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【小説】『エニシと友達』4/12

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(12回中4回目:約3200文字)


 会話もある程度は成り立つようになった、しかしまだ5歳にも満たないある日から、エニシの目に見えるモノが、ただ女性一人の姿になった。
 その、女性というのがまた、ほとんど何も身に着けてはおらず、目の細かいパーマを当てた黒髪も、身体中も、割れた額にさらされた乳房に太ももの間から流れ出る血にまみれていて、頬を伝う涙は赤く色付いて見えるほどに、怨念のこもった両目を血走らせている。
 およそ子供に見せて良い姿ではないが、そこに気付ける大人達がこの家にはいない。止めてくれそうなドロドロも、なぜか見当たらないので、エニシは自身に掛けられていた、おひるね用のこども布団を女性に向けてみたのだった。

 -- えっ!

 すると女性はものすごく驚いた表情を見せて、エニシも驚いたのだが声(らしいもの)も聞かせて、途端に消えた。空中にキラキラは漂っていないので、いなくなった、わけではないらしい。
「どうしたエニシ。またお友達が来てんのか?」
 そうした時は決まってまずエコーが、ニヤついてくる。
「うん。来てたんだけど……」
 そして時々チャーリーが、太くあたたかな腕っぷしで抱き上げてくるのだが、
「もうそろそろ『お友達』は見えなくなっていいんじゃないのか?」
 説教も、抱っこした顔を間近に見合わせながら言ってくるので、エニシはチャーリーからの抱っこがあまり好きではない、と言うより、どっちなのか前もって決めてからにしてほしい。
「見えるとか見えないとかじゃなくて、いるんだよ」
「いない」
 説教に入るとチャーリーはエニシの口答えなど認めないし。
「俺達には、何も、見えていないんだ。見えないものをいつまでも見えるみたいに言ってたら、お前、ここが足りないと思われるぞ」
 頭のこめかみ辺りをつっついてくる、指の力も強すぎるし、ニヤニヤ笑いながらでエニシはふくれそうになるけど、ふくれてしまえば次はきっとものすごく怒られる。「分かりました」とか「ごめんなさい」しか出せる言葉が無い。
「あなた」
 女の人が夫を呼ぶ時にだけ使うような言葉を、ミルカはチャーリーがいる時にはチャーリーに、チャーリーがいないヽヽヽ時にはアルファに掛けた。
 それを聞く度にエニシは、賢い人だ、というフォックストロットの評価を、フォックストロットがいる時にもいない時にも思い出す。
「エニシは、まだ、子供。子供で良い、でしょう?」
 とりわけチャーリーにその効果は絶大で、
「ああ。まぁ。そうだな」
 とか言ってクシャクシャと、エニシの頭を撫でただけで下ろしてくれた。

 次にエニシが女性と目を合わせたのは、やはりおひるねから目を覚ましたばかりの、こども布団のそばで、額に胸の血は止まって固まったようだが、涙を流したまま見開いた両目はまだ血走っている。

 -- なんでっ? なんで子供がいるのっ?
    もしかして、ねぇあんたミルカの子?

 言葉そのものは分からない、エニシにとっての外国語のようだが、とにかく情念が強いらしく伝わってくる。それでなくとも「ミルカの子」かどうか訊かれた事くらいは分かったので、頷いて見せると、

 -- うわぁっ♪

 と笑顔になって、さらした乳房の前に両手を組み合わせた。目は血走ったまま眉間のシワもくっきり残っているが。

 -- え。だけど何。じゃああんたの、父親は?

