事務所勤務_PR・暴力編

前回の続き。

PRの仕事として、前回書いたようにイベントでのPRや社外へのメールマガジン作成など広報的な事も少しやっていたが、どちらかというと外に行って新たに仕事を取ってくる方が主だった。

以前の記事でも書いたが、私は入社してすぐに全モデルの得意・不得意や希望なども含めたヒアリングをした。そして全モデルに会って思った。

喋りが下手だ、と。

特段この子達が下手と言っているわけではなく、基本的に全人類大体喋りは下手だ。テレビに出ている人達のように話す事なんて、経験を積むか、元々得意であってもスタートがマシなだけで、なかなかできない。

アーティストだって、タレントだって新人であれば特にそれは変わらないと思う。読者モデルの子が多かったので、一般の人と変わりなく喋りがとても得意という子がいない、というのは分かるものの、とはいえ売っていかねばならない。

誌面を超えた先にもっと、となるとラジオやテレビになってくる。

これは私がただPRしにくいという問題だけじゃなくて、ここを解決しておく方が、営業としてもPRとしても本人達的にも楽になるはずだと思った。

という事で、私は地元のFMに相談して、結果月〜木の夜に帯で番組枠をもらった。実