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最後の一歩かもしれない


利用者のADL問題。
僕らは出会った時、ほぼ自動的に、申し送りと称してそれらを言葉にする。

「独歩で常食で、入浴は一部介助」

「車椅子で寝たきり、全介助だそうです」

そこに固有の名はなく、ある状態をさした言葉だけが職場内で宙を舞い、その人の輪郭が共有される。

そこに至るまでの過程には関心を持つことは少ない。

そんな中で出会った僕ら。
申し送りと違うADLなど当たり前で、関係を築いていきながら、少しずつその人のADLが確立していく。
人は老いていくという実感は、その人との間ではまだ生まれていない。

そして日常生活をともにし、変化が生じ始める。やはり人は老いていくのだ、ということが共通体験として僕らの前に立ちはだかる。

おじいさんは歩くことがおぼつかなくなってきた。転倒し、生傷が増えていく。いくつかの身体の不全から、体調不良の日も同時に増えていった。

そして歩けるか歩けないかの瀬戸際、体調の良い日悪い日で介助方法が変わったりする。

みんなが何となく感じる終わり。この人のADLが大きく変わるその時を、立ちはだかる壁を前にして共有する。

やがて歩くのが難しい日が増えてきて、車椅子使用へと緩やかに移行する。

歳をとり、やがて人は歩けなくなる。

そのことを深く嘆く。あれだけ歩こうとしていたおじいさんが、もはやほとんど歩けなくなった。顔に傷を負ってまで自らの足で歩こうとしたおじいさん。いつしかその過程に思いを馳せるようになった僕ら。

人は老いていくということを、生活をともにし、歩けなくなっていくおじいさんと、歩くことによって実感する。

人はやがて歩けなくなる。

だからこそ、今この一歩一歩を丁寧に介助したい。

その一歩は、その人の生涯最後の一歩となるかもしれないのだ。

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