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【小説】死ンダ君モ愛オシイ 第7話

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 ほんの少し話しただけだったが、一矢いちやはだいぶ気持ちが軽くなっていた。元々、楽になりたいと思っていた訳でも、救いを求めていた訳でもなかった。それでも、ふと我を取り戻す、こんなきっかけが必要だったのかもしれない。多分、自分を含め、周囲が見えなくなっていた。佐倉さくらが心配していたのも、そういう余裕のなさが危うく見えていた所為せいだろう。

「なにも失うものはないと思っていたんだ。俺のすべてはあいつにくれてやったし、そのアズサは俺のものにはならなかった。最初から俺の手元にはなにもなかったんだ。だから、あいつが死んだって、同居人が出て行ったってくらいで、日常に大きな変化はないと思っていた」
 そこまで言って、一矢は黙った。黙ってみると、ハードロックなBGMと、それを搔き消すくらいの酔っ払いたちの声が聞こえる。自分の頭の中が、なんだか場違いな気もする。でも、そんな一矢を静流しずるは真剣に見つめていた。
「実際は違った?」
「いや」
 少しの間。再び訪れる騒がしい沈黙。一矢は大きく息を吐く。
「やっぱり大きな変化はない。アズサは幻だったのかもしれないな。最初からいなかったのかもしれない。そのくらい、この世界にはなにも残っていないんだ」
「そうか」
 そう言いながら、静流はテーブルの上の木の筒に入った紙ナプキンを寄越した。
「空っぽになっちゃったのかな」
 わかっている。なにも残っていないのは、どこかに大きな穴が空いているからで、本当はどこもアズサで溢れていた。静流から渡された紙ナプキンで乱暴に目の周りを拭うと、くしゃっと握り潰した。手の中に湿り気を感じる。おかしい。アズサが死んでから、泣いた記憶なんかないのに。いや、覚えていないだけで、気づかないうちにみっともなく泣いていたのだろうか。こんな姿、アズサには絶対に見せることはできなかった。

「お水頼む? 結構飲んだけど。大丈夫?」
「ああ、そうだな、じゃあ……」
「フードは? お腹いっぱいになった?」
 トイレから戻ったら、あれやこれやと勧めてくる静流に気圧けおされる。久しぶりに息子が田舎に帰ってきたお母ちゃんかよ、と苦笑する。
「たしかに、少し飲み過ぎたかもしれないな。変な奴に絡まれないように気を付けないと」
「はは、飲み過ぎて絡んじゃうのはわかるけど、飲み過ぎても普通は絡まれないよ」
「いや、実際酷い目にあったんだ。こないだの日曜なんだけど」
 なになに、と首を傾げて静流が聞く。
「S三丁目のホームで熊に絡まれて――」
「熊に? 熊みたいな人?」
「いや、熊。口しかねぇんだ」
 一矢はその時のことを思い出して、溜息をついた。
「そいつが仲間呼んで面倒なことになって……てるてる坊主が来るわ、なまはげが追ってくるわで、結局終電逃したんだよ」
「えー……」
 静流は複雑な顔をしている。そりゃそうか。実際にあの状況を見ていないと、理解は難しいかもしれない。
「まあ、今日は大丈夫だと思うけど。あの時は日本酒がまずかったんだ」
 いや、美味かったけど、とくだらないことを言いそうになり、飲み込んだ。変なテンションになっている。まあ、悪い酔い方ではないかもしれないが、自分らしくない。反省すべきだな。

「また、飲もうよ。いつでも連絡してね」
 席を立つ前に、静流は名刺を差し出した。受け取ったカウンセラーの名刺をしばらく眺めてから、一矢も仕方なくカードケースを取り出す。差し出されたから名刺交換はするけれど、なんだかモヤモヤする。こいつが築こうとしている関係性がいまいち掴めない。妙な違和感を覚えながら、一応、会社の名刺を雑に手渡した。
「あ、違う違う! そうじゃないんだ、ごめん。なんか誤解させたかもしれない」
「え?」
「ほら……俺たち、フルネームもろくに知らなかったから……。仕事の名刺が渡したかった訳じゃないんだけど……なんかごめんね」
「いや、そんなことは別に気にしてなかったけど」
 そう言いながらも、モヤモヤした違和感はこれだったと納得した。
「これ、俺のLINE。よかったら登録してね」
 静流がQRコードの画面を差し出す。最初からこれだったとしても、それはそれで違和感があったかもしれない。今まで経験したことのない微妙な関係性に戸惑いつつ、LINEも交換した。

