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本を片手に想うこと。

読書の秋・食欲の秋というような素敵な言葉は、一瞬にしてとおりすぎてしまったような少し冬を感じる気温。気づけば日が落ちる時間の速さに驚く日々。年々に、夏の後の秋があっという間にすぎさってしまう気がする。今は、ちょうど中間くらいなのだろうか?

そんな季節を感じながら、町田そのこさんの「星を掬う」を読んだ。もちろん、今日も今日とて、読書感想文のような文章は書けないと思うw。しかも、町田そのこさんの本は最近読み始めたばかりで、「52ヘルツのクジラたち」に続いて、「星を掬う」の2冊だけ。


だけど、この2冊がなんとも言えない気持ちになって、何かを書きたい気持ちになった。だけどそれがうまく口からは出てこない。ただ、なんというか同じような経験をしていないので「わかる」というには、全く至らない。が、そういう経験をすれば、そういった考え方になるような気もする。きっと、同じ気持ちかも。いや、こんな心をえぐられるような体験に自分は耐えうるのだろうか?もしも、その場にいたのなら、もしかしたら自分も同じ行動をとっているのかもしれない。と、ひたすらにその状況を想像し、考えていく。時に同じような状況もあればかけ離れ過ぎた場面でも、この人の立場なら、どうやっていったのだろうかと考えてしまう。町田そのこさんの文章に、惹きこまれ涙する。

もちろん、町田そのこさんに限らず、ずっと心に残っているものや自分の言葉にならない気持ちを、なんて鮮明に書いているのだろうか?と感動する人達の作品や、最後はこういう展開だったのか等、考えもつかないストーリやなと度肝をぬかれる作品など、心に残るものは数知れず。原田マハさんもそのうちの一人。「本日はお日柄もよく」は、とめどなく涙があるれる部分があった。(それはあまりにも自分の気持ちがリンクする場面が一部あったから)こんなにも繊細に気持ちをくみとってくれる人がいるのかと。 なぜにそれが書けるのか?なぜにこんな文章になるのか? 

NOTEを書き始めて、1年半くらい過ぎた今。そのすごさを改めて思う。文章でここまで人の心に入り込んで、染みわたること。想像が想像を読んで、感情が溢れ出てくること。そんな文章が書ける人達の頭は一体どうなっているのだろうか? 

もともと文章を書くこともなく、苦手であり、国語も漢字もさっぱりな私であるが、そんなこんなも乗り越えて(いや、全然乗り越えてもないけども!笑)Noteを続けてよかったと思うことは、本当に「書く」ということの難しさを感じられたこと。そして、その難しさを感じるゆえに、素敵な文章に出逢った時の感動が大きくなること。どんな人が書いているのだろうか?と勝手になんとなく人物像を想像して、楽しくなること。人を魅了する文章をすらすらと書ける人達を素直にすごいと思えること。

文を書くということは、想像力をもって相手や周りへの思いやりも大切だといことを、ほんの少し、ほんのちょっぴり体験できた気がした。

今日はカプチーノを飲みながら。


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