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作文が書けない高校生に贈る、村上春樹のカキフライ理論。

文章ってのは、本質を書いちゃいけないんだなぁってつくづく思う。高校生の作文を手伝っていて、例えばこんな文章をこの時期よく見せてもらう。

「部活では主将を務め、仲間のコミュニケーションを円滑にするように努めました。また学業の方でも・・・」

大切なことを言うためには、大切なことに直で迫ろうとしてはダメだ。ほぼ確実にその大切な何かに逃げられてしまうから。もっと、細部とか些末なことを記述せねばならないのだ。

例えば井坂康志先生から教えていただいた、村上春樹が勧める「書けない人のためのものの書き方」ならこうだ。

それはカキフライ理論と言われる。カキフライのどこが好きか、カキフライのどんなサクサクがたまらないか、カキフライのどんな所が食欲をそそるか。

それを書くのだ。
決してカキフライの本質に一言で迫ろうとしてはならない。

しかもである。本当のことだけを書こうとしてもダメなのだ。文章とはそもそもエンターテインメントなのだから。たとえ目の前にあるカキフライがレンチンした後のヘナヘナなものだったとしても、「サクサクのその衣が・・・」と言わねばならない。人に夢を見せるのがあなたの仕事なのだから。

偉そうなことを述べてしまったが、「ならばそれを受けてお前はカキフライについてどう書くのだ」ということになろう。だからここで私自身が一つお手本らしきものを書く。


『カキフライ』

「私がカキフライと初めて遭遇したのは、1985年8月。それが映画『未知との遭遇』と人類が初めて出遭った月日であったことは、単なる偶然ではあるまい。

まず、牡蠣とは何か? 

そんな問いから僕のカキフライはスタートしている。そう。勿論なことであるけれども、『牡蠣』などという単語はあの時間に生きた私にとって、この世に生を受けて以来一度も耳にすることもない代物だったからだ。

『海のミルクよ』

物知りのお母さまは、何かデパートでしか売っていない高級化粧品のコピーに使われていたとしか思えない言葉をもって答えてくれた。そしてまだ幼さが残った僕の胸元は、えも言えぬその大人の響きに慌ただしくも波打ち、果たしてこれは子供が食したとして正気を失うようなことはない代物なのだろうか、と、禁断の木の実を目の前にした元初の人がかくあったかような、多大なる不安と逆らい難い引力とに襲われたのであった。

それがはじめての牡蠣フライ。

魅惑の中の魅惑。
官能の中の官能。

そして、

フライの中のフライ。


・・・・絶対落とされるわ。これじゃ就職試験(^◇^;)

お読みいただきまして、誠にありがとうございます。
めっちゃ嬉しいです(^_^)

起業家研究所・学習塾omiiko 代表 松井勇人 (まつい はやと)

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