見出し画像

二十七回出鱈目なパズルその四「立往生する中で彼女が語ったこと」

一九九四年 二月の北海道

◆最極シリーズの旅の始まり

 稚内まで来た。

 最果ての地に来たという感覚は、行ったことがある人なら分かるはずだ。そこに行ってもとりたて何があるわけでもない。というか「無いが有る」とでもいうのだろうか

 今回もまた旅のパートナーとしてR女史がいたから、気軽に「最北端の稚内にでも行ってみる?」と聞いてみたら「うん行く」と返ってきたからここまで来た。どうせ北に向かうならとことん行ってやろうという想いがあったのかもしれない。

 これまでの旅程はいつも通り。夜行で青森に着いて朝市でごはんを食べる。吹雪いているまちを歩くだけで、次元を越えて我々はここにやって来たのだという感覚を味わえた。青森もまた、本州の最果てポイントだからそういった独特な雰囲気を持っていると思う。

 

 青森を出て北海道に入ったら、鉄道の起点である旭川から東西南北どこまでも行けるところまで行く、これが基本姿勢となる。何しろ北海道はバカでかいから中途半端にまわると、何にも手が届かずに旅は終わりを迎えることになってしまうからだ。

 宿泊先は旭川周辺ならば、道内一安い旅館美岐に泊まればいい。(一泊二千円ちょっとで朝食と片道のタクシー代付きの驚愕の値段)そうでなければ、周遊券は道内特急乗り放題だから夜行に乗れば宿代もかからずに済む。とはいえ、そんな旅に付き合ってくれるR女史というヒトは奇特だと思う。


 という訳で稚内。ここは風が強い。飛ばされそうな突風の中で体感温度はマイナス二十度を軽く越える。R女史に「これは必携だ!」と上野のニッピンで強引に防寒ダウンを買わせて良かったとつくづく思う。一歩進むごとに風の壁がぶつかってくる。チリチリと雪が顔に当たるというか刺さってくる。そんな中で会話をすると息が苦しくなるから、僕らは眼で確認し合うだけでコミュニケーションは済ませた。

 で、よせばいいのに「日本最北端の石碑」まで到達しなければならないという義務感に駆られ、突き進んでしまう。更には誰に見せる訳でもない証拠写真を「写ルンです」で何枚か写真を撮ってようやくミッション完了となった。

 ただここまで済ますと、この最北の地であとやることといえば「味噌オロチョンラーメン」に寄るだけとなってしまう。毎度ながらこのオロチョンという名の辛さにやられてしまって、美味いのかそうでもないのかは全くもって分からなかった。けれど体の芯から熱くなってヒーヒー言える、ただそれだけで、この店に来る意味はある、と思う。

 

僕は鼻水混じりに麺をすすり、

「明日は、深名線に乗るよ」

とだけ彼女に伝える。

「うん、わかった」

とだけ彼女は応えた。

 

 旭川へとんぼ返りして一息ついた後、僕らは翌日の極寒・深名線ツアーの算段をしていた。(歴代最低気温は旭川のマイナス四十一度、深名線の名寄から深川までは鉄道路線として最極寒記録をマークしている)

 なんでまたそんな寒い場所に出向くんだろう。どうして僕らはこんなことをしているのだろう。考えても明確な理由なんて元からないんだから答えなぞある訳がない。それが旅なんだと、旅行者ではなく旅人になるのだと、つぶやきながら前に進むだけだった。

「たとえ今夜は倒れても、きっと信じてドアを出る」と中島みゆきも歌っているじゃないか。旅の目的なんてさ、帰って熱燗吞みながら考えれば、それでいい。

 

◆釧路へ向かうルートは?

 深名線の旅は、旅の疲労のせいで実にヘビーだった。上野を出てから一気に北を目指し過ぎたのが良くなかったんだろうか。僕らは時刻表を眺めながら、ただただ白さと寒さを浴びながら、力強くゆっくりと進むディーゼル汽車に引っ張られ続けた。そうして僕らの旅の三日目は過ぎ去っていった。

僕らの旅の最終目的地は阿寒・アイヌコタンということだけは決まっている。釧路から阿寒バスで入る。その前にやりたいことをしようということで、僕は競争馬のふるさと日高ルートをまわりたいと提案した。弘樹は馬が大好きだったし、見ているだけで幸せな気持ちになれた。オグリキャップにも会ってみたい。しかし、広大な牧場を幾つも巡る「足」が今はなかった。

 

 彼女に聞いてみると、「北の国から」の富良野の麓郷へ行きたいと言う。(麓郷とは、ドラマのメイン舞台・黒板家があるところである)それはそうだろうなと思った。北海道に行くなら「北の国から」を全て制覇してからじゃなきゃ連れて行かないと言ったのは僕だったっけね、ならばそうしようか。

 「この時期に富良野駅から、奥深い麓郷まで辿り着けるかは分からないけれど、とりあえず富良野を目指そっか」と話した。富良野ついでに、「お菓子のまち・帯広」に寄るのもいいかもね、なんて話すと久しぶりに彼女の顔がやわらいで見えた。

 

◆立往生する新得で彼女が語ったこと

 しかしながら結果から言うと僕らはやはり麓郷までは辿り着けなかった。駅から麓郷までのバスが出ておらず、タクシーの運転手に聞いてみると、

「お兄ちゃんやめときな、こんな時に行ってどうするのさ。着いても車からずっと降りられずに戻ってくるだけだ。どうしてもっていうなら落としてやるけど、しばれて凍えるだけっしょ」

