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母の視線が定まって…

著者: 六甲もこ

お久しぶりです。先日、3泊5日の弾丸旅行で日本に行って来ました。母に会うのが目的です。

今年1月に大阪の高齢者施設に入っている母を訪ねたのですが、その時タイミング悪くも母の施設でコロナが出てしまい、会うことは叶いませんでした。なので母と会うのは殆ど4年ぶりになります。また2年前に妹が死去して以来初めてになります。

母は認知症が進み、もはや私の事も覚えてはいないでしょう。父や妹が死んだ事も覚えてはいないものと思われます。ただ優しい人々に囲まれて穏やかな生活を送っています。

が、たとえ会話にならなくても、母に一目会いたく、満を持しての施設訪問となりました。その日は九州から叔母も来てくれて、施設で行われる家族懇談会にもいっしょに出席する事になりました。

駅からなだらかな坂をゆっくり下って約20分。母の施設は程々に庶民的で、のんびりとした雰囲気のところです。入居者は40名ほど。叔母といっしょに館内に入ると、母が食堂に座っていました。

叔母のことはわかったようで、少し笑顔になりましたが、私のことはわからないようです。4年も会っていないのだから仕方ありません。でも、母のこざっぱりとした服装と、顔色も良い様子を見て感無量でした。

叔母と一緒に車椅子を押して母の部屋に入り、世間話を。箪笥の上には父と妹の写真が飾ってあり、それを見ると、もう実家は母と私だけになってしまったんだ、と。そしてその母も全ての記憶が薄れつつあるのだ、と。寂しくありながらも、帰ってスッキリとした境地になりました。

母をベッドに寝かせて叔母と世間話をしていたら、ふと視線を感じました。母親のフラフラしていた視線が、磁石のようにカチッと定まり、私を見るやその顔に大きな微笑みが広がりました。

私の名前を呼ぶことはありませんでしたが、私の方を指差して「姿が良いね」と言ってくれました。当日は襟元を結ぶようなブラウスを着ていたのですが、その襟元が綺麗だと何度も言い、普段は殆ど口を聞かない母が笑顔を見せ、何度も繰り返すので、叔母は泣いて喜んでいました。

なんて事のないブラウスですが、母が何度も褒めてくれたので、これからも大切にしていかなければ。

そのうち母も眠ってしまい、叔母の飛行機の時間も来たので、名残は惜しいけれど帰ることにしました。意味のある訪問でした。今年中にまた母を訪ねられるよう頑張って働かないと。

と、言うわけで短歌を詠みました:

我を見て視線定まる母の手を
握りて呑み込む熱き涙を 

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