見出し画像

匂いの記憶

あなたにはお気に入りのラーメンがあるだろうか。

私にはいくつかあるが、
その中でも一つだけを上げろと言われれば
生まれ育った京都にあるラーメンである。

この記事の中では店名までは上げないが、
その店は私の実家から歩いて5分ほどの場所にあり
私が子供の頃からラーメンといえばココという
店であった。

その店も今や何号店かまでができており
いわゆるチェーンのようになっているのだが、
私はその店のラーメンがいまだに一番だと思っている。

そんなお気に入りのラーメン屋なので
実家に住んでいた頃には
時々昼ご飯に食べに行ったり、
お酒を飲んだ後にふらっと食べに行ったりしていた。

しかし、社会人になり実家を離れてからというものの
なかなか行く機会が減った。

実家に帰るときには基本家族と一緒であるし、
大抵母が孫たちに向けて張り切って料理を作っている。

なので、そのラーメン屋に食べに行くとすれば
仕事で京都に出張に行った時ぐらいで
頻度としては年に1回ぐらいである。

その店はかつてはラーメン屋独特の
脂っぽい空気が漂う店内で、
その雰囲気も含めて好きだったのだが
私が大学生ぐらいのときに大幅な改装がされて
今では女性が一人で入れるほどオシャレな
店内になった。

私としてはこの変化は別に気にならなかったのだが、
一つとても不思議なことがあった。

それは匂いが消えたことである。

その店が出すラーメンはいわゆるとんこつ醤油という
カテゴリーのものである。

その店では店の中でとんこつスープを作っていたので
店の中にはとんこつを煮出す独特の匂いが
ずっと漂っていた。

正直にいうと子供の頃はこの匂いが苦手で
両親に「このラーメン屋さん臭い」などと
言ってたしなめられた記憶すらあるほどだが、
ラーメンを食べてみるとその匂いが
不思議なほどおいしさに変わるのを実感し、
いつしかその匂いごと好きになっていた。

しかし、店が綺麗に改装されたころから
店に入ってもそのような匂いが
一切しなくなったのである。

なんならラーメンそのものからも
その匂いが消えたのである。

確かに味は変わらないし、相変わらず美味しいが
あの独特の臭いような匂いがないのだ。

あくまで推測ではあるが、
何店舗か店ができたことでいわゆる
セントラルキッチン方式になったのであろう。

何店舗もの店がそれぞれにとんこつスープを
煮出していては店ごとに味のばらつきが
出てしまう可能性があるので、
スープは工場のようなところで煮出し、
それを各店に配る方式に切り替わったとすれば
店から匂いが消えたのは納得できる。

さらにかつてはラーメンを食べるのは
ほどんどが男性だったような気がするが、
今では女性の方も一人でラーメンを
食べにくる人は少なくない。

客層によってはあの独特の匂いが
苦手という方も少なくはないのであろう。

それで企業努力を重ね匂いを消し
さらに飛躍したと考えれば
ラーメンからあの匂いが消えたのも違和感がない。

だが、昔からあのラーメンを食べていた私からすれば
あの匂いのあるラーメンが食べたいのが本音なのだ。

何度もいうが今もこの店のラーメンは美味しいし、
間違いなく私の中で一番の味なのだが、
決して100点ではない。
それはあの匂いがしないからである。

しかし、私がいくらそんな思いを持っていたとしても
店のポリシーが変わるわけではない。

もうあの匂いには出会えないのかと
諦めて過ごしていた。

そんななか、先日私は家族で隣県に旅行に行った。

妻が某アーティストのライブに行くので
そのついでに家族で旅行にしたのだが、
妻がライブに行く関係で家族で食事をしようと思うと
ライブ終了後まで待たなくてはならなかった。

近くのスーパーでおやつなどを買い込み
子供たちと時間まで待って、
妻を迎えに行ってどこで食事をしようかと
いう話になった。

せっかく来ているのだから
その県の名物を食べようということになり
調べてみると、私たちが宿泊するホテルの
すぐ近くにその県名物のラーメン屋があることが
わかったのだ。

ここなら歩いていけるし、
ラーメンを食べながらビールも飲める。

さらに子供たちもラーメンは大好きなので
満場一致でこの店に行くことになった。

ナビを頼りにホテルから歩いていき、
店構えを見ると、なんとも言えない脂っぽさである。

そして店内に足を踏み入れると、
驚いたことに子供の頃に私が起き入りの店で
嗅いでいたあの匂いが漂っていたのである。

その店のオリジナルラーメンもとんこつ醤油、
まさに店でとんこつスープを
煮出しているところであった。

この時点で私の胸は高鳴った。

料理を頼み、ビールを飲みながら店内を
見まわしていると
娘がボソっと私に言った。

「パパ、このお店なんか臭い」

小さな声で言っていたので
たしなめたわけではないが、
この匂いが一体何なのかを娘に教えてやると
娘はなんとなく納得したようであった。

そうしてほどなくするとラーメンが
運ばれてきた。

目の前に置かれたラーメンから立ち上る湯気。

そして、その湯気の中に間違いなく
あの匂いがあった。

店内だけではなく、ちゃんとラーメンにも
あの匂いが残っていたのである。

もちろん私の実家の近くの店とは
味は違うのだが、
この店も十分に味は美味しく、
私はあっという間に食べてしまった。

そして、不思議なことに
私が子供の頃に家族で実家の近くの
ラーメン屋に食べに来た時のことを
思い出していた。

そう言えば父がこの匂いについて
教えてくれたような記憶がうっすらと
私の中に残っていた。

今は私が父親となり、子供たちを
連れてくる立場になったが、
子供たちがこれから出会う世界には
この匂いはもう残っていないかもしれない。

彼らにとって昔を思い出す懐かしい匂いは
一体何なのだろうか。

匂いが引っ張り出してくれる思い出は
不思議なぐらい明確なものが多い。

親として私も色んな場所に子供たちを連れて行き、
色んな匂いを経験させてやりたいと感じる夜であった。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?