 

 麓郷付近を見てまわってタクシーで往復するのは、完全に予算オーバーだった。この状況で僕に出来ることは、ドラマの冒頭で出てくる隣りの布部の無人駅に行くか、ラベンダーアイスをおごってあげるくらいしか無いということが分かった。

 でもな、おしゃれな旅行じゃないとはいえ、女の子を連れて極寒の地を連れまわし続けた挙句、真冬のアイスは無いよな~と我ながら思う。

 それで済めば良かったんだけれど、道内を高校時代から何周もしてきたという油断が更なるミスをおかしてしまった。富良野がダメならと帯広へと急ぐ気持ちがあったのだ。

 「富良野ー帯広間」は鈍行の根室本線を使ったとしても、まあ四時間もあれば行けるだろうというのが僕の計算だった。

 

 しかし、帯広へ行く途中の新得駅での連結列車が無く、四時間以上そこで足止めを喰らうことになってしまった。(なぜかこの路線は必ず新得で結構な時間停まるので要注意である)僕らは仕方なく、駅構内の売店脇のストーブで暖をとりながら休む。

 旅に出て、気づけばもう四日目になる。けれど一体どうしたものか、夏の旅に比べて今回は全てが停滞しているようだった。「敗北感」から旅を始めたのが良くなかったのだろうか。ただ時間は過ぎ、疲労だけが折り重なっていく。

 窓の外は既にうす暗く、外灯が点き始めていた。その光に照らされて、細かく降る雪が町を橙色に染めていく。それがなんだか寂しさを増長していくかのように思えた。まるで世界がたった二人きりになってしまったかのように音も静まりかえっていた。

 

「ねえ、弘樹くん…」

「…、ん?」

「なんか綺麗ね、そと…」

すっかり荷を解いて、ダウンも脱いだR女史が窓の奥を眺めながら口を開く。

 

「これからどうしよっか…」

「どうするって、今は、待つしかない  よね。どうにかして、釧路まで辿り着いて阿寒へ…、ってなんかごめん」

「ううん…、違うの。列車を待つのは嫌じゃないし…」

「うん…」

「なんならこのまま列車が来なくて…、しばらくこの町に逗留することになってもいいくらい…」

「……」

「わたしはね、ちょっと違うことを考えてたの。これからわたしたちは、どこに向かっていくんだろうって」

「……」

「こうして、北の国を旅しながら、本当の寒さみたいなものを体験して…、ちょっと思ったの。自由だなって、なんかいいなって、感じたの」

「うん」

「夏にもさ、弘樹くんが北海道に連れて来てくれた時…、夜行列車の中でわたし泣いてたでしょ」

「うん、そうだったね」

「あぁ、やっぱり気づかれてたかぁ」

「もちろん」

「ふふ。でね、なんかあの時嬉しかったんだ…。このまま列車に揺られてトコトコと、そしたらどこに辿り着けるのかなって」

「そっか…」

「どこまで一緒に行けるのかなって…、わたしたち」

「うん…」

 帯広行の列車の到着が十八時を過ぎるとアナウンスが伝える。予定のダイヤよりも更に雪の影響で遅れるようだった。

 

 ただ、彼女はそんなことは全く気にせず、語り続けた。ゆっくりと、噛みしめるように、語るというよりは詩を詠むように…。

「弘樹くん、貴方はこのままどんどんと進んでいく人でしょ。『我々はこのまま北へ向かうべし』とか言って…」

「どうかなぁ」

「ふふふ、我々は…とか言いそうなところが、わたしは、とってもいいと思うのよ。縄文っぽくて…」

 話し口調はおどけていたけれど、いつになく彼女は真面目な眼をして、今よりずっと遠くの時間を見ているように見えた。

 

「でね、わたしも、しばらくついて行けるところまでは行こうって思ってるんだ」

「うん…」

「吹き溜まりにぶつかっても、時にマンモスが出てきてもいいのよ。槍をもっていく必要があればわたしだって、やる時はやるわ」

「ははは、マンモスは流石にすごいな。でもなんか、うれしいよ」

「うん、だから今こうして留まっていることもいいなって…。いずれ君はどんどん先に向かっていく人なんだろうし…」

「……」

「それまではいいかなって…そこまでは一緒について行こうって」

「うん、もちろんだよ」

「わたしも…、来年か再来年あたりには、ドイツに留学出来たらいいなって…」

「おお、いいねドイチュ!」

「もーう、またそうやってー。本気なんだからね」

「ごめん、分かったよ」

「ほんとに分かってるのかなぁ、君は…」

「分かりましたっ、応援します!」

 

 彼女とストーブの前で、こうして話しているだけで、なんだか今までもモヤモヤや疲労が抜けていくようだった。

 

「うーん、まあいっか。お腹もすいてきちゃったし…」

「おっ、では腹ごしらえでも行きますか?」

「美味しいもの奢ってくれるんだよね」

「町に出て、狩りにでも繰り出しましょうぞ、R子さま」

「はいはい、いいですよっ」

 

 列車が走り出すまでには、

 まだ時間もたっぷりある。

 だから一緒に行こう。

 美味しいものを一緒に食べよう。

 今は、それだけでいい。

 その先のことはまた後で一緒に決めようと、雪の舞い散る中、僕らは再び目を交わした。

 

(二十八回「最果ての地・音のない湖の上で」に続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?