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【短編小説 森のアコーディオン弾き 2】声の主

2.声の主

足元にまとわりつく湿った冷気を後ろ足ではらい、カルヴィーノはぶるりと震えた。
「ハルベルト、何か見える?」
「誰かいる。でも真っ暗で見えないよ」
ごつごつとした石の壁を伝って先を行くハルベルトの忍び声が返ってきた。

フーゴ フーゴ

あの奇妙な音がこだました。

ハァ

溜息のような声が続き、驚いたハルベルトは壁からぽとりと落ちた。
「ハルベルト!」
カルヴィーノの甲高い声が響き渡った。
「誰だ?」
暗がりの奥から野太い声がした。
カルヴィーノは慌てて駆け寄って、仰向けになって手足をばたつかせるハルベルトを鼻でひっくり返した。
大きな何かが暗闇の中で動いた。
ハルベルトが出口めがけて駆け出した。
カルヴィーノは飛ぶようにあとを追った。
洞窟から飛び出した二人は、一番近くのやぶに飛び込んだ。
草の隙間から覗くと、洞窟から毛むくじゃらの大きな顔が現れ、あたりを見回している。
「僕はライオンだ。でも怖がらないで」
ライオンの声は優しげだった。首に止まっている蝶をはらいもしない。
「カルヴィーノ、どう思う?」
「いい人かもしれないよ」
カルヴィーノは草の間からざっと頭を突き出した。
気づいたライオンはほっとしたように笑った。
「ああよかった。住んでる動物はいたんだ。引越し済みの森かと思っていた」
ライオンは洞窟から出てくると、肩に担いでいた赤い箱のようなものを地面に置いた。

フラヴィオFlavioと名乗るライオンは、広場の真ん中の大きな切り株に座って肩を落としていた。
「それは大変だったね」
カルヴィーノはフラヴィオの前に腰を下ろし、膝をたたんだ。
フラヴィオはサーカスという所で、アコーディオンという楽器を弾いて客を楽しませるのが仕事だった。その日もいつものようにアコーディオンを弾いていると、突然テントから火が上がった。火はあっという間に燃え広がり、客も団員も動物達も我先にと逃げ出した。フラヴィオも必死に逃げ、気づいたら一人になっていたのだという。
「それで、逃げる途中でアコーディオンが壊れてしまったんだ」
フラヴィオがアコーディオンの蛇腹じゃばらを開いたり閉じたりすると、フーゴフーゴと空気が抜けた。奇妙な音の正体が分かり、カルヴィーノとハルベルトはすっかり安心した。
「これじゃ音が出ない」
フラヴィオはすすけてぼさぼさのたてがみをかいた。
「困った時はアズーラに相談するといいよ」
カルヴィーノはアズーラのことをフラヴィオに話して聞かせた。ハルベルトは話そっちのけで、フラヴィオの首に止まってじっと動かない蝶に釘づけになっていた。
「案内するよ。ついてきて」
カルヴィーノはぴょんと立ち上がり歩き出したが、どうしてもフラヴィオに聞かずにはいられなくなった。
「その蝶々、フラヴィオの友達?」
カルヴィーノはハルベルトが出しては引っ込める舌をちらりと見た。
「赤に黄色のしましま模様の蝶々なんて、この森では見たことないな」
ハルベルトが蝶から目を逸らさずに言った。
「これかい? これは蝶ネクタイっていうんだ。客の前でアコーディオンを弾く時につける飾りだ」
フラヴィオはのっそりと立ち上がり、アコーディオンを背負った。
「なんだ生きてないのか」
ハルベルトは残念そうに舌をしまった。

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潜っても 潜っても 青い海(種田山頭火風)