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先行きの見えない未来の原動力 ~誘惑に負けて目標を見失った慶應大学一年生すやき~

こんにちは。すやきです。いつもありがとうございます。



今日は、僕の体験談を記事にしました。



大学生になってすぐに始めた会計士試験の勉強と、最終合格するまでに直面した苦悩についてとその考察を内容としています。最後に大事な話をします。

最後までお付き合いしていただけると幸いです。



では行きましょう!




華やかな大学生活を捨て慶応大入学直後に進んだ道

2016年春、僕は第二志望として、慶應義塾に進学した。


当時の僕といったら、受験失敗のショックから立ち直れず、このショックを清算できるものを探していた。


会計士受験の盛んな大学だったので、会計士試験に合格すれば自分を認められるだろうと思い、四月の一週目に会計士予備校に70万円を投資した。


今思えば、サークル、恋愛、飲み会、旅行と華やかな大学生活が待っていることを知らず、見向きもせずに再び受験の世界に潜り込んだのは、大胆なことしたなと思う。


それから間もなくして始まった会計士試験勉強だが、田舎から上京した外部受験生の僕は、友達がいないことに気づく。予備校には、慶應義塾の内部生が群れを成していて、僕が入り込む隙間はなかった。



そこで僕は塾講師のアルバイトをはじめ、そこで作った友達とつるむようになり、気づけば彼女もできて、毎日のように東急東横線の日吉駅や綱島駅、武蔵小杉駅で酒を飲み歩き遊んでいた。



中高一貫校でそこそこ勉強させられる男子校に監禁されていた僕が、これまでより楽しいものがあると見つけた瞬間だった。


そこから僕はアルバイトで貯めたお金を酒やギャンブルに溶かし、風俗にも通う時期もあった。チャイナエステにはまって、武蔵小杉で十万くらい捨てるほど誘惑を自ら追いかけるような時期もあった。


夜中の大学の広場でスケボーしながら、酒を飲んで警備員に怒られた。


クラスでできた友達と、夜中にチャリをみなとみらいまでぶっとばし、閉店ギリギリの中華屋さんでハイボールを飲んだ。


直前期には彼女と国内旅行をしたし、その直後には振られて引きこもった。


その時は、もう本能のままに遊びに狂い、勉強のことはすっかり忘れていた。


気づけば大学二年の8月くらいになった。同時期に予備校に入った内部生は、もう12月短答にむけて万全の準備を進めていた。


しかしぼくは、遊び足りないとすら思ったし、どうしてこの内部生はこんな楽しい生活をせずに勉強できるのだろうと不思議だった。



そう思っているうちに僕は三度の短答式試験に失敗した。




受験勉強にフルコミットするきっかけの出来事

三度目の短答式試験に落ちた後、僕は、70万の予備校入学金を払った親に頭を下げて、この会計界隈からドロップアウトしようとした。


そうすれば、今まで通り昼から酒を飲んで(飲みすぎ)終電までバイトして朝まで遊んで、テキトーにインターン初めて、慶應義塾の名前を借りて大手コンサルに内定もらって、大学四年でeasyな大学生活が待ってると思った。


ドロップアウトを申し出たとき、親がこんなことを言った。


「あんたの残りのアルバイト貯金で、予備校の延長料金40万払ったら、気持ちが変わるんじゃないの?」


そのとき、はっとさせられた。


今まで親にお金をもらって入学金を払っていたが、これを自分で充当し、追加の延長料金を自分で払ったら、誰に何も思われることなく、自分で今後の意思決定ができるんじゃないかと思った。



そのとき、はじめて人の力を借りずに自分の足で立った気がした。



そしたらなんだかワクワクしてきた。自分の判断で決める将来には誰にも邪魔されないと思ったのだ。




そこで、残りの貯金を使い切って、僕は延長料金を払った。気分を一新するため、水道橋校舎に通うことにした。



僕が手ごたえのある充実した日々を送れるようになったのはそれからだった。


慶應義塾だけじゃないいろんな年齢層の方と知り合い、刺激を受け、親友も増えた。見違えるように成績は伸びるし、なにより自分の足で歩いている感覚に高揚感を感じた。



短答式試験をpassし、論文式試験を迎える直前の8月、あのとききっかけをくれた親のことを思い出した。



「他者貢献」という、若者の僕にとって胡散臭い言葉


その八月頃調子よく勉強を進めていた僕は、あのときアドバイスをしてくれた親が、今のポジティブな循環を作ってくれたなと、ふと思った。



そのとき僕は「他者貢献」という言葉を思い出した。



よく、成功者やyoutuberが、「他者貢献こそ成長要因であり行動の原動力になる」といっているのを耳にしていた。



でも僕は「他者貢献」という言葉があんまり好きじゃない。



なんでかというと、他者貢献といって人のためになることを生きる目的にするのは、馬鹿らしいことだと思ったからだ。「誰かのためになりたいです!」なんてきれいごと、口が裂けても言いたくない。



とはいっても、分からないけど歳をとれば僕も、「誰かのためのに他者貢献したい」とか語っているのかもしれない。


でも今、重要な事実は、


自分はまだ若すぎて他者貢献を崇高に語れる年齢じゃないことだ。


代わりに僕は、


あの時こいつと知り合って、リソースを払って、一秒でも投資した甲斐があったな


と思わせる人間になりたいと思っている。


僕はエゴの塊みたいな性格だし、まだ幼い。この幼さのまま大人になっていくとも思う。



僕が親のことを思い出したのは、

僕が会計士試験に受かったら親と、これまで感じあえたことのない喜びを分かち合えると思ったからだ。あのとき僕にアドバイスをした親に認められると考えた。



結局、今の僕は、承認欲求の塊なんだと思う。


成功体験を増やすにつれて露出度が増し、人を巻き込んでく未来にゾクゾクしている、ちょっと気持ち悪い生物かもしれない、と思う。


同時に、この考えが通らなくなる時がやってくるかもしれないとも思う。



僕が承認欲求を原動力に生きることに限界を感じ、改めて自分について考え直す時、「他者貢献」という言葉が出てくるかもしれない。




それまで僕は、日々膨れ上がっていくどうしようもない承認欲求と向き合い、付き合っていかなければいけないのだろう。



最後まで読んでいただきありがとうございます。

「他者貢献」という言葉の考察をしました。これからも正直に思ったことを発信していこうと思います。


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