鞆 隼人

大阪の特別養護老人ホームで働く介護福祉士。 介護の世界は楽しい。それを伝えていくために…

鞆 隼人

大阪の特別養護老人ホームで働く介護福祉士。 介護の世界は楽しい。それを伝えていくために。 日々のエピソードから、感じたこと、考えたことを積み重ねるnote

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  • エッセイ 何気ない日常

    何気ない日々。何も起こらない日常。

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原爆投下

⁡ 人類史上最悪の出来事が起きた日だ。 未だにアメリカでは、これは必要だったという声も絶えない。当時の様々な事情はあれ、こんなものが必要な理由などどこにも無い。 ⁡ 小学生の頃、修学旅行で原爆ドームを見に行った。 子どもながらにその恐ろしさを感じたと思う。被爆者の方の話も聞けた、今となっては恵まれた世代だった。 ⁡ 焼けただれた皮膚、目の前で人だった物が炭と化し、その多くが家族に認識されないまま葬られた。 ⁡ 戦争なんてクソ喰らえだ。 ⁡ では攻め込まれたらどうするのだ、殺ら

    • 「普通」が「普通」でなくなる時

      友人から、「自分はADHDだった」と告白された。 全然気にもしてなかったが、本人は周りとのズレを長年感じており、大学病院にまで通い、服薬も行っていたそうだ。 「嫌われる理由が分かって良かったわ~」 と2人で笑いあったが、彼の悩みが少しでも解消していけば何よりだ。 普通が普通でなくなる時 最近思うのは、世間の「普通」という領域が矮小化しているのではないか、ということ。 友人とは小学生の時からの付き合いだ。喧嘩っぱやくて、しょっちゅう喧嘩しては先生に怒られていたが、だからと

      • 金色に輝く

        ⁡ パリオリンピックが幕を閉じた。 世界情勢が思わしくない中、開催自体への批判もあった。 それでも選手たちの活躍を見て、やはり嬉しく思うこともある。 ⁡ ブレイキンでは金メダルをとったAmiさん。下馬評からメダルはほぼ確実だろうと言われていたが、その通りにかっさらっていった姿は圧巻だ。 ⁡ 惜しくも逃したAyumiさん。僕らが現役時代の時からトップを走り続け、今なお最前線で活躍する姿は、涙腺にくるものがあった。 ⁡ 最も期待されていたのはシゲキックスだろう。子どもの頃から見て

        • 蟻のお墓

          子どもの頃に不思議な体験をした方は多いだろう。 他の人には見えない友達がいた。 真夜中に突然起きて外に飛び出して行った。 それは子どもの数だけあるだろう。でもその多くはもう不思議でもなんでもなくなっている。 上記の例で言えば、イマジナリーフレンドであり夢遊病だ。 そんな僕も子どもの頃に不思議な体験、というか現場に遭遇したことがある。そしてその不思議は、今なお解明されていない。 小学校低学年の時、住んでいた長屋の前は駐車場であった。そこでいつも近所の子と遊んだり、一人で

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          夏は苦手

          ⁡ 暑さが留まることを知らない。 「本日も猛暑となるでしょう」という言葉が今日もニュースで流れる。 ⁡ その名に恥じぬ猛る暑さに、体力が削がれていく。最早猛暑以上の言葉が必要なのではないか、そう思わす毎日だ。 ⁡ 昔から夏ってこんな暑さだったっけ? 昔が良かった、なんていうことではないが、ここまで暑さに身を削られていた記憶が無い。 ⁡ いや、もちろん暑さが苦手で、夏が極力早く過ぎることを願っていた身としては、その記憶が薄いというのはある意味突然だ。覚えておく気がないのだから。

          清潔になっていく町

          ジムの帰りに、少し寄り道したりする。 昼の暑さがこれでもかと残る真夜中、自転車を走らせれば幾分かマシになるかと言えばそうでもない。 家に帰りたくないというわけでもなく、単に夜の町が好きなだけだった。 地元の商店街。 昼は賑わいをみせ…ということもなく、少しずつ寂れていくのがわかる。高校生の時に訪れたゲーセンはオシャレな美容室にかわり、たまり場の一つのファストフード店は、綺麗なカフェへと変貌した。 その先の十字路の角に、異様な空間が存在していた。 花壇や植木鉢が並んでいて、

          清潔になっていく町

          最後の一歩かもしれない

          利用者のADL問題。 僕らは出会った時、ほぼ自動的に、申し送りと称してそれらを言葉にする。 ⁡ 「独歩で常食で、入浴は一部介助」 ⁡ 「車椅子で寝たきり、全介助だそうです」 ⁡ そこに固有の名はなく、ある状態をさした言葉だけが職場内で宙を舞い、その人の輪郭が共有される。 ⁡ そこに至るまでの過程には関心を持つことは少ない。 ⁡ そんな中で出会った僕ら。 申し送りと違うADLなど当たり前で、関係を築いていきながら、少しずつその人のADLが確立していく。 人は老いていくという実感

          最後の一歩かもしれない

          真のチームワークとは

          リーダーシップ、組織開発、心理的安全性… 中間管理職についてから、幾つもの書籍を読み、様々なチームワーク論、リーダー像を目にしてきた。 なるほどと納得いくものから、それはどうも無理があるだろうと首を捻るものまで。 ⁡ ここには恐らく統一解はなく、多様な価値観をもつ個人からなる集団を束ねるには、色んな見方をもったリーダーが居ていいということだ。自分にあったリーダーシップを発揮していこうと思った。 ⁡ その中で最も悩ましい問題がチームワークについてだった。 僕は入職当時から、

