【一旦最終回】34年の一部を書き終えて


これまで、自分の人生の一部を振り返ってきた。

最初に思って、前回の記事でも書いた通り、幼少期に起きた事で自分でどうしようもならなかった事と、自分が選んだ道の上で起きた事を分けて考えて、noteに書く事で見つめ返してみた。


結果から書くと、書き始める前から特に変わらなかった。

父親の事は大嫌いだし、父親の遺伝子が入っている自分をやっぱり丸っと好きになれそうもない。子供を捨てて自死を選ぼうとして、一瞬でも見捨てた母親の事もそこまで好きではない。人間が苦手だし、人間=海水と思っている伏も特に変わらない。底抜けに明るい気持ちでいられる事も、あまりない。

冷静に考えればそりゃそうだ。そもそもこのぐちゃぐちゃの土台で34年生きてきている。
noteに書いたからと言って、すぐ変化が起きる方が稀だ。


ただ、変わらないけれど気づいた事は、とてもたくさんあった。

まず、このタイミングで自分のnoteを全て読み返してみた。
初めてのnoteだったけど、キレキレの文章書いてるじゃないか、と自画自賛した笑。

そして、全ての事を全力で笑って泣いて怒って一生懸命突破してきた事を改めて感じて、自分の事を『楽しい女』だなと思った。
周りの友人も面白いと感じてくれていたら良いなと思う。

幸いな事に、自分自身が選んだ道で出会った人はみんな素敵な人が多くて、(近々の不思議な話を除く)それは多少は自分のおかげでもあるんじゃないか、と思えた。

そして、これまであった出来事について。

色んなことがたくさんあったけど、父には父の事情があり、母には母の事情があり、いじめる人にはいじめる人の事情があり、間違った教育をする人には間違った教育をする人の事情があり、経費を使いすぎる人には経費を使いすぎる人の事情があり、セクハラをする人にはセクハラをする人の事情がある。

セクハラの事情はちょっと知ったこっちゃないし、いじめも経費も知ったこっちゃないけど。

ただ、この”知ったこっちゃない”というのがすごく自分にとっては大事な考え方で、今まで起きた事について、大切な事でもそうでなくても丸ごと全て、自分ごととして捉えてきている癖があったんだな、と気づいた。生真面目に、知ったこっちゃない人の事までまるで主人公のように重く考えて。

悪く言えば、しゃしゃっている。

家庭の事はそんなに”知ったこっちゃない”できない事だったけれど、自分で選んだ道でも、しゃしゃってそのままでいた。自分の自信の無さと過去のトラウマから、距離を置く勇気がなくて一生懸命に、何ならちょっと痛いくらいに頑張り過ぎていた。

常にアクセルベタ踏みで、特攻隊長みたいな、傷まみれの武士みたいな生き方をしてきた。それでも笑って泣いて怒って、やった事ない事も、逃げないで断らないでたくさんやってきた。

そのおかげで、これまでの人生にも一ミリも悔いがないし、今後思い返す事があったとしても、最新の私から過去の私を見て恥じる事は一切ない。多分もう少し手を抜いていたとしても、悔いはない。

けど、それ故に色んなものを急いで見過ぎてきている気がする。多分もう不安にならなくても、少し気持ちを緩めて生きても問題ないくらい、出来事を経てきていると思ったし、自信を持っていいと思えた。

幼少期に周りに頼れない環境があり、こびりついた固定観念で生きてきたからこその癖かもしれないけど、今は周りの大切な人との時間を第一に、頼ったり大切にしたりしながら楽しく生きる事を自分自身に許しても良いんじゃないかと。

”知ったこっちゃない”したり、ポンコツな部分が多少バレたりしても、昔みたいに父から風呂場に閉じ込められる事も、クレヨンでずっと傷を塗り消す作業をさせられる事も、もうないのだ。もう、ない。

丸っと好きになれなくても、少なくとも遺伝子を除いた自分は素敵だと思える。過去の残像に固執している暇が勿体ないくらい、昔の自分からしたら考えられないくらい、素敵な人に囲まれた誇らしい人生だ。

34歳の今気づくのとか厨二過ぎてダサいけど、改めて書いて客観視する事で分かっただけでもこのnoteを書いて本当に良かった。


気づけば100記事弱書いていて、ビュー数は総計で10,000に届くところ。一個人の人生の日記を1記事平均100ビューも見てくれた事に感謝です。

そしてあまりに個人的な内容過ぎるので、1ヶ月程経ったら非公開にするか、有料にして公開に制限をかけようと思います。


もしかしたら新しく日常の事を書き始める事があるかもしれませんが、一旦終わります。

これまで読んで下さり、ありがとうございました。



ハタノアヤ


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