕はどんなことを書いたのかほとんど思い出せない。  まずは、ここまで生き延びていることを嬉しく思う。外出禁止が始まってから発症するケースもある

パリ軟禁日記 51日目 川に暮らす人たち

2020/5/6(水)  セーヌ川に暮らす人がいる。川沿いの眺めのいい部屋で、という意味ではない。文字通り、川に船を浮かべて暮らしている人たちがいる。  今日は数日ぶりの快晴だった。ランニングの途中、侵入禁止のテープが風で飛ばされた箇所から、セーヌ川に降りて行った。ふと左手を見ると、日本の集合住宅で見かけるような郵便受けが置いてある。嗚呼、そうか。ここにも人が住んでいる。人影は見えなかったけれども、彼らの住居は眼前の川上にゆっくり揺れていた。  彼らが住む船はペニッ

パリ軟禁日記 44日目 耐えろ、ダウンヒル

2020/4/29(水)  人生にはやはり、勝負事につきものの「流れ」というやつがあると思う。  今の自分の調子は下り坂なのを感じる。ここ数日がそうだ。なかなか底を打たない。スポーツで例えるならば、一つの試合、もしくは一年のシーズンの中で必ず訪れる苦しい時間帯。これまでのやり方が急に上手くいかなくなり、心が焦り、モチベーションが下がる。そのためか、小さなミスが発生し、自信までぐらつく。  そう、これまで何度となく経験したはずの精神的ダウンヒル。毎日、日記をつけるとしたら

パリ軟禁日記 43日目 「ウイルスと共に生きる」〜外出制限緩和プラン〜(フランスver.)

2020/4/28(火) 本日15時、国民議会にてエドゥアール・フィリップ首相による外出制限緩和についての計画発表があった。僕たちの今後数ヶ月に大きな影響を持つ談話だ。 そういうわけで、僕は仕事をそっちのけでTVをつけた。同僚とのグループチャットを見る限り、皆この時間はテレビかラジオに耳を傾けていたようだ。 以下、要約: ========================== 基本方針として「ウイルスと共に生きる。」 これを前提に地方ごと、段階的に、外出制限を緩和していく

パリ軟禁日記 41日目 それでも、ハラは減る

2020/4/26(日) 街中を駆けていると、春から夏にむけて少しずつ季節が動いていることがわかる。 2週間前は葉がまばらだった街路樹は、今や青々とした葉を繁らせている。公園の近くの花壇には色とりどりの花が咲く。速度が遅くなっているのは人間が営む経済活動だけで、地球は回れば他の生物たちの営みは変わることがない。 僕の生活の速度も今遅くなっている。ここ数日は特にやる気が出ない。そういう日は生きていれば、どうしたってやって来る。避けられないことは知っていながらも、毎回「来た

パリ軟禁日記 39日目 呼吸と春

2020/4/24(金) すってーはいてー 呼吸。それは、僕たちが特段意識をする必要もなく、無自覚に行われる営み。燃料がなければエンジンは動かないように、僕たちも酸素や栄養を入れなければ身体を動かすことができない。外出禁止中の街の空気は、以前と比べてきれいで、澄みわたっている。鼻腔で感じる空気の匂いと、気管を流れる「管触り」がいい。 すーっ、はーっ インとアウト。それは内と外の均衡をとることであり、境界を定めること。遡れば、古代中国の陰陽五行であり、ゾロアスター教の光と闇

パリ軟禁日記 38日目 奇妙でありふれた体験

2020/4/23(木) 日常におこる、奇妙でいて、ありふれた体験。 ランニングの後は浴室に直行する。シャンプーをした後、泡立てた洗顔料で顔を洗う。そのまま髭を剃って、流す。今日はどんなことがあったかな…。自分は今ぼんやり考え事をしているな、と思った次の瞬間、僕はバスタオルを持って身体を拭こうとしていた。 あれ、身体は洗ったっけ?? まったく記憶がなかった。頭→顔→身体→流す→拭く、のルーチンに突然入った断絶。いつも使う合成繊維のオレンジのボディタオルは濡れており、シャ