          真のチームワークとは

          否定すること

          認知症のあるお年寄りには、否定しないで話を聞くことが大切、といったことをよく耳にする。 もちろんそれは大切なスタンスだ。認知症の方に限らず、誰だって否定してきた人の話は聞く気になれないものだ。まずはその人の味方とならなければ、こちらの話は聞いてもらえない。 ⁡ とある認知症のあるおばあさんは間違えて人のコップを持っていってしまう。この時、「それおばあさんのじゃないですよ!」と間違いを指摘すると、おばあさんは途端に怒りだしてしまう。自分が間違っているはずがない、となかなか修正

          否定すること

          「問題」が「問題」じゃなくなる時

          ⁡ ガチャン……ガチャン……ガチャン…… ⁡ 「あぁ、またおばあさん起きて来ちゃったなぁ…」 その音は、夜中眠れずにフロア内を歩き回る、おばあさんが杖をつく音だった。普段から杖をついて歩かれるが、特に夜間は転倒してしまう可能性が高く、迅速な対応を迫られる。 ⁡ 「家に帰る~!」 夕方、決まってそう言うとおばあさんは、所在なさげにフロアを行ったり来たり歩き回る。時に役割として様々な用事を一緒にしたり、横に寄り沿ってゆっくり歩いたりと、なんとかその場をしのぐ日々が続いていた。

          「問題」が「問題」じゃなくなる時

          僕らの仕事

          ⁡ この時期どこの事業所も研修に躍起になっているだろう。食事介助の学びとして実際にご飯を食べさせてもらったり、オムツ交換を交代で行ってみたり、認知症ケアについて学んだり。そのレパートリーは様々である。だが、肝心要であるその事業所の理念について語られることは少ない。 理念といえば仰々しい感じがするが、つまりうちはこのことを目的に、このような目標を掲げ、こんな方針でやっていきます、という方向性を示すものである。 ⁡ なんだそんなこと当たり前ではないか、と思うかもしれない。しかし、

          僕らの仕事

          暮らす場所

          老人ホームと聞けば、まだどこかうしろめたさの残る選択肢、という声があるだろう。 僕は特別養護老人ホームで働いている。そこに入居してくる方たちは、確かにもう在宅生活が限界で、いわゆる「最後の手段」として覚悟を決めてやってくる。いや、正確には大いなる諦めをもって、家族のために入居してくるのだ。 ⁡ そこではもう自分らしく生活することはできないと思っている人が多い。もちろん様々な制限があり、自宅と同じように、ということは難しいかもしれない。しかし、施設への入居は悪いことばかりではな

          暮らす場所

          助けてもらうこと

          ⁡ 介護施設の朝は最も荒れている時間だ。それぞれが決まった時間、決まった順番で起きてくるなんてことはなく、想定外の出来事に追われ、夜勤者は右往左往のきりきり舞いだ。 ⁡ 歩き出すと転んでしまうおばあさんが、目を爛々と輝かせて起きてきた。ご機嫌ではあるが、僕は他の方の起床介助に向かわねばならず、転倒リスクは最高潮に高いと予想出来た。 ⁡ さてどうしたものか。歩けば転ぶのは仕方ないことだが、なるべく転んでしまうのは避けたい。かといっておばあさんを説得しても、忘れっぽいのでやはり歩

          助けてもらうこと

          夜を守る人に捧げる

          夜を守る人に捧げる ⁡ 「まぁなにかあったら連絡して!」 ⁡ その『なにか』がなにかわからへんねん… ⁡ 新人時代、初めて夜勤業務についた日のことである。当時は施設創設期で、入居者もまばらで、職員も固定されたユニットに配属という形ではなく、勤務体制も入れ替わりが多かった。そんな中で初めての夜勤。予定していたユニットでの夜勤ではなく、まさかの一度も勤務したことのないユニットでの夜勤に。入居者は隣のユニットと合わせて十数名で、自立度もわりと高い方ばかりだったと記憶しているが、それ

          夜を守る人に捧げる

          確かなものはぬくもりだけ

          ⁡ おばあさんはよく転んだ。歩いては転び、転んでは歩いていた。家に帰るといっては、お気に入りの鞄と杖を持ち、もはや叶うことのない願いを胸に、所在なさげにただ歩いていた。繰り返す転倒の中、試行錯誤の上、様々な対策を行っていくが、それでもおばあさんは転び続けた。その歩いていく様は、人として僕らに何を問うていたのだろうか。 ⁡ やがておばあさんは転ばなくなった。いや、転べなくなったというほうが適当だろう。少しずつ足腰が弱り、自分ではほとんど歩けなくなった。介助して辛うじて歩く日が続

          確かなものはぬくもりだけ

          その頂きにはなにがある

          ⁡ 寝たきりの生活。寝たまま出して、寝たまま機械のお風呂に入っていた。辛うじて食事は座って食べていたが、オムツをつけたまま、無機質に並んだテーブルで、ただ黙々と食べることだけ許されていた。 おばあさんはリハビリの時間だけ離床することができた。訓練室では、いわゆる平行棒を使っての歩行訓練に始まり、様々なリハビリが行われていた。その中でも特におばあさんが頑張っていたのが、階段昇降だ。三段くらいの階段を登り、そしてまた降りる。それをひたすら繰り返した。おばあさんは、明日はきっとよ

          その頂きにはなにがある