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それは何なんw

もはや有名になってしまったが、
あなたは藤井風をご存じだろうか。

昨年、一昨年の紅白歌合戦にも出場した
いまや日本を代表するアーティストの一人に
なったシンガーソングライターである。

私が藤井風と出会ったのは今から3年半ほど前。
妻が何かで見つけて気に入ったらしく、
リビングのテレビで彼の歌を何度も流していたのを
キッカケに知った。

その時に流れていたがこの曲。

タイトルは「何なんw」

最初このタイトルを見た時、
なんだかとてもふざけた歌なのかと思い
聞く気がしなかったのだが、
いざ曲を聞いてみると、そんな感じは全然なく、
ピアノ・ベース・ドラムスの軽快なメロディに
なぜか岡山なまりの歌詞が上手くハマって
聞いていてとても心地が良い印象であった。

しかも、そんな岡山なまりバリバリの藤井風なのに
見た目はとてもワイルドでイケメン。

男としてはイケメンに対してどこか
嫉妬のような感情が生まれてもおかしくないのだが
不思議と藤井風にはそんな感情が湧かず
何だか奇妙な魅力のある人だというのが最初の印象だった。

それから彼の色んな曲を聞いてその魅力を知り、
妻に至ってはこの3年半で3回ライブに行った。

そうなると子供たちも否応なく藤井風の曲に詳しくなり、
もはや家族全員で”風民”になったのだが、
先日家事をしながら久々に「何なんw」を聞いてみた。

先ほど書いたように、藤井風の曲はどれも
メロディが素晴らしく、
この「何なんw」もメロディがとても秀逸だと思うのだが、
その時はふと歌詞に意識を向けて聞いてみた。

何となく言わんとしていることは
以前から理解して聞いていたつもりであったが、
歌詞を意識して聞いてみると
何だかこの曲の聞こえ方が変わってきた気がした。

それはもちろん悪い意味ではなく、
とてもいいほうの意味である。

藤井風はよく「ハイヤーセルフ」という言葉を出す。

この言葉は一般的にスピリチュアル的な文脈で
語られることの多い言葉であるが、
”高次元の自分”が自分に対してメッセージを送っており
それをしっかりとキャッチして行動することで
人生をいい方向に導いてくれると言われている。

こう書いてしまうと、何だか藤井風は
スピリチュアルに傾倒した人の様に見えてしまうが、
彼自身はベジタリアンであったり、
瞑想をしている様子がしばしば紹介されるなど
見た目はイケメンでワイルドに見えるが
中身は僧侶のような人なのである。

「何なんw」という歌はこのハイヤーセルフの視点から
書かれた歌詞で構成されており、
その前提で聞いてみるととても印象が変わるのだ。

とはいえ、私はスピリチュアルな考え方は
あまり得意ではない。

そこには化学が伴わない気がするからである。

だが、このハイヤーセルフを
”自分自身を客観視している自分”と捉えると
とても腑に落ちる。

私たちは他人の行動を見て
「なんであの人こんなことしてるんやろ」と
思うことはしばしばあるが、
当人は何の違和感も持っていないものである。

それは自分自身の動きは自分では見えないからであるが、
逆に自分自身を第三者のように客観視する視点が
心の中にあれば、私達はもっといい方向に
進められるのではないだろうか。

物語の主人公という視点だけではなく、
物語のナレーターのような視点で
自分の人生を時々見てみると、
人生の見え方は大きく変わってくるであろう。

まさに「何なんw」というタイトルは
ハイヤーセルフからみたら
「なんでそんなことしてんねん」と
微笑みながらツッコまれている歌詞なのである。

このnoteで発信するということは
ある意味で自分の行動を客観視するということにも
つながるのではないだろうか。

自分が体験したこと、自分が取った行動を振り返り
記事にする中で、それを客観的に見て時にツッコむ。

そう思うとこの記事も私ではなく
私のハイヤーセルフが書かせた記事と
言えるのかもしれない。

今日も一日が始まるわけであるが、
明日noteの記事を書く私のハイヤーセルフに
「何なんw」と言われないように
しっかり自分の声を聞いて過ごしていこうと思う。

勢いに任せて肥溜めにダイブするのはゴメンである。


今日は全く別のことを書こうと思いながら
パソコンに向かったのだが、
どういうわけかこの曲が頭の中でループするので
この記事を急遽書くことにした。

ある意味これも私のハイヤーセルフが
この記事を書けとメッセージを送っていたのかもしれない。

もともと書こうと思っていた内容を
明日思い出せなかったなら、こちらからハイヤーセルフに
「何なんw」と返してやろうと思う。

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