 言われて見回した部屋の内には、丈の低いテーブルを囲んで堅いイスや一人掛け用のソファーに座る、デルタとフォックストロットと、一番広いソファーには、ミルカを隣から抱き寄せて、乳に太ももも軽く揉むみたいに撫で回し続けている、チャーリーがいて、
 今ここにいるのがアルファだったら、エニシは少し迷ったかもしれないが、チャーリーだったのでためらいも無く指を差した。
 すると女性は、なんとなく予想なら出来ていたが、日が陰って暗くなったように感じたほど、部屋いっぱいにふくれ上がって、
 それまでに見えていたモヤモヤも、ドロドロも、いなくなったわけではなくこの女性ただ一人に寄り集められていた事を知った。
 そしてエニシには理解できず、従ってどれ一つとして覚える事も出来なかった、ありとあらゆる罵詈雑言を、もちろん激しい憎悪を込めて、主にチャーリーに向かって、浴びせかけている。それなのにチャーリーときたら御陽気に、ガハガハ大口を開けて笑っていて、その一切に全くもって、顔の産毛の毛先が動いたほども気が付いていない!
 エニシには、憎しみを浴び続ける父親(の一人)よりも、気付かれない女性(の集合体)の方が、かわいそうに思えた。
「ミルカ」
 と声を掛けたのはデルタだが、その前にフォックストロットが、デルタの袖を引いて気付かせていたようだ。
「どうした?」
 声を掛けられたミルカは、少し離れた壁際から見上げているエニシにも分かるくらいに震えている。
「なんだか……、急に、寒くて……。変よね今……、夏なのに……」
「ん? 夏だが汗がかきたいか? 俺がたっぷりかかせてやろうか」
「やめて」
 と聞こえた声も弱々しい。フォックストロットが多分やわらかく作った笑顔をチャーリーに向けた。
「エニシが、起き出してるから」
「なぁに。エニシはお友達と……」
 半笑いで壁際を見やったチャーリーが、エニシと合った目を「おっ」と逸らす。
「顔色が悪い。本当に。部屋で、休ませる」
 ミルカの手を引いて立たせるデルタにも、チャーリーは半笑いだが、
「おいおい。心配しなくても、俺が気持ちの良くなる超特大のお注射を打ってやるってんだ」
「そういう冗談しか言えないのあなたって!」
 涙目でミルカから睨まれると、さすがに笑いは引っ込めた。
「無理は、させられない」
「夕飯を……、そろそろ、支度しないと……」
「今日は俺がやるから」
 ミルカとデルタが連れ立って出て行くと、チャーリーは広いソファーに腰を落としてふんぞり返り、雑な鼻息と同時にぼやいた。
「あの野郎、彼氏気取りでいやがって」
「夫は決まっちゃってるからさ。あのくらいは仕方ないよ」
「お前は毛嫌いされてるしな」
「うん」
 立ち上がったエニシが近付いて行ったので二人は、話をやめる。
「お母さん」
「大丈夫。しばらく休んでまだ具合が悪そうだったら、お父さんがお医者さんに連れて行くよ」
 地域の人々からはそう思われているので、家の者達はデルタを「お父さん」と呼ばせようとするのだが、
「お父さんが連れてってくれるの?」
 そこは分かっていてわざとチャーリーをそう呼び、チャーリーの、困りつつも満更でもない何とも言えなくなっている表情を見るのが、エニシの密かな、ちょっと暗い方面での楽しみだった。
「いや。俺は行かないが……」
「ええ? どうしてぇ? もっとお母さんに優しくしてよ」
「優しくしてやってるってんだ。この上なく」
「泣きそうだったじゃないお母さん。苦しそうなのにお父さんちっとも聞いてくれないから」
 その間のフォックストロットの表情にまで、気を回せるほどエニシはもちろん大人ではなかったが。
「それよりエニシ、お友達はいついなくなったの?」
「ん。分かんないけど多分、お母さんが苦しそうになった時くらい」
「そう」
「きっとビックリしちゃったんだよ」
 思っていた人と違う人が苦しんだから、と続けそうになったのはエニシは、飲み込んだ。
「お友達とはいつも、どんな話をしているのかな」
「お友達しゃべれないよ」
「しゃべれないのか」
 なんだ、とチャーリーが苦笑してくる。
「色とか形が変わるから、それで『うれしい』とか『仲良くしたい』とか分かる感じ」
「そう。エニシには、良い子なんだね」
「みんながみんなじゃないけどね。イジワルしてくるのもいるけど、止めてくれるのもいるし」
「おい一人じゃなかったのか」

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