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期待を手放すということ

日々色んなイレギュラーが起こる。

予想していたことと違うことが
起るのはある意味で自然なことだが
私たちはしばしばそれに振り回される。

先日も書いたが、今週私は海外法人の
担当者の来日に伴い、
ずっとその対応に当たっている。

昨日は私たちの商品に必要な
原材料を購入しているサプライヤーを
彼らと共に訪問したのだが、
色々なイレギュラーが生じた。

思っていたよりも打ち合わせの時間が延び、
思っていたよりも彼らが反応するポイントが違う。
思っていたより道が混んでいて
思ったよりも色々な要求が出てくる。

昨日はそんな多くの想定外と戦う一日となったので
夕方になりサプライヤーの訪問を終えて
ホテルに戻ってきたとき、
正直私はクタクタであった。

夕食前に彼らが買い出しに行きたいというので
通訳として付き添わなくてはならない。

帰ってから10分ほどであるが、
少し休むことにした。

そして、ふと考えたのである。
「なぜ想定外のことが沢山起きたのか」

自分の想定が甘かった。

私の中にある原因はこれであったが、
果たしてそうなのだろうか。

もちろんそれも理由の一つであるが、
そもそも全てが想定通りに行くと
過度に期待していることが
問題なのではないだろうか。

例えば私の場合、毎日電車で通勤をしているが
電車が何らかの事情で遅延したとする。

本当は帰れるはずだった時間より
20分ほど遅れて到着したとすれば、
やはりイライラしてしまう。

それはなぜかというと、
電車が時刻表通りに来ることが
当たり前だと考えているからである。

よく言われることであるが
海外の人からすれば20分ほどの遅れは
大したことがないという。

当然ながら、彼らは電車が少々遅れても
イライラしないであろう。

昨日の予定が想定通りに進まなかったのは
ある意味で当然なことでもある。

どこまで予想しても渋滞は起こり得るし、
海外の人たちが何に興味を示すかは
100%予想などできない。
ましてや彼らが何を要求するかなど
簡単に理解はできないのである。

にもかかわらず、私は自分がそれをできると
自分自身に対して期待していたのである。

昨日の記事でも触れたが、
これはアドラー心理学の課題の分離でも
同じことが言えるであろう。

相手の感情や周りの動きを私たちは
基本的にコントロールすることができない。

なぜならそれは自分のタスクではないからである。

そう考えると、相手や周りへ期待することは
相手のタスクに対して勝手に期待していることになり、
まさに課題の分離ができていない状態なのである。

アドラー心理学を一躍有名にした
「嫌われる勇気」の続編として出版された
「幸せになる勇気」の中で
登場する青年は教師として教壇に立つ中で
子供たちが思うように動いてくれないことを
アドラー心理学で何とかしようとし、
そして大きな挫折を味わっていた。

まさに今の私はこの青年と同じなのである。

では私はどうすればいいのであろうか。

ゴミを捨てるように相手や周りへの期待を
手放せれば言うことはないが、
そんなに簡単にはできない。

私たちがすべきことはまず
自分が何に期待しているのかを
明確にすることではないだろうか。

今のあなたが何に期待をしているか
自分ではわからないように
私たちは自分の期待を明確に認識していない。

それゆえに期待を手放すことが
難しくなるのである。

ではどのように自分の期待に気づくかというと
自分の心が動いた瞬間を
見ればいいのである。

特にイラっとした場合には
必ずその裏に期待が隠れているものである。

思い返してみると昨日の私は
色んなポイントでイラっとしたし、
時に戸惑ったが、
その心の動きこそ私自身が持っている
期待の表れだったのだ。

そしてその期待に気づけたなら、
改めてそれが自分のタスクかどうかを
考えてみればいいのである。

私はこのプロセスをこうして記事を書きながら
実践したが、
これを実際に心が動いた瞬間にできれば
自然と期待を手放すことができるのではないだろうか。

その領域に達するまでにはまだまだ
実践が必要であるが、
これからも模索し続けていきたい。

昨日はそんなことに気づかせてくれる
貴重な一日となった。

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