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検証したこと

筆後感想文の終わりを告げるかの如く始まったこの企画ですが、初回の今回は小説を書くにあたり検証したことをいくつか書こうと思う。いっちょ前にサイエンスも取り入れているわけだが、と言っても私はSF小説を書いているわけではなく、自分の作品のジャンルどころか小説かどうかも分かってはいない。小説とはとか、あるべき論やら、迎合やら、そんなことは言いたい人に言わせておけばいいと思っている。急速なネットの発達で|ダミング・ダウン《Dumbing down》にますます拍車がかかるご時世のようではあるだが、その波に乗るつもりもない。それにジャンルやら読者層ターゲットやら市場マーケットやらも結局出版社の都合なわけで。で、私は何を書いているのかというと、物語を書いている。
ちょっとそこの鳩子よ、ビジネスなめてんの?などというヤジさえ飛んでこない閑古鳥の楽園と化している我がサイトではあるが、市場より詩情に重きを置いているだけだ。そうは言うけど、じゃあビジネスはどうすりゃいいの? 出版業界は大変なんですよ、などという質問や相談も全くこないが、実はそれなりな解決策は持っている。近自然工法(注2)の採用である。つまりなじませるということだ。まずは魚道ぎょどうをこしらえて、魚が遡上しやすくすることから始めるのはどうだろうか。
きっちり柵作るんじゃなくて、むしろ邪魔な柵は壊していく方向で。
意味不明ですかね。まあいつものことです。

注1 気づいていないだけで、実は日本でも自然開発の分野で採用されている。

ではそろそろ本題に。


検証理由

リアリティというか、少なくとも事象の妥当性を確認するためだったりする。
作中に謎モーメントやマジカルモーメントが出てくるため、余計にリアリティも大事になってくる。

落としどころ

検証と言っても、地球が属する当該太陽系に住まう人類の歴史程度のスパンでのことでしかない。そういったわけで、現象の無限性および有限性(たぶん再現性も)ということについて物理学的にどう決着がついているのかとか、はたして決着はついているのかとか、そういったことは一旦置いておくことにしている。
結局また新説が出るのだろうし、それもまた人間が考えただけのことであって、それを待っていたら何も書けないで終わるわけで。

検証1 水紋

一作目の『丘の上に吹く風』では、第10章『花火』で静かに池に沈んでいく陽太と美月のシーンがある。最後に鼻先が水面に消えて二つの水紋が生まれ、重なり合って、やがて消える、というあれを検証した。

以下方法:

  1. 湯ぶねにつかる

  2. 両手の人差し指を立てて、それを二人の鼻先にみたてる

  3. 水面が凪ぐまで待つ

  4. 人差し指を水面に沈めていく(ゆっくり。水面が一切揺れない速さで行う)

  5. 指先が水面に消え入る瞬間に、そこからそれぞれ水紋が発生するのを確認する

  6. 発生した水紋が、どちらかというと打ち消し合うようにして重なり合って消えるのを確認する

  7. 上記を数回繰り返し、同じ現象が起こるかを確認する

コツがあるとすると、指と指の間は20㎝以内とすることだろう。非常に微細な現象(水紋)を観察するため、風呂に浸かる人間(自分)が極力動かないことも大切だ。ちょっと動くだけで、人差し指から発される水紋は人間のそれに負けてしまう。繰り返し行うとうまく再現できるようになる。
これとは別だが、防波堤の内と外の水面の様子を両腕を使って再現できたりもする。長くなるから書かないが、どうぞ皆さんもバスタイムを楽しんでください。

検証2 揺れるか否か

上述の作品の続編『丘の上に吹いた風』では、第7章『旅立ち』での地蔵菩薩の「前を見なさい。揺れるだけじゃ」というセリフに説得力を持たせるために検証した。

以下方法:

  1. 力まずに普通に道を歩く

  2. 首だけ回して後ろを振り返る

  3. 足元がおぼつかなくなる(フラフラする)ことを確認する

  4. 今度は「絶対にブレないぞ」と強く意気込んで道を歩く

  5. 後ろをぐっと振り返ってみる

  6. 先ほどより足元はフラフラしないことを確認する(おそらく腸腰筋が働いている)

  7. 上記を数回繰り返し、同じ現象が起こるかを確認する

一番いいのは背後から誰かにランダムに呼んでもらい、そのたびに振り返るという方法だろう。タイミングが分からないことで、より一層ヨロヨロとする。普段から鍛えていたりすると、何気なく呼ばれて振り返ったぐらいでは全くブレない可能性もある。

作中で地蔵菩薩が陽太と美月に言う「前を見なさい。揺れるだけじゃ」というセリフは、陽太と美月が何度も後ろを振り返り、実際にぐらぐら揺れて真っ直ぐ飛べなくなった地蔵菩薩が、フィジカルな揺れ(体幹のブレ)と心の揺れ(未練)の両方に対して言ったセリフということだ。
そのあとに言った「振り向くでない。揺れるだけじゃ」というのは、それでも後ろを振り返る陽太と美月に念を押すという意味と、そう言いながらも二人に手を振り続ける自分への自戒だ。地蔵菩薩にも人間味はあるということでもある。こういった意図を持ってそう書いたというよりは、後から考えてみるとそうだということで、自然現象についてはそっとしておくことにしている。

検証3 味見

ルチアーノ -白い尾のオナガ-』の本編には入れなかった『おまけ② Propeller Throwing プロペラ飛ばし』でプロペラ型のモミジの種の茎が切れずに噛み切る蜂が出てくる。それで実際噛み切った際に樹液はどういう味なのかを検証した。
これは簡単で、プロペラをちぎって茎の部分噛んでみるだけだ。
一口噛んだがよく分からなかったため、がにがに噛んでみた。
苦くはなかった。かと言って甘くもなかった。しいて言えば青っぽかった。
普段花の蜜を収集している蜂からすれば首をかしげる味、ということにした。


暑い日が続いておりますので、涼しげな画像を2枚。

『Propeller Throwing プロペラ飛ばし』の作中では、
水たまりの水を飲む蜂もいました。
実際はこんな感じです。
写真には写っていませんが、水につけた口のあたりから水紋が生まれていました。


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