ニューノーマルな働き方で放置されたやわらかさと、前に進みます。
先週月曜日に、先輩が亡くなりました。水曜日に知りました。あまりに突然の出来事でした。
その先輩とは、一緒にお仕事をしたこともなければ、お酒の席で熱く語り合ったこともありません。
コロナ禍前はみんなで社員旅行に行ったり、節目の宴席でご一緒したり、同じ部屋で机を並べて執務をする先輩。
執務中、先輩のくしゃみの声が大き過ぎてビックリしても、びっくりしたことで笑い合えるほどではなく、旅行のお土産をお渡しする際に少しだけ談笑するくらいの距離感で。
コロナ禍で原則在宅勤務になってからは、出社頻度が月1~2回になり、先輩ともここ1年半ほど顔を合わせていませんでした。
彼にとってのわたしも、わたしにとっての彼も、本当によくいる先輩・後輩という同僚で。なんとなく「こんな感じ」で、ずっと働くんだろうなぁと思っていました。
亡くなられたことを知ってから、なんだか、ぼうっとしています。頭がムズムズ、じんじんして、脳みそにサランラップが巻かれてるようです。
何かできることは、なかったのか。
わたしはお医者様でも、看護師でも、先輩の家族でも友人でもありません。まして、何が死因だったかも、どんな状況だったかも詳しくは知りません。
ぼうっとした頭で、なんだか膀胱のあたりがキリキリ痛くて、胸がずーんと重い中、お別れのご挨拶に伺ってきました。
・・・
帰り道、ふと、
もっと乾杯したかったなぁ
と思いました。
先輩は、とても大きなプロジェクトを成し遂げたメンバーの一員でした。
コロナ前だったら、社員が一同に集まる総会、期初・期末の懇親会、いや、そんな集まりの場じゃなくても、ふと会った時に、「おめでとうございます。お疲れ様でした!」から始まって、苦労話とか将来の展望とか、お話しをお伺いできたと思うんです。
メールで連絡して、業務のお邪魔をするほどでもないかな。
今度すれ違った時にでも、お声がけできれば。
・・・
「今」がずっと続くことが前提で、後回しにしていた。
在宅勤務や、いつでもどこでも働けるリモートワークをしているから、「出社時にたまたま会う」ことが奇跡に近い確率になってしまった。
チャットやメールや電話は、各ツールを媒介にしたコミュニケーションであり、物理的近いところにいる人に「話しかける」こと+αの心理的ハードルがある。
これらの理由により、できなかったことは「普段の会話」でした。
おめでとうございます
お疲れ様でした
ありがとうございます
おはようございます
ええっ!そうなんですね
もし宜しければ、、、
どの辺が一番大変でした?
今日はちょっと寒いですね
体調いかがですか?
お元気そうで!何か良いことあったんですか!?
ちょっとこの企画、どう思います?
なるほど。詳しく教えてください
よろしくお願いします!
お先に失礼します
遅くまでお疲れ様です
そんなに会話がなかった先輩でしたが、思い返せばやりとりは結構あったんですね。出社して同じ空間にいたからこそ、なんとなく声をかけていました。話しかけるぞ、コミュニケーションとろう、と気負うことなく、話しかけていたと思います。
・・・
身体や心の健康を害した時、体調が崩れた時。直接、先輩に働きかける手段は持ち合わせていないし、個人的動機もありません。もっと言えば、ごく限られた同僚や仲のいい友人、家族でないと、サポートするのは難しいと思います。
はたらく人全員と信頼関係を築くことは難しい。そんな中で、「健康で幸せに働く人を増やしたい」を行動の源にしている私に何ができるか。
新しい働き方、新しい価値観が
ニューノーマルとして浸透する中で、
昔からあった、
なんでもないようだけれど大切なこと、
「普段の会話」のようなものが、
いつの間にか貴重なものになってしまって、
でも貴重になったことに
気づかれないまま
フォローされることなく、
放置されているとしたら。
働き方改革や健康経営は、ICT基盤、労働条件、制度、福利厚生、執務環境などを整備すると同時に、様々な機会を提供することで、より良い働き方や健康な生活習慣を選択できる人を増やす取り組みです。
会社の取り組みですので、漢字ばっかりですね。固くて、かっちりしていて、みんなで合意形成しないと前に進まないことばかりに見えます。きっと、「なんでもない大切なこと」は、こういうことからは見えてこないんだろうなってことがわかりました。
私は、実務家として、企業が働き方改革や健康経営、サステナビリティ経営を推進するためにどのような取り組みをすればいいか、どのように企業価値を上げ、社会に貢献するかと向き合ってきました。つまり、漢字ばっかりの固い方については、推進方法も実現のあり方も磨き上げてきました。
一方、もっとやわらかい方。目に見えないのだけれど、人間として大切にして生きていきたいもの。なんでもないようだけれど、幸せだったと思えること。(THE虎舞竜ロードって名曲ですね)
企業として大切にするのであれば、「可視化」というプロセスは避けられません。文章でも、絵でも、香りでも、音楽でも、なんでもいいから、やわらかい部分を可視化してみる。
そして、やわらかい部分を起点にして、ニューノーマルな働き方を見直す段階に来ているのではないでしょうか。物理的に接触することの価値を見くびってはいけない。正確には、誰も見くびってはいないのだろうけれど、制度や執務環境整備からでは見えてこない「大切にしたい価値観」を改めて言語化・可視化し、それを育てていく。
企業としてもチームとしても、個人としても、それは「選択できること」です。突然ふりかかってくる天災や厄災のように、選ばせてもらえないものではありません。
リモートワークが正しいとか、ワーケーションができるから幸せとか、そういう議論ではありません。働き方の選択肢は、できるかぎり多様に用意した上で、じゃあどう選ぶかの価値基準に、やわらかいものを置いてみる。
やわらかいものについて、自分と向き合い、チームと向き合い、それを大切にできる働き方を選択してみる。違ったら修正してみる。やわらかいものを起点にして、リモートワークとオフィースワークの比率を話し合ってみる。定期的にでも、イベント的にでも、その人自身の価値と、チームの価値を見える化してみる。
そんな対話が企業や組織の中で生まれ、誰もがつながりを持って、幸福度高く働くことができたら。
WHOは健康について、「肉体的、精神的及び社会的に完全に良好な状態であり、単に疾病又は病弱 の存在しないことではない。」と定義しています。この「社会的」という部分に、固いものも、やわらかいものも含まれているんでしょう。
固い方を分かった上で、やわらかいものを具体化し、オリジナルな価値として育てていく。あらゆる企業・組織において、剛柔を統合する取り組みができたら「健康で幸せに働く人を増やす」って目標に一歩近づけそうです。
悲しいけれど、苦しいけれど、もしかすると不謹慎って思われるかもしれないのですが、それでも、書かずにはいられませんでした。気づかせてくれて、本当にありがとうございました。心より、ご冥福をお祈りいたします。どうか、安らかに。
いただいた気づきを胸に、前に進みます。私にできることなんて本当に小さなことで、この方向でしか進めないのですが、、、しっかりと心に刻みました。今週から、またリスタート。一歩一歩、進んでいこうと思います。本当に、ありがとうございます。これからも、よろしくお願いいたします。
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