 平日だというのに、思った以上に遅くまで飲んでしまった。駅に着き、時刻表を見て急に慌ただしくなる。この時間、次の電車に乗るか逃すかでは大きな違いだ。
「あ、電車くるわ! じゃあ、またね、一矢。連絡する!」
 静流は手をひらひらと振って、反対のホームへと去っていった。どさくさに紛れて一矢って言ったな、あいつ。「友人として」のアピールだろうか。もういいのに。よくわかったから。

 人前で、アズサの話をして涙を見せてしまった。こんなこと、アズサに知られたら、心底不快な顔をしただろう。好きなだけ恋人を翻弄しておいて、好意を向けられることに嫌悪感を抱いていた。それでいて試すようなことをしてくる、とんでもない奴だ。今までいろんなことをしてやって、その度アズサが嬉しそうな顔を見せていたのは、恋人の愛情を感じていたからではなく、支配欲が満たされていたからに過ぎない。

「ずっと許さないでいてよ」

 憎しみから始まった関係。アズサは憎まれることに安心を得ているようだった。許すことを許されず、俺はずっと憎み続けなければならなかった。

「愛されるの得意じゃないって、知ってるでしょ」

 そう言われた時には既に、ずっと抱き続けていたどす黒い感情は、別の感情に変わってしまっていた気がする。それが愛という類のものと認識する前に、アズサから先手を打って拒否された。自分の感情を見失ったのは、間違いなく、その頃からだ。芽生えた感情をアズサからも否定され、自分の中でも否定するしかなかった。亜季あきを失ってから仇敵きゅうてきだったアズサに溺れてしまうなんて、死んだ亜季に顔向けができない。だから、アズサと憎しみという感情で繋がるのは、都合がよかった。いろんなものを誤魔化しながら、いつしか、なんとなく傍にいることが当たり前になったけれど、まさか後に恋人という関係になるなんて、お互いに思いもしなかった。でもそれはきっと、アズサにとっては特別なことではなくて、体の相性がよかったとか、なにかと都合がよかったとか、最後までただそれだけだったのだろう。心の繋がりを感じたことは、一瞬もなかったから。殺されかけたことは、何度もあったけれど。

 そこまで酔っていた訳でもないのに、どうやって帰ってきたか、よく覚えていない。本能とは大したもので、頭はどっかに行っていても、無意識に帰宅してしまうらしい。そう考えると便利なような、恐ろしいような。この家に囚われているような、不気味さも感じる。玄関のドアを開け、なんとなく落ち込んだ気持ちで「ただいま」と呟いた。

「オカエリ」

 リビングから明かりが漏れている。今日はもう遅いし、勘弁してほしい。佐倉に顔色が悪いと言われて反論したが、顔色が悪くてもおかしくはない。ここ最近、睡眠は一応とっているはずなのに、ゆっくり休めた感覚はなかった。
 恐る恐る扉を開くと、リビングの中央に、バスケットボールくらいの大きさの心臓が、脈打ちながら浮いていた。ドクン、ドクン、ドクン、ドクン……。神秘的な淡い紅に光る心臓。思わず見惚れてしまう。力強い鼓動が耳の奥に響く。なぜか息が上がっている。目頭が熱い。
 そんな一矢の視界を遮るようにしおりさんが水槽から飛び出し、まるで大迫力のVR動画のように、その体は一瞬のうちに巨大化して、宙に脈打つ心臓を丸呑みした。

 はぐっ……。

 正体不明の衝撃に、一矢は思わず膝をついた。なにが起きた? 肩で呼吸をしながら、頭上を見上げると、アズサが冷たく見下ろしていた。

「アズサ……」

 思わず手を伸ばすと、鮮やかに煌めく金魚が指先を擦り抜ける。

 ――おかえりなさい、イチヤさん。

「ああ……。ただいま」


 なあ、アズサ。俺と出会ったことで、お前の人生、少しはマシになったのか? 結局死を選んだってことは、一緒に生きる価値はなかったんだろうな。お前がなにを考えて生きて、なにを考えて死んだのか、理解できる日が来るのだろうか。今更、理解したとして、それに意味があるのだろうか。お前はそれを、望むのか?
 望むかもしれないな。死んでもなお俺を囚えて生殺しにでもするつもりか。いったい、遺書になにを書いたんだよ。お前の人生が間違いだらけだったって、そんなのよくわかっている。どの間違いを探せって? でもまあ、暇潰し程度に、お前のことを思ってやってもいい。ついでに言うと、お前と出会ったのが、俺の最大の間違いだ。


