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再スタートのために その4

こんにちは。はざまきおです。

適応障害になって休職していた私の場合のことについて、いろいろ書いていきたいと思います。

自己紹介や適応障害になった経緯についてはこちらの記事から

まず、休職が始まってから、現在まで、取り組んだことはこんな感じです。

① 休む
② 相談する
③ 調べる
④ 見直す
⑤ 今後を考える
⑥ 転職活動

今回は、いよいよ転職活動について書いていきます。

オープン or  クローズド

転職活動に際して、私にはある大きな選択を迫られていました。

適応障害で休職したことを伝えるかどうか、です。

そもそも、新卒で入社してから1年も満たない状態での転職は不利でしかありません。第二新卒枠があるとはいえ、コロナ禍も重なって簡単ではないことは、挑む前から分かりきっていました。

そう考えると、隠した方がいいのではないかとずいぶん悩みました。

悩んで、悩んで。

結果としては、適応障害のことをオープンにして転職活動をすることにしました。

理由は2つあります。

① 伝えて弾かれるような会社だったら、隠して入ったとしてもまた辛くなるだろうと判断したから。

適応障害になる弱いやつなんていらないよ!と言われる会社であれば、また同じように抱え込んで潰れてしまうだろう。それなら転職の時点で落としてもらった方がお互いにとっていいだろう、と判断しました。

② (真偽は定かではないですが)休職してたことが後々会社にバレると問題に発展するケースがあるらしいから。

健康状態を偽って入社した、ということでトラブルになるケースもあるらしいと、ネット記事で読んでビビりました笑 社会保険の支払い等の支払い履歴などで転職先に後々バレるらしい、隠しきれない、と書かれてありました(実際それでどれくらいの人がトラブルになるかは知らないです)


とにかく、適応障害になって、休職しました、ということは、面接に進めた企業には伝えることに決めました。

伝える際に意識したこと

客観的に「あー、それなら体壊しても仕方ないよね」と思えるような理由を伝えるように意識しました。

体を壊した理由は大きく2つ、①労働環境と②パワハラ だったのですが、②パワハラに関しては客観的な証明ができません。

(刑事事件とかになれば別ですが)嫌がらせされた、とか、圧迫され続けた、とかは主観的にしか語ることができません。嫌だった、怖かった、ということをいくら伝えても、ストレス耐性がない、と判断されてしまい、プラスに働くことはありません。

面接官の立場に立って考えれば、被害者意識が強すぎる人なのか、本当に辛い目にあったのか、わからないんです。判断ができない限りはリスクヘッジをするのは当然だと思うのです。ここで感情論を出しても仕方がありません。

そのため、原因としては「①労働環境」、つまり環境要因を伝えました。

休職経験者の転職のコツ:労働環境に絞って伝える

勤務地の変更の多さ、シフト制、夜勤、内定時と異なる労働条件などは、誰が見ても同じ判断を下すことができます。数字や条件の差として明確に表せるのです。

だから、「あ〜、その条件だったら体を壊しても仕方がないかも」と思ってもらいやすく、リスクを高めに見積もられる可能性を下げることができます。

労働環境による問題を伝えることには、体を壊した理由に正当性を持たせるだけでなく、他にもメリットがありました。

まず、環境が違うこの職場(転職先)であれば、体調は崩さないだろう、と思われやすいことです。シフトで体を壊した、でも土日固定の御社なら大丈夫です、と伝えられます。

次に、自分に合わない職場であれば向こうから伝えてくれる、ということです。休みがバラバラでキツかったです、と伝えれば「実はうちも休日出勤結構あるんだ」とか「イレギュラー多いんだ」とか教えてもらえます。入ってからのしんどさを軽減できます。

転職のポイントは「ミスマッチ対策」

約2ヶ月の転職活動では、また体を壊さないように「ミスマッチを減らすこと」を主眼においてきました。合わない会社からは断られるor断ることが大切だと痛感しました。ミスマッチを減らすために大切なことは、条件をきちんと相手に伝えることです。

