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鬱と美大受験失敗が自分を変えてくれた【vol.1 高校受験の葛藤】(全9回)

タイトルに釣られた皆様よ、ありがとう。
心の底からありがとう。

個人的な経験談になりますが、
自分の人生にとって、
盛大なる失敗が今の自分をかたどる、
それまでの自分を変えてくれた
大きなきっかけになった
と感じています。

具体的には「中学の頃から始まる美大受験失敗」「うつ病」です。

今回からしばらくは、
過去の打ち明け話
となります。

全文書いて公開しようとしたら
15分以上読むのに必要な長さになってしもた。汗
なので分割して公開する事にしました。

しばしの間、毎日公開していくので
気が向いたら読んでみてください。

全9回になります。今回は初回。
それぞれ1回分は数分もかからず読める長さにしてあります。

今回は中学3年の頃のお話です。

中学3年の冬

自分は中学3年のころ、
経済的な理由もあって、
塾に行かず自分なりのやり方で
必死に受験勉強をしていました。

しかし、偏差値50台から
抜け出すことはできませんでした。

一番よかった偏差値59.8。
あら残念。あら惜しいこと。

偏差値60の壁は自分にとって、
立ちはだかる高~い壁、となってました。

中学3年の11月、
普通であれば皆様受験する学校は
大体において決まってましたよね?
自分もそうでした。
希望校はすべて普通科でした。

そして自分が一番希望していた学校は、
偏差値65が必須とされていました。
結局自分は偏差値50台後半の高校受験が落とし所なのかな、
と感じてました。もう11月だし。

結局俺どーなんの?

一方自分は考えました。
感じました。
「そもそも偏差値65の高校に行こうが
50台後半の高校に行こうが
その後俺どうなんの?」

当時自分はぼんやり考えてました。
「大学に進学して4年間の中で
自分がやりたいことを
見つけられたらいいな」

甘い。甘すぎる。

そして考えました。

「大学に仮に行けたとしても、
大学卒業後、
就職路線の無言の圧力、
常識と言う名の縛り
があるよね?
それに俺抗えるの?
結局どこまで行っても
サラリーマン
になるんじゃないの?
それでいいの?」

もちろんサラリーマンを
否定する気は一切ありません。

人それぞれだから。

でも自分はどうなの?と考えると

  • 団体行動大嫌い

  • 協調性全くなし

  • 組織の中で上手く立ち回る才能ゼロ

と、自己分析しました。
なんてったって幼稚園入る前の日に
超憂鬱になるくらいだったのだから。
それくらい団体行動嫌いなのです。

自分の好きを職業に

そしてさらに考えました。

  • 大人になったら働くのは当然。
    ただし、自分の得意や好きを活かした方が
    自分にとっての幸せに繋がるのでは?

    たとえそこにリスクがあったとしても。

  • 俺何が好きだったっけ?
    周りと比べて
    特に意識することなく
    長けてるのは何だったっけ?
    あ、忘れてた。
    (中学時代の)美術の先生が大嫌いすぎて忘れてた。
    そういや俺絵描くの好きだった。
    得意だった。
    だったらその方向で進学した方がいいのでは?

自分の人生と、15歳の鼻垂れ小僧なりに
必死になって向き合いました。

全進路変更

結果極端な自分は、
それまでの普通科志望から、
すべて美術科やデザイン科に志望を変更
しました。

もう一度言います。
中学3年の11月です。バカです。
入試直前になって極端に志望をすべて変更したのです。

でも今から考えると、
それが自分の性分で、
与えられた人生なのかなぁとも思うのです。

今回はここまで。
次回は高校時代から美大向け予備校時代の話になります。

また明日。

「鬱と美大受験失敗が自分を変えてくれた」投稿一覧
vol.1 高校受験の葛藤
vol.2 美大受験失敗
vol.3 webデザインで棚からぼた餅
vol.4 絵画教室開講
vol.5 鬱病と言う闇の中
vol.6 鬱が教えてくれた
vol.7 寛解後の野望
vol.8 テストから得られたモノ
vol.9 結局自分が欲しいのは


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早川剛の主に現代日本画
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