アートと人
昨夜は、ここ横浜鶴見でも大きな揺れを感じました。
展示作品、保管作品ともに今のところ無事のようであります。
被害に遭われた各地の皆さまに、心よりお見舞いを申し上げます。
私たちは「あの日」から、どれだけ変われたでしょうか。
社会はどれだけ災害への備えを育むことができたでしょうか。
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私は「あの日」と思う日が、二つあります。
ひとつはもちろん、東北を中心とした東日本大震災があった日、そして、それからの日々です。
もうひとつは、まだ2000年代を迎える前であった、1995年の阪神淡路大震災があった日です。
1995年、当時、私はまだ大学2年生でした。
人を避け、殻に閉じこもるような生き方をしていた私に、阪神淡路大震災は大きな衝撃を与え、それは次第に私自身の殻にもヒビを入れていくことになりました。
このままでいいのか?という自問自答の末、私は次第に障がいを持つ方の生活支援を志すようになっていました。
それまでの殻に閉じこもるような生活・生き方から、人のさまざまな感情や、生の現実が渦を巻く世界へ。
生き方が180度変わるような転換でした。
そしてそのような生き方を、時に離脱しながらも約20年ほど続けて参りました。
しかし今は縁あって、父の仕事を継ぎ、アートギャラリーをこの横浜鶴見で、一人作品と向き合いながら、運営をしています。
これもまた、180度の転換であったかもしれません。
さて、アートに社会を変える力はあるのでしょうか?
そして、人の生き方を変える契機をもたらすものでしょうか?
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結論から言えば、今の私は、そのような命題をあまり持たず、できるだけ一つ一つの作品に、ただただ向き合おうとしています。
そして、一つの作品が、さまざまな人と出会い、縁があって一人のお客様のものとなっていく機会を、ただただ見守る、そういう日々を送っています。
アートは生物ではないものの、生命があると思います。
それは人の命ほど重いものではないのかもしれませんが、人の人生を変えるほどの、ありえない力を持った、不思議な生命力を持った、特殊な存在です。
ある意味で、アートは、災害や、人が直面するさまざまな不条理、社会の矛盾に対して、個々の場面では無力かもしれません。
ただ、人の悠久の歩みの中で、アートは確かに、私たち人というものの歩みを、見守り、育ててきたもののひとつなのではないかと、そう感じます。
私はまだ、このアートに関わる仕事の修行を始めたばかりです。
まだまだ分からないことも多いのですが、いま申し上げたようなことを感じながら、そしてそういう営みに関われたチャンスを不思議に思いながら、いまできるだけのことをしていきたい、とそのように思っています。
長くなりましたが、コロナ禍という災害、そして地震を初めとする様々な自然災害が繰り返し襲う、この世界。
きっとアートは、それらを私たちが乗り越えていく、そして乗り越えられる社会をつくっていくために、力を貸してくれるものと信じて、私は今日も歩みを前へと進めたいと思います。