どういう状況が苦手なのか、働きやすいのか、隠さずに伝えます。生意気だと思われようが引きません。人生がかかってるので、わがままくらいでちょうどいいと思います。

転職の目的は内定をとりまくることではなく、
自分にとってベストな会社」を探すことです。

手段と目的が混ざりがちですが、最高な一社からお誘いが来ればそれでいいのです。

私の場合

さて、実際の転職活動ですが、大学生の頃から関心があった障害福祉領域やその周辺で仕事を探しました。

適応障害をオープンにして転職活動していたら、いろいろ言われることもありました。

対人支援の仕事なので、

「支援者が健康じゃないと笑」

とか

「本当にできるんですか?」

とか、いろいろ言われました。

投げやりの先に

正直に凹みましたし、めちゃくちゃしょげました。

やっぱり伝えない方がいいかな、とか。復職した方がいいかな、とかいろいろ悩みました。

もう知らん!落ちたら落ちたときだ!と半ばやけくそになってました。

そして、最後の方、「落とすなら落としやがれ」と半分くらい投げやりな気持ちで受けた最終面接で、適応障害について打ち明けたときに

「こちら側で配慮できることはありますか?」

と、さらっと聞いてくれた会社がありました。

あまりにも予想外すぎて、耳を疑いました。こんなこと言ってくれる会社あるんだ、という衝撃を受けました。いやー、すごい、と純粋に思いました。

ご縁があってその会社から内定をいただき、今はその会社で働いてます。

(ちなみにですが、内定承諾後、大変なら最初は時短勤務からでも大丈夫だよ、と言われてマジすか!?となりました)

ほぼ定時退社だし、優しい人ばかりだし、新人を育ててくださる環境があります。

仕事は大変ですし、給与等の条件はやや下がりましたけども、従業員の働きやすさを大切にしてくれる会社です。
前職を辞めて本当によかったな、としみじみ思っています。


今後のこと、市場価値について

いい会社に入れたな〜と思っていますが、これで安泰だな〜、とのほほんと考えることはできません。

転職活動を通して、自分の市場価値をいろいろと考えました。

私は、就活のスタートとコロナの流行のスタートがほぼ同時の世代です。安定と言われてる会社が不安定になる様子も見てきました。どの会社でも、どの職種でも、一生同じポジションにいられるなんて有り得ないと思うようになりました。どんなに大きな会社も、世界情勢や法律の影響であっけなく崩れるかもしかもしれない、というのは連日のニュースを見ると嫌でも思い知らされます。

どんな社会でも働き続けるようになるためには、一つのところで留まるつもりで生きるのではなく、市場価値を高め続けなければ、と思うようになりました。

市場価値を高めるって、なんだか意識高い系の臭いセリフみたいですけど、突き詰めてみると「世の中で必要とされている人間になる」っていうすごくシンプルなところに行き着きます。一つの場所がダメになっても、「うちに来てくれない?」って声がかかるような人間になれれば食いっぱぐれないよね、という至極単純な話です。

私の価値を高めるには

じゃあ私はどうすればいいんだろう、と考えて、一つの方向性を定めました。

「労働」分野と「障害福祉」分野の2つの領域でプロフェッショナルになること、です。

人がいる限り無くならない(だろう)領域で、なおかつ関心があってやりがいがある部分です。

専門性を高めるために、学ぶこと・考えることの2軸で頑張りたいなと思っています。

学ぶことに関しては、とりあえず、大学のときにちょっとだけ手を出していて放置していた簿記のテキストを出してきて、3級をとりました。4月からは放送大学の学生になります。同時並行で、10月の保育士試験の勉強も始めました。

このことについてもまた書いていきたいと思います。

考えること、については、このnote.などを通じて進めていけたらなと思っています。

まとめ

働き始めて、とりあえずひとつピリオドが打たれました。

でも、これで終わりではないです。
労働環境は常に変わっていくものですし、考えたいことはまだまだたくさんあります。

「福祉」の恩恵を受けづらいレベルの生きづらさを感じている人が、どうやったら「はたらくひと」としての幸せを掴むことができるのか。

まだまだ答えは見つかりませんし、人の数だけ答えがあるんだと思います。

ひとまず、私の休職から転職までのお話はこれで終わりです。

読んでいただいてありがとうございました。

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