パリ軟禁日記 36日目 祖母と紫雨

2020/4/21(火) 今日は祖母の命日なので、祖母を偲ぶ。 大正8年生まれ、昭和を生き抜き、平成28年に亡くなった。祖父に嫁いでから福岡県八幡に移り住んだ。そこでは、製鉄所で働く人々を相手に日用品等を売る店をやっていたと聞いたことがある。「八幡のおばあちゃん」は祖父が亡くなった後も、一人でそこに住み続けた。70歳を越えて、娘家族(僕の両親)と住みはじめるまでに50年が経っていた。 僕が小学1年生の頃、当時八幡にあったスペースワールドというテーマパークに兄弟と連れて行っ

パリ軟禁日記 33日目 安心と安全

2020/4/18(土) どこまでが安全で、どこまでが安心で、どこからが危険か。 ことヤツについては、妻の方が危険度を判定するセンサーの感度が良い。免疫力を高めるためにビタミンCを摂る、外出後は風呂場に直行してシャワーを浴びる。外出時に身につけたものは洗濯機にダイブ。外出禁止令が施行される以前の僕は、正直そこまで徹底していなかったけれども、ここ1ヶ月で行いを改めた。妻のやり方に合わせておく方が、どうしたって僕たちの生存確率は上がる。 例えば本日、ネットで注文した中華系食材

パリ軟禁日記 32日目 髪の毛と精神

2020/4/17(金) 髪が伸びた。生命活動が維持されていながら、髪を切ってもらうことができない状態にあるので当然である。最後に切ったのは2月14日。もう2ヶ月も経ってしまった。いつも短く切ってもらうので今でもなんとか持ちこたえている(?)けれども、正直どうしたものかと思う。 同様の悩みを抱える人が多いようで、今バリカンがとてもよく売れているらしい。これを機会に坊主頭になるのも悪くない。高校生の時に一度経験したことがある。洗髪は楽だし、普段感じることがなかった空気のブレ

パリ軟禁日記 31日目 僕たちを連れて帰って

2020/4/16(木) 誰かのために置かれた、誰かの本。 それは段ボールに入れられた捨て猫のように、主人が来るのをじっと待ちわびていた。プラタナス が立ち並ぶ通り沿いに、ぽつぽつと設置されたベンチの一つにそれはあった。僕はそれをランニング中にたまたま見かけ、一瞬何なのかわからず、一度通り過ぎてから戻って何なのかを確かめた。 大きめのジップロックの透明な袋に何かが入っている。手紙のメモのような紙が上にあり、その下に本が3冊入っていた。僕は家路を急いでいた。外出禁止令のため

パリ軟禁日記 29日目 日記をデータで振り返る

2020/4/14(火) パリで軟禁生活が始まってから4週間が経過した。うまくいけば、ここが折り返し地点になる。あと4週間を乗り切るために、今日はこれまでの振り返りをしてみよう。 ◆日記 まずはこれまでの日記をデータで振り返ってみよう。図を参照されたい。 平均をとると、1回の日記で約1200文字弱を2時間ほどで書いている計算になる。原稿用紙で3枚弱。2時間ぶっ続けで書く日はほとんどなく、最初の30分から1時間は「さて何を書こうか」と考えたり、その日の新聞を読んでネタを探

パリ軟禁日記 27日目 外国語小説と異国の山

2020/4/12(日) 外国語で小説を読むことは、異国の山を登ることに似ている。 単語は一本の草花であり、岩であり石。文章は小道、章の切れ目は見晴らしの良い休憩地点だ。登山道が整備されている山もあれば、獣道を行く険しい山もある。外国の山を登る時は、目印も周りの登山客も異国の人。そんな見知らぬ土地であっても大丈夫。僕たちは何をすればいいか心得ている。一歩一歩、踏み出して進むのみ。 異国の山は高度も気候も日本のそれとは異なる。何より「言葉」という特殊な登山靴を準備していなけ