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第36回「イタリア縦断記 その4」   ~目指せニューシネマパラダイス~


日本と似ている、縦長イタリア


「邪道と言われても…」

  しばらく走るとサービスエリアの表示が見えてきたので、そこで喉を潤そうという話になった。イタリアのサービスエリアがどうなっているのかも気になるし…、

そうだ久しぶりにアイスコーヒーが飲みたい!
それは海外に行くといつも起こる衝動だった。

 最近でこそ海外でもスタバやマクドナルドで飲めることが無い訳ではない。でも、通常アジアでもヨーロッパでも基本的に「アイスコーヒーは飲めない」と思っていた方がいい。(実はアイスコーヒーの起源は日本という有力な説もあるくらいだ)じゃあ、缶コーヒーで代用しようと思ったところで、缶コーヒーの存在自体も無かったりする。

 では、どうしたら良いのか。
無いと言われると更に飲みたい衝動が高まるのが常っていうものだろう。

だから僕はイタリアのカフェに寄る度に、
どこでそれは飲めるのか、
誰か他に頼む人はいないのか、
それをどうやって注文するのかをずっと観察してきた。

(とはいえ毎日数杯はアイスコーヒーを飲むという脚本家のモレスキンと違い、僕自身はそこまでアイスコーヒー党ではなく、暑い時には冷たいのが飲みたいなという程度なんだけど)

仲良しのエステリータ(左)と、フラビオ(右)

 まず飲めるお店はというと、駅かマクドナルドに限られる。
ただそもそもイタリアにはマクドナルドも殆ど無いし、大きめの駅の一部のカフェに有るかどうか位の確率にはなる。

頼み方は「カフェ・コン・ギアッチョ」、
つまり「コーヒーと一緒に氷」を頼むのだ。
日本でいうアイスコーヒーにあたるカフェ・フレッド(冷たいコーヒー)というと意味が伝わらない。

 ただ、頼むと決まって怪訝な顔をされる。
そんなもの頼むのは変人だ邪道だと非難される気持ちになるのは我慢しなければならない。アメリカンコーヒーを頼む時だって、イタリア伝統のエスプレッソと一緒に「お湯」を渡される国なのだ。折角の美味しいカフェをお湯や氷で薄めるっていう君たちはどうかしてるぜ、と言わんばかりな彼らの気持ちも一緒に味わう勇気が必要になるのは仕方ないのかもしれない。


ヴェネツィアではカフェもいいけど、やはりSpritz Campari con proseccoです!

  うっかり話が脱線してしまったが、サービスエリアの話だった。
駐車スペースから建物の中に入ると、多くの人で賑わっていた。この夏シーズンのイタリアはヨーロッパの北方の国々から、もしくは世界中からバカンスや巡礼の旅人が押し寄せる。そして、イタリアに住んでいる人たちの多くは今回の僕らと同様に、各々南を目指して移動する。人気があるのはソレントやナポリ、サレルモなどの海浜地域なのだそうだ。日本でいえば沖縄の島々にあるようなトロピカルな海への憧れがあるのだろうか。

 僕ら家族が中央のカフェスペースに近づいていく。
すると、「あれ?もしかしてアイスコーヒーが頼めるのか?」
恐る恐る注文してみると、店員が嫌な顔をしないどころか、
笑顔でサーブしてくれるではないか。一口含んでみるとムムムム!

 「日奈子!ちょっとこれ飲んでみて!」

「えーっ何これ!おいし~い♪」

 これが実に感動的な味わいだった。
こんな極上のアイスコーヒーを今まで飲んだことがあっただろうか。

気づけば、うちの小さな子供たちまで味見して、
「んまーい!」と言いながら跳ねている。
何だか妙に嬉しくて、周りのツーリストたちともハグしたくなった。気づけば運転の緊張もすっかりとほぐれ、世界の彩度もぐんと増していくように感じた。やっぱり僕ら家族は単純なのだと思う。こんなことで旅のエンジンにアクセルがかかるのだから。

 

「立ち止まる技術」

  それからのドライブは快調に進んだ。
六月に日本の建築家(伊藤先生)グループと「カルロ・スカルパを巡る旅」で立ち寄ったロビーゴを通り過ぎ、有名なポー川を越えた。

カルロ・スカルパの一番弟子のお宅。日本人建築家の皆さんと。

イタリア中部トスカーナ地方に入ると、北部とは全く違う景色が視界に入ってくる。それは辺り一面がうねるような壮大な緑の海のようだった。

流れるその景色を見ていると、土田さんからの誘われた時の言葉が蘇る。

 「監督、今度トスカーナのうちの別荘へ来ませんか?一週間位そこでゆっくりしましょうよ」

  土田さんはヴェネツィア・ガラス協会の重鎮を務めるガラスアーティストであり、僕の数少ないヴェネツィアでの、日本人の尊敬する友人だった。

土田さんの工房にて

 彼のお薦めするものは疑うことなく受け入れたし、誘われる案件はいつも即答で応えていた。要はウマがあったし、彼が何を観ているのかに興味があった。

 だから今回の旅の目的がシチリアで無かったならば、そのまま高速を降りて「土田家とのトスカーナ滞在記」へ切り替わっていたであろうことは想像がつく。

 イタリアでの生活や旅行において「立ち止まる技術」は最も大切なものであるからだ。気になったら寄り道をする。じっくり佇む。この技術無しでイタリアを浴びることは出来ない。歌って踊って味わって、愛し合いたいのであれば立ち止まることは避けては通れない道なのだった。

  でも、今回はそれではいけない。四半世紀温めてきた「ニューシネマパラダイス」への憧れは今こそ成就させなければならない!

そういう強い思いがなんとか足を前に進ませ、
僕らはフィレンツェ、そしてローマをもスルーする決断をした。

ここを乗り切れば、魅惑のナポリの町まであと僅か。
「ナポリを見てから死ね」なのだ!


2018ワールドカップ、イタリア不参加の中、カフェで土田さんと日本を応援してました


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