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そういや透明のコーヒーって定着しなかったな

R-1などのコンテストを見ていると、自分がもしここに立ったら何位くらいなんだろうな。と勝手に想像したりする。

お笑いのコンテストを見ても売れる人もいれば、売れない人もいる。

1位をとったからといって売れるわけではないし、2位でも売れる可能性はある。

そういう意味では人生どうなるかわからない感じはある。

透明のコーヒーも歯への色素沈着が心配なくなって、かなり素晴らしい商品であるかのように見えたが、実際の所、一発屋のような扱いになってしまった感はある。

もしかしたら私の知らない所で営業を頑張ってるのかもしれないが、スーパーに常に置かれているような感じではなくなった。

一見、すごい技術だし、美白ブームで歯を白く保てるし、コーヒーに多くお金をかける人が増えている現代だと流行りそうなものだが流行らなかった。

別に私はコーヒーを普段そこまで飲まないし、紅茶派なのであまり気にしてなかったが、不意にこういうことをふと思い出すことがある。

そういやあの芸人いま何してんのかな。とか、まだ続けてんのかなとか、芸人に限らずなんか印象に残っていて気になる時がある。

何をキッカケに思い出すのかわからないが、きっと何か自分の人生に不満があるのかもしれない。

自分が思っているほど上手く行かなかったり、成果が出なかったりすると、失敗例や成功例を探そうと脳が勝手に考えている。

何かをやってみて成功したと思っても長く続かなかったり、成功と言えるほどのヒットじゃないにしても、ほそぼそと売れてるとか、一概に成功や失敗という線引きは難しい。

私のいまやっている仕事は無理なく出来ている。ただ、これを続けていても自分の欲しいものは手に入らないし、生活が劇的に向上するものではない。

そういう思いを持っている人は多いと思う。

週5で出勤するより4日とか3日にできるなら嬉しいし、通勤時間も短いほうが良い。

いろいろ不満はあっても簡単には変えられないものである。

体を壊すくらい物凄い不満だったら辞めるかもしれないし、1年働けば普通の人の10年分くらいの収入が手に入るなら、3年働いて辞めるかもしれない。

結局じっくり長く続くというのは、可もなく不可もないレベルのものなのかもしれない。

ものすごい給料が高いわけではないけど、普通に人ひとり生きていけるし、結婚も相手が同じくらいの所得水準なら普通にできるとか、見通しが立てば、可もなく不可もない生活で徐々に向上していける可能性がある。

結局の所、人間が求めているのは物凄いレベルの高いものではなく、可もなく不可もないくらいのものかもしれない。

レベルの高過ぎるものとか、レベルの低過ぎるものというのは、すぐに飽きるとすれば、可もなく不可もないものに落ち着く。

すごいハイテンポなリズムネタで出てくる芸人がずっと何年もリズムネタをやっていないように、まずは一発それで世に出て、徐々に可もなく不可もないに落ち着いていく。

芸人に限らず、社会全体はそういう感じで動いているのかもしれない。

過度に面白いとか、過度につまらないというのも慣れてくると何とも思わなくなってくる。

そうなれば、はじめから可もなく不可もないラインで評価されているものが根強く残っていくことになる。

売れないだろうと思った芸人がずっと売れていることもあるし、売れないと思ったらやっぱり売れないこともある。

社会の需要というものは変わってきているし、それに合わせて人の心理も変化している。

よく言われるのが2~3年先の未来を先取りするのは良いけど、10年先を先取りしても売れない。ということである。

10年先を見据えるならしっかり10年待って10年後にリリースしなければいけない。

そういうのは生物の進化に似ている。

進化というのは環境に適応することである。わたしはゆとり世代だと思っていたら、最近はZ世代などという呼び方もあるらしく、自分は何世代なのかわからなくなってしまったが、私達の世代が考えていることと今の50代が考えていることは正直言って全く違う。

後に生まれた私達のほうが進化しているとは思わないが、上の年代の人の考えを聞いても、半信半疑というか、的を得てる人もいればそうでもない人も多い感じである。

別にそれは同世代でも結局そうなのだが、そうなると可もなく不可もない人の意見を参考にしたくなる。

10年前でもなく10年先でもなく大切なのは今なのだが、私の短い人生でもいろいろな人の人生の一喜一憂を見ることがあるんだなぁと思う。

人生にゴールというものはないので、何年か過ごしたら桃鉄のようにゴールするわけではないし、お金を1億円貯めれば神様になれるわけでもない。

キングボンビーは居ないが、ふとしたことで身近にいる人が豹変したり、信じられない事が起こったりするものである。

もちろん豹変するのが良い方向もあれば、悪い方向もある。

渡辺直美さんがニューヨークへ行くというのは、個人的にはすごい嬉しかった。

私もずっと海外に行きたいと思っていたけど、思っているだけで人生終わるんじゃないかという不安と戦っている。

直美さんも20代からずっと言っていたらしい。周りも多分『そういう事言う人たまにいるなぁ』くらいに思っていたのかもしれないが、何ヶ月か留学して体験してみたり、海外でモデル活動したりインスタでオシャレな写真とかスッピンのライブやってみたり、いろいろ実って今海外へ行けたということだと思う。

もちろんこれから軌道に乗るのかどうかわからないが、なんとなく体型が日本より海外の方がウケそうだなというのもあるし、ビヨンセの口パクの要領で、他の曲でも海外展開しやすいだろうな。というのは想像しやすい。

私達の世代の傾向かわからないが、海外に出たいという人が多い気がする。

留学して日本でキャリアアップを目指すというよりは、普通に海外で生活したり働いたり、キャリアの拠点を海外にするという人が目立つ感じはある。

あれだけアメリカのビザが取りにくくなっている中で、ピースの綾部さんが何してるかわからないがずっとアメリカに滞在できているというのもすごい実力だと個人的には思っているが、渡辺直美さんは活躍が日本にも轟くくらい頑張ってほしい。

なんか人の夢を背負っているような人とか、人に応援してもらいやすい人というのは常に第一線で頑張っているような印象もある。

世の中いい人も悪い人も、どちらでも金持ちはいるが、必要悪という言葉もあるように、叩かれる悪人も必要なのかもしれない。

そんな中で自分が浮世離れしているような感覚にもなる。

夢が叶うのか叶わないのか、何かしらヒットする兆しがあるのか見えないと全く現状が何をしている状態なのかわからなくなってくる。

可もなく不可もない状態というのは一番長く続きやすい。だから多分、不満を言いながらもダラダラ働くような状態が続くのだと思う。

そこから抜け出すと、可か不可になる。そしてまたそれが慣れると、可もなく不可もない状態に収斂していくことになる。

結局どこまでいっても同じような感覚になるのかもしれない。

成果とか何も関係なく自分の人生を好きなように生きている人が羨ましく見えても、腐らずに黙々とやるしかない。

自分の生き方というのは変えられるものではない。

考え方であったり、積み上げてきたものがあるほど崩すのが難しい。逆に言えば、積み上げていない人にとってみたら捨て身で挑戦できるし、その分チャンスもあると思う。

視野が狭くなってチャンスを潰してしまうのはもったいない。そういうこともあって、私達の世代は海外思考が強いんじゃないかと勝手に考えている。

なるべく好きなことをして生きれるように、人生を組み立てる重要さは認識する必要がある。







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