青年海外協力隊として活動した「第二の故郷」がある方に伝えたいこと
今まで青年海外協力隊(JICA海外協力隊)として活動をされた方に、力を貸していただきたいです!
日本より安全だった任地が戦争に
初めまして。中野貴行と申します。
2008-10年4次隊として、シリア北部の街マンベジ(アレッポ県のちょっと田舎の方)で、村落開発普及員(現在のコミュニティ開発)の職種で活動をしていました。
僕の第二の故郷であるシリアは、隊員生活が終わって1年後(2011年)から、ずっと戦争状態にあります。
任地は一時期、テロリストに占拠され、何度も訪れた小学校の校庭が、処刑場になりました(今は解放されました)。
自分の目で状況を知りたいと思いましたが、あまりに危険だとシリア人からも言われたので、2015年から、シリアの人たちが難民として逃れた中東・欧州10カ国を訪ねました。
その経験をもとに、団体を立ち上げ、今では3000人以上のシリアの子ども達に教育を届けています。
2023年にはニューズウィーク日本版「世界が尊敬する日本人 100」にも選ばれました。
しかし、戦争は12年以上経った今も続いており、任地にも砲弾が飛んでくるよ、と古くからの友人からも連絡が来ます。
2月の地震の際も、戦争による分断で支援が届きにくい状況があったことも聞き、自然災害への支援にも戦争は影響しています。
僕の隊員時代、治安面で日本より安全だったシリアのこうした状況を受け、「平和の大切さ」を改めて感じます。
支援届きにくいシリアに、平和の礎を築きたい。
その想いを込めて、皆さんから寄付を集めて、幼稚園・小学校・難民向けの補習校を運営しています。そして、団体のゴールは、支援が不要になること、そして「シリアをまた行きたい国にすること」です。
協力隊として任地で活動をしてきた経験があれば、「任地が戦禍にあること」「友人達に再会ができないこと」の辛さを、より身近に感じていただけるかと思い、お願いをさせていただきました。
どうか、できる範囲で、僕の活動に力を貸していただけないでしょうか?
10月31日(火)まで、実施中のクラウドファンディングへのご支援
1日33円から。継続的な教育支援の応援
SNSでのフォロー、またはイベントへのご参加
僕のシリアでの活動
皆さんと同じく、2年間の協力隊生活は、現地の人たちにむしろ「助けられ」ながら、「家族」とも言えるような友人たちと、温かな時間を過ごしました。
語学訓練があったものの、実践は全く違いますよね。
通じない言語に凹みながらですが、下手なアラビア語を懸命に理解しようとしてくれる優しい人たちも多く、「どこで何が買えるか」「どこでバスが乗れるのか」という、「生きていくためのすべて」を教えてもらえたおかげで、2年間を「よかったなぁ」と振り返ることができました。
母子保健の活動だったのですが、僕は「元気とヤル気」しかありません。(面接で「何ができますか?」と聞かれて、「笑顔です!」と言ったほど)
なので、
① 現地の言葉・文化・生活習慣を知ること
② 現地の人たちの本音が聞ける人間関係を作ること
③ 見えたニーズに対応できる人にお願いをすること
という活動方針を決めて、とにかく人に会い続けました。
精一杯、できることをやりながら、信頼を積み重ねて活動はしてきたつもりです。とはいえ、「僕に何ができたんだろう?」という気持ちは拭えませんでした。
あなたのおかげで夢が持てたの。
2年間ほぼずっと通い続けた村の、第二の家族ともいえるシリア人家庭の三女は、僕のレベルに合わせたアラビア語を使って、村での生活のこと、文化、風習を教えてくれて、活動で使うポスター作りを手伝ってくれたり、とカウンターパートのような存在でした。
任期が終わる少し前、彼女に将来の夢を聞くと、「お金持ちになりたい」と言いました。理由を尋ねると、
それを聞いて、すごいね!応援するよ!と僕は言ったんですが、
僕がシリアでできたことはほとんど無いかもしれません。
でも、この子が大きくなった時に、村を、地域を、ひょっとしたらシリアや世界を変えるかもしれない…と思えました。
それなら、僕がシリアで過ごした2年間も価値があったんじゃないかな、って思えて、彼女には本当に感謝しています。
そんな大切な人がいる国がシリアです。
そのシリアが2011年から戦争になり、
2015年に彼女が住む村を、テロリストが襲ったのです。
「シリア=かわいそう」って思ってほしくない
居ても立っても居られなくなり、シリア周辺国を周るところから始め、2016年からPiece of Syriaという団体を立ち上げて、活動をしています。
シリアは、大好きな人たちがいる国です。
なので、シリア人って「かわいそう」な人たちだよね、って思われるのは嫌だなぁと思いました。(皆さんもきっと共感していただけると思います!)
なので、シリアの美しい文化や遺跡、人柄がわかるエピソードを伝えながら、「課題以上に、魅力を伝える」ことを大切に活動をしています。
それを2016年に5分の動画にしたところ、「国際平和映像祭」で賞もいただきました。
協力隊での活動当時、携帯電話はあったものの、ガラケーの時代です。
「まぁ、いつでもシリアに帰れるし、高い料金を払って国際電話をかけるのもなぁ」と思って携帯電話の番号もメモしていませんでした。
また、SNSは僕も現地の人も使っていませんでした(mixiの時代です)。
ですが、不思議なことに、Piece of Syriaの活動を始めると、任地の村の友人が「元気か?!」と、Facebookで僕を見つけて、連絡をしてくれたんです!
(と言うか「元気か?!」は、僕のセリフです!!!)
そして、出稼ぎ先のレバノン(シリアの隣の国)で感動の再会をしました!
小学生だった男の子が、僕にランチを奢ってくれて(シリアの文化で「客人におもてなしをする」というのがあるため、お金を受け取ってくれなかった)、言葉にできない思いでした。
夢の話をしたのは彼の姉で、彼女は結婚して子どももいるよ、と無事であることがわかり、本当に嬉しかったです。
僕の活動が終わる時
本当のところ、「支援が要らない」のが理想です。
なので、Piece of Syriaも毎年「今年で終わりにしよう」と思いながら活動をしていました。ですが、戦争は続き、その間も教育を受けられない子ども達が出てきています。
「戦争が終われば、全ての問題がなくなる」という状況ではない…と感じ、2021年にNPO法人化し、今は認定NPO法人に向けて準備をしています。
まだまだシリアは平和とは言えない状況です。
ですが、いつか戦争が終わり、今の子ども達が平和を、復興を実現し、シリアを訪れて、夢の話をしてくれたあの子に伝えたいと思っています。
あなたのおかげで夢が持てたよ。
子ども達の夢を応援する学校を作ってるんだ。
って。
あなたも一緒に応援していただけませんか?
読んでいる方が「面白い!」と思ってもらえるような形で、私たち国際協力夫婦らしい形でサポートを使わせて頂きます。めぐりめぐって、きっと世界がHappyになるような形になるように!