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記事一覧

ゆれ続ける

流れ去る景色に滲んだ背骨を縛られて
やがて肉体に対する嫌悪は怒りに変わり
時間は輪郭を持たない影たちに付き添われ
暗い瞳で硝子に映る見知らぬ顔を覗き込む

部屋

いってきますと
後に残した空白に声をかける
たぶん部屋はいつまでもそのままに
欠けた心の帰りを待ち続ける

読書

窓辺に枕を置いて横たわり
読みかけの開いた頁を胸にのせ
眠るわけでもなく目をつむり
休日の昼の明かりをめくり読む

眠る前に

おやすみなさいと
誰に言うでもなく口に出してみる
すると遠く離れていた眠りが
そっと優しく側に横たわった

柔らかい月

口から零れた昨日の私を拾い集めて
ひと欠片ずつそっと指先で繋ぎ合わせる
繰り返し行われてきたささやかな儀式は
足元に積み重なってゆく幾つもの体と共に
見慣れた顔を過ぎ去った輪郭の裡に失くし
組み上がった歪な姿に乾いた声を聞く
恐れは消え覆う土の温かい静けさだけが
閉じた瞼を柔らかい月に向かって開かせる

坂道

足元に広がる空に向かって
水底の小石の中を落ちていく
体は月明かりにはためいて
暗い水面は澄んだまま
僕の重さに流れる風が驚いた

広場

一羽のすずめが側にやって来た
ぴょんぴょん飛び跳ねながら
ときおり思い出したかのように
立ち止まっては首を少しかしげ
小さなつぶらな瞳で僕を見上げた

空っぽの青いポケットに触れて
何も入っていないよと言うと
すずめは音もなく身を翻し
わかっていましたという風に
軽々と仲間のもとへと飛び去った

一羽のはとが足元にやって来た
ぴょこぴょこと足を引きずって
ときおり微かに喉を鳴らし
折れ曲がった赤い

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階段

I

君の手が
暗い光を放つ手摺りに触れた時
僕はかつてここが
深い森の中であったことを思い出した

深い深い森の中
梢が幾重にも重なり合い
僅かな光もその葉に捕らわれて

延々と編み上げられた静物の
誰の目に触れることもなく
誰をも逃さぬ陰影の奥底で
君は白く柔らかい光を放っていた

深い深い森の奥
存在し得たはずの全てから
誰一人に気づかれることもなく
厳かに築かれた景色の中で

澄んだ街の匂

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朝を待ちながら

ある朝目覚めると僕の祖父は見ることを失った
病気の妻と幼い子供と共に生まれた地を離れ
病院を転々とした後、微かに光を取り戻したが
それでもその殆どを失ったまま寝床から
起き上がることのなくなった祖母の跡を追った

ある朝目覚めると僕の父は聴くことを失った
妻と子供達を負った頑健な身体は病み衰え
病室に座り込んだ後、僅かに音を取り戻したが
それでもその殆どを失ったまま自らの
かつての姿を忘れられずに

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子犬

ダンボール箱から子犬が僕を見上げていた
不安そうな顔をして悲しそうに鳴いている
思わず近寄り両手を差し出し抱き上げた

湿った鼻先 折れ曲がった耳に潤んだ瞳
しがみ付こうと太く短い足を突き出して
弱々しく鳴きながら微かに身を震わせた
腕の中の毛むくじゃらな小さな体は暖かい
僕はこの栗毛色を連れて母の待つ家に帰る

こうなるのは最初から分かっていたけれど
僕は泣きながら胸に抱えた生き物を連れて
いま

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本質

私は壊れた景色
いつもどこかが歪んでいる
言葉では説明できないけれど
ただそこにあるだけで
何かが少しずつ崩れてゆく

私は景色であるがゆえに
確かな身体を持たず
自分を見ることもできない
ただ私を映すその瞳の中に
いつも困惑の徴を見る

欠けているわけではない
ただ私の存在ぶん余計に
調和は平衡を失う

動物が生まれながらに
立つことを覚え
食べることを覚え
鳴くことを覚えているのなら
そしてそ

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空っぽの浴槽に柔らかい手を差し入れて
確かめるように在るべき身体を掬いあげる
掌の裡の幽かな重さは透明な面影を残し
少しずつ指の間から零れ落ちた

子供達

はしれはしれ子供達
その気持ちでいられるのもいまのうち
いつかオオカミがやってきて
ばらばらになった靴だけが
君をすこし思い出す

浴室

I

 洗面鏡に備え付けられたスイッチに触れ僅かに力を入れる。プラスチックの枠が撓み、指先の傾斜が滑り落ちる。乾いた音。橙色の灯りが点く。眼前の電球が熱を放ち始め薄い瞼が熱くなる。台所から差し込む光は姿を消し、朧気な部屋の輪郭は掘り起こされ、露わになった影は無防備な縁を纏う。肌寒い季節、明かりの色は暖かい。白い壁紙、白い洗面台、白い洗濯機、白い色の全てが夜の許で陽に染まる。あるいは秋の色。その下で

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