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『癌患者たること』との闘い

 世の中には、感動ポルノなんて言葉がある。聞いたことがある人も多いのではなかろうか。毎年夏、24時間テレビの時期になると、そういった批判をよく耳にする。
 簡単に言うと、障碍を持っている人物(それも多くは、身体的に分かりやすい特徴)が、なにかを健気に成し遂げ頑張ることに対して、感動するというプロセスのことだ。
 感動ポルノという言葉が初めて使用されたのはステラ・ヤングという女性。彼女の非常に鋭いスピーチが有名だ。是非、ご覧いただきたい。

 障碍を持つ人々は、それだけで感動の対象として、消費されてしまう可能性がある。それは、女性がただ存在するだけで性的対象として消費されてしまうことと、本質的になにも違いはないのではないかと感じる。
 こういった、感動ポルノを、私自身は非常に不快かつ失礼に感じている。「あの人はあんなに辛いんだから」という理由から喚起される気力というものは、多く指摘されている通り、優越感の裏返しに他ならないからだ。

 ところで、皆さんは病気の若者が死ぬような物語を読んだことがあるだろうか。例えば、少し前に流行った『君の膵臓を食べたい』のような、余命宣告を受けた若者が主人公の物語である。
 私は、ない。
 見たことがないものについて、あれやこれやと言うことはできない。しかし、どうしてもそういった物語を見ることが、今の所できそうにないのだ。
 今回は、そのことについて書きたいと思う。

 〇

 私のnoteを読んだことがある方はご存じかもしれないが、私は中学一年生の時に癌を患った。癌だと発覚した時点で、ステージ4、つまり再発の状態であった。また、非常に転移を起こしやすいガンであること、リンパ節に出来ており身体全体に広がりやすかったことなどから、五年生存率は五割だと宣告されたらしい(怒涛すぎて記憶があいまいなため、伝聞形式)。
 そこからのことは、本当に嵐のようだった。嵐のようでもあり、凪のようでもあり、およそ13歳では行わないような多量の決定をした。どこの病院にかかるのか、いつ抗癌剤を打つのか、何回うつのか、手術は行うのか。その過程で、左後頭部に皮膚移植を行い、未だに私の左耳の後ろはつるっぱげである。
 そんなこんなで、私は思春期の時間の多くを、自分の病と向き合う形で過ごしていた。

 癌が発覚してから手術を行うまでの間に、母に『ブログをはじめたらどうか』と言われたことを今でも鮮明に覚えている。そして、それがとんでもなく嫌だったことも。
 世の中には、闘病ブログは溢れている。母に、「こういうブログがあるんだよ」といくつか見せてもらった。
 そこに乗っているのは、模範的な、非常に模範的な癌患者の姿だった。
 健気で、まっすぐ。癌になったことで、世界のすべてが輝いてみえる、なんて言葉が並んでいた。苦しいけれども、家族に感謝。つらいけれども、何か意味がある。そんな、前向きな言葉たち。
 今思えば、それはブログなのだ。どこまでが本当か分からないし、たとえ本当に前向きだとして、何が問題なのだろう。癌になり、己を見直し、前向きに生きていけるならば、なにひとつ悪いことはない。本当に。
 それを承知の上で、しかし、当時まだ13歳のアイデンティティ形成真っただ中の反抗期は、こう思った。

『勝手に決めるな』

 癌になった人間は、皆家族や世の中に感謝をして過ごさなければいけないのか?
 私も、この人たちのように、感動的なブログを書いて、それを読まれて、「健気に病気に負けずに頑張っている女子中学生」として対象化されなければいけないのか?
 そんな、自己陶酔を煮詰めて、さらにそれを他人の感動のために提供するような嘘っぱちな言葉を、書き留めなくてはいけないのか?

 もはや、生理的嫌悪といってもよい。
「書きたくない」と母に伝えた。母は、それでも執拗に書くべきであると説いた。貴方の人生が、誰かの糧になるかもしれないのだと、同じように苦しんでいる人に届くかもしれないのだと。

 まったくもって、これっぽちも、届いてほしくない。お断りだった。
 無理やり書かせたい母と、絶対に書きたくない私は大ゲンカした。母には私が理解できず、私は母に理解されたくなかった。

 今思えば、それは正常なことなのかもしれない。
 これだけ、感動ポルノに溢れた世界である。
 皆、「ガン患者とはこうあるもの」だという考えが、あるのだ。癌になって得たことを綴る本が、驚くほどたくさん出版されている。それはもう、読み切れないほどに。ひとつも読んだことないけど。
 つまり、なったことがない人にとっては、がん患者とは本のような人々のことなのだ。世間に感謝し、家族に感謝し、運命を受け入れ、それでも懸命に生きる。その過程でその生き方が、またほかの人々の支えになる。

 繰り返すが、なにも悪いことではないのだ。
 悪いことではないのだけれど、私はまっぴらお断りだった。
 私は、13歳にして私というアイデンティティのほとんどを「ガン患者」に奪われてしまった。そのレッテルは、重く、強く、時には便利に作用するが、大方私の自己形成を妨げた。

 中学一年生の夏休み、私は手術を行った。全身麻酔の大きな手術だった。退院後も一ヵ月は自宅療養を行い、学校に復帰した時には九月半ばになっていた。
 だけれども、決して同級生には癌であると知ってほしくはない。
 夏休みに入る前、当時の担任の先生が、クラスのみんなにはなんて言えばいいか、と聞いてきた。伝えて良いのか、と。答えはNOだった。やめてください、心配をかけたくないので。そんな風に答えたきがする。だけれども本心では、「癌を患いながらも、学校にくる、優秀で真面目で前向きな模範的生徒」として祭り上げられることを、恐れていた。嫌悪していた。心底嫌だった。
 久しぶりに中学校へ行った九月。先生が「申し訳ない、話してしまった」と言った。信じられなかった。最低だと思った。
「みんなのために、なるから。これによって、色々と考えるきっかけになるから」
 そんなことを、言われた気がする。

