二十三回「友よ、我がまちへ来ないか」
ᅥ 二〇一八年春から初夏 ヴェネツィア
「来訪者たち」
時おり友が訪れて来ることがある。それはとても嬉しいことだ。「今度遊びに行くね」と言ったからと言って本当に来る訳ではないが、いざ連絡をもらうと「おぉ、ほんとに来るのだね」という気持ちになる。今の時代は連絡もなく訪れてくるということは殆ど無くなったから、これは家族にとっても一つのイベントとなる。
用がなくても訪ね合う関係はなんかいい。サンテレナのまちの人たちを見ているとつくづくそう思う。会うきっかけはほんとは何でもいいんだなって。実は僕らはその理由を求めていたりするのかもしれないしね。
しかし、いつしか世の中は「目的」なしに人に会ったり街をぶらついたりしなくなってきている。その理由は様々だ。IT技術や車社会の影響、そしてやたらに人を家に迎え入れることもはばかれる世の中になっていることもあるのだろう。
目的ベースでしか動かない日常。
でも、ほんとにそれでいいのかな。
我が家に人を招く時も同様で、誘ったからといって実際に来るかどうかは分からない。日本にいてもそうなのだから、これが遠いヴェネツィアの僕らの家となるとなかなかにハードルは高かったりする。
それでもヴェネツィアに住み始めて半年、僕の所にも日本から客人が訪れてくれるようになった。昨年十二月に撮影スタッフのノブや沖縄から家族がやってきたことを皮切りにじわじわと…。以下は、来訪者の皆さん、
実家の近所の小川さん一家
アメリカに住んでいるまさのり君
フィレンツェ在住のタカさん夫婦
トリックスターの井谷さん
オペラ歌手の原田さん
美術家の湯浅さん
ムッシュ伊藤さんと建築家グループ
富山の呉服屋の武内さん
ヘア・アーティストの佐竹さん
川越の栄治さんと仁居さん
三重からよしろーと知佐子
同僚のモレスキンと両国くん
そして宮崎の須藤さんご夫妻
来訪者が訪れる度に、僕らは改めて地元をぐるぐる巡る冒険に出かける。そこで新たな発見を持ち帰り、費やした時間が物語を織りなしていく。
不思議なことに「監督がイタリアにいる間に必ず伺うよ」と言ってくれてた人はなぜか来ることが叶わなくなり、そんなこと言ってなかったような人たちが実際は訪れてくれることとなった。
「そしてふるさとになる」
「人気がある」と云われるように、人が訪れてくれるということはやっぱり豊かなことだなと改めて思う。読んで字のごとく「人の気(配)で満ちている」という意味だからだ。
そういう意味で僕の家は昔から人気があった。幼い頃から人が訪ねて来ない日は無かったし、学生時代に三年近く独り暮らしをしていた草加のアパートも、自分ひとりで過ごした日なんて数えるほどしかなかった。毎日誰かが食べ物やお酒、手土産などを持ってやってきた。そしてなかなか帰らなかった。(だから正確には独り暮らしとは言えないような気もするが…)
であるならば人気とは人口の大小でもなく、まちの規模や観光地のあるなしでもない。訪れ合う友が何気なく来てくれるか、でなければ招いてみるか、迎え入れる余裕があるか、ただそれだけのことなのかもしれない。世界中から多くの人や、親しき友が何度も訪れるイタリア・ヴェネツィアは今、「ヴェネツィア・ユア・ホーム」というスローガンを掲げている。これは「近しい関係としてのあなたへ」呼びかけているだけではなく、同じ地元民としての意識をもった責任と行動、そして配慮を促す愛の言葉だということを付け加えておこう。
「ヴェネツィア・マイホーム」
少しずつ増えてきた来訪者たちによって「なんかようやくここも僕らの家になったのだな」と感じることが出来るようになった。住み始めたばかりの時の、あの寂しさと不安で押しつぶされそうになっていた時期を思い返すと驚くべき変化だと思う。
友にまちを案内する、ガイドブックには載らない地元の人で賑わうお店で一緒に食事をとる。僕が暮らしている日常と、非日常の心に映る世界を彼らに語りながらゆっくりと歩く。傍らで友が僕と同じようにそれらと出会い、驚き、そして心跳ねる姿をみていると嬉しさがこみあげてくる。住んでいる実感と喜びは、こういう時に感じるものなのだとつくづく思う。これを日本人ならば「ふるさと」と呼ぶはずだ。
(九四年 冬「空っぽの部屋で姉が泣くこと」へ続く)
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