 あれは、5年前の11月5日。

 なぜ日付まで覚えているのかって、亡くなった亜季の誕生日だったからだ。亜季の父親はカメラマンで、その日、個展を開いていた。亜季の写真を展示すると聞いていたから、俺も少しだけ顔を出すつもりだった。午後の用事が長引いて、俺がギャラリーに到着したのはもう夕方に差し掛かる頃だったのに、客は全然入っていなくて少し気まずかったのを覚えている。亜季の父親が食事でも行こうと言っていたから、待っている間手持無沙汰で、入口にあった芳名帳とかいうのを、なんとなく眺めていたのだ。最後の客。「アズサ」とだけ、記載されていた。まさかあのアズサ? あずさ柚希ゆずきなのか? 葬式も来なかったあいつが、ここに来たって? まだ近くにいるかもしれない。迷う暇もなく俺はギャラリーを飛び出した。どこから来たのかなんて勿論知らない。車で来ていたらアウトだが、とにかく、駅へと向かう道を走る。でも顔も知らないのに、会ってわかるだろうか。普通に考えて、わかるわけがなかった。だからといって、追う以外の選択肢はなく、正体不明のアズサを追った。会ってどうする? 亜季を死に追いやった奴だ。捕まえたら簡単には逃さない。どうにかして徹底的に罪悪感を植え付けて、一生苦しませることができないだろうか。その方法は会ってから考えればいい。とにかく捕えよう。
 人通りも少なく、ギャラリーと駅の間にはだいぶ距離があった。息を切らしながら走ったが、もうとっくにアズサは去った後かもしれない。さっきすれ違った人がアズサだったかもしれない。そんなことを考えながら、歩道橋を駆けあがった瞬間。
 目の前を行く後ろ姿が間違いなく「アズサ」だった。なぜわかったのだろう。光っていたような、周囲の音が消えたような、なにかが異質だったのだ。

「アズサ!」

 咄嗟とっさに叫んだら、そいつはゆっくり振り向いた。歩道橋の上。車の音。煙たい風。「なに?」と答えた迷惑そうな顔のアズサが、目をみはるほど美しく、残念ながらあの時の衝撃は今も忘れられない。全身黒い服装で、まるで喪服のようだった。その後、アズサとつき合ってわかったが、アズサは普段あまり黒い服を着ることもなく、あの時が特別だったのは間違いない。亜季のために? アズサがそんなことをするだろうか。とにかく、黒い服に身を包んだその姿は、妖艶な天使にも悪魔にも見えたが、今ならわかる。あれはやはり悪魔だった。
 一瞬怯んだが気を取り直し、「亜季を殺したのはお前だ」とか、「絶対に許さない」のようなことを叫んだが、眩しそうにこちらを見ているアズサは笑っていた。

「はは、夕日を背負ったヒーローみたい」

 その後どうしたっけ。頭に血が上った俺は、掴みかかったかもしれない。とにかく、アズサはずっと笑っていた。なにがおかしいのか。
 亜季が死んだのは交通事故だ。殺したのは飲酒運転をしていた中年男だ。そんなことも、アズサはきっと知っていた。お前が殺しただなんて、こじつけによる八つ当たりに過ぎない。そんな俺が滑稽で、笑っていたのかもしれない。

「殺したくなったらおいでよ。いつでも歓迎する」

 そう言って、名刺のようなカードを渡し、じゃあね、と微笑んでゆっくり去っていった。追いかけることもできたけれど、追いかけたところで何もできない。全てにおいて、惨敗だった。
 リベンジのつもりだっただろうか。あの時の自分がなにを考えていたか、よくわからない。もう既に、毒牙にかかっていたかもしれない。出会ってからしばらくして、カードに書いてある番号にかけてみた。それでアズサの部屋に行って、なにをしたんだっけなぁ。気づいたら何回もアズサの部屋に通っていた。首を絞めて殺そうとしたかもしれないし、抱いたかもしれない。
 とにかく、あの日、馬鹿みたいに未だ見ぬアズサを追いかけたのが間違いだった。こんなことになるとは、思わなかったから。

 出会わなければよかった? 
 あんなクレイジーな堕天使、出会わなければ一生後悔していただろう。





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