 知ったこっちゃなかった。
 私の人生は、誰かの成長のためにあるんじゃない。
 そう、叫びたかった。
 私は、ただの私で、癌患者だから価値があるわけではないのに。
 そう、言いたかった。
 悔しくて、悲しくて、苦しかった。

 〇

 こうして十年して思うと、私の半生は、癌との闘いというより「癌患者たること」との闘いだったのかもしれない。

 テレビで癌患者の子供が懸命に生きる感動話が出てくると、母親に呼ばれる。「癌の子、やってるよ」と言われる。だから、なんなのだろう。感動しろとでもいうのだろうか。そんな、ひねくれてねじくれた考え方をするようになってしまった。

 ところで、速読英単語という超有名な英語の問題集をご存じだろうか。
 私も現役高校生の頃に大層お世話になったのだが、その中に、『架空の癌患者の娘ブログを作り上げた女性』のお話が出てくる。その女性は、ブログの内容がすべて嘘だと発覚した時に、悪びれもせずに「多くの知り合いの癌患者像から、娘を作り上げたのだ。なにも、悪い子とはない」と述べたらしい。
 この文章を読んだとき、はらわたが煮えくり返るかと思った。

 障碍者が、生きる気力を与えてくれる人々でないように、癌患者も、病人も、決して対象化していい相手ではない。

 感動秘話なんて名前をつけて、お行儀のよい物語を綴ることにどれほどの意味があるのだろう。
 闘病は、それなりに大変だった。毎月の皮下注射は痛いし、何回も再発の疑いを持たれて手術を行った。肩の神経を切ったので左腕は力が弱く、常に肩こりだ。おまけに、髪の毛を結べば傷口が見え、心無い高校の同級生男子に、気色が悪いと言われて学校に行けなくなった。
 世の中はクソだと思ったし、いまでもその男子生徒のことを許せない。そして、そんなことで落ち込む自分も許せなかった。

 癌患者、なんて一言で語り切れないくらい、人にはそれぞれ人生があるのだ。こう、という型はなにもなく、辛さの形はそれぞれで、環境も考え方も生き方もなにもかも違う。

 私は、癌になってよかったなんて、これっぽっちも思えない。
 ただ、人生はあるように流れている。「癌になっていなければ」なんて考えることは馬鹿らしくて、もう、すべてをひっくるめて私という人間なんだと、認めて、受け入れて、それでも歩んでいくしかない。

 だけれどもそれは、私の問題である。
 病に苦しむ人が、闘病に励む人が、障碍をかかえる人の全員が全員、明るく前向きに生きていけるわけじゃない。明るく前向きに、生きていく必要なんてない。

 人は劇的な出来事で、急に立ち上がって前向きになるわけではない。感動秘話なんて、実のところは劇的なものでなく、ちいさな自分との対話の積み重ねの上に、和解があるだけなのだ。
 私は、十年かかった。
 去年の今頃、十年目にして静岡の病院への通院を終えた。

 帰りの新幹線で、ぼんやりと考えていた。
 癌患者じゃない自分が新幹線の窓に映っていた。毎日見ているのに、十年ぶりに見る顔のような気がした。なぜだか、不思議と喜べなかった。それは、片割れが居なくなったような感覚だ。だけれでも、すぐに間違いであることに気づいた。昨日の私も、今日の私も、なにも変わりがない。人生は一直線上にあって、切り離すことなんてできない。

 現在私は鬱状態の診断によって休学中であるが、メンタルクリニックの初診の時、主治医が言った。
「第二次成長期に大病をした場合、体力をつける方に栄養が回らずに、慢性的な疲れやすさが残る人がいます。貴方の体力のなさは、癌になったことの影響ですから、付き合っていくしかないですよ」

 なんだか納得して、すとんと来た。
 同じことを高校生のときに言われていたら、「また病気のせいだ」と悲しくて悔しくて、泣き暮れていたかもしれない。
 それが今では、旧友に合ったような気持ちだ。

 私は、癌患者だった。
 それは、十年経ってもなくならない。今も、私のそばにいる。

  〇

 若い人が病気と闘う物語は、一定の需要があるのだろう。そして、その主人公というのは、だいたい運命を受け入れて前向きでひたむきだったりする。死ぬと分かることで明るくなれることも、あるのだろうなと思う。だけれども、そこに辿り着くまでに、どれほどの紆余曲折があったのか、想像すらつかない。

 そういった「病物語」に、どうしても苦手意識をもってしまう。
 それらを書くことも、読むことも、何一つとして罪はない。
 感動的な物語に心を動かすことは、悪ではない。

 だけれども、お願いだから、癌患者像を、病人像を、感動的な物語を、実際に生きている人に求めるのはやめてもらえないだろうか。

 私の人生も、貴方の人生も、誰かに対象化されるための、消費物ではないのだ。

 日本人の三割は癌で死ぬ。それほど珍しいことでもない。

 私は私だから素晴らしく、貴方は貴方だから素晴らしい。
 癌も、バセドウ氏病も、年齢も性別も、あらゆるレッテルは、所詮レッテルでしかない。

 『癌患者たること』に苦しんでいる人、『病人たること』に苦しんでいる人は、きっといっぱい居る。
 私たちが戦うべきは病ではなく、そういった社会的な考え方なのかもしれない。

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