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信じないという自己防衛



しとしと雨、霧の中は心地よい


きっかけがあったかすら、忘れてしまったけど
「他人に期待しない」というマインドが
いつも私のそばにいた。

だから勿論、自分にも期待しないのだけど
そうすると世界の全部が脱力して見えてくる。


仕事でのトラブル、友人の遅刻、恋人の裏切り
例えばそんなことが起きても
「他人に期待しない」から
平然とした顔をしていたと思う。

そういう何かが起きて、時間が経つと
決まってその出来事を思い出す。

「あの時、受け入れたけど冷静に考えるとオカシクない?」

と、思う。


だけども

「まあ、でもでもまあいいか」

で、済ませる。
明らかに理不尽な出来事だとしても
「所詮人間だから仕方がない」

あれ…でもこれってちょこっと違うよね問題点から目を背けているよね。
怖がってるよね。向き合うべきだよねえ!
と、気がついていても


人を信用すると、裏切られたときに
傷つくのは自分だから
だったら最初から期待しないし
信用しない
信じる対象を人にしない

そうそう、それでいい

と、19歳の私は豪語していた。(随分捻くれてんなあ)


いつしか許容の姿勢がバグって
判別がつかなくなってしまっていたのだ。


いつしか
「人に期待しない」から

「人を信じない」

に、シフトされていた。


時と場合によっては、かなり使える。うん。かなり使える。

だが、これを徹底することにより
本当は信じたいもの・信じてほしいもの
から、目を背けることになってしまう。

いつかのあの日は、きっと、
自分を守る方法が
これしかなかったのだろうと思う。


でもそれってさみしい

信じたいと思うものを信じられないのは
これからずっと付き合っていく
自分自身のことも信じてあげていないことになる


これに気がついた時、一枚の厚い壁を破けた気がした。


裏切られてもいいじゃないか

裏切られたって、人生は続くし明日くるし
大切なものは全部持っている

ご飯は美味しいし、クレープは甘い

……………と!!!!!


時には、こちらの自己防衛も必要だと思うけれど
何事もやりすぎは良くない

終いには、ずっと一緒にいる自分のことすら
信用できなくなってしまう

この世に確かなことなどあるのかと
不安や恐怖に苛まれることもあるけど
いつだってご飯は美味しいし、クレープは甘い

のです!!!!!!


だけどな…でもな…人間ってな…変わるからな…

と、今日も自己防衛を始めるのです
先行き怪しいな

そんな一面も受け入れて
それでもいいよと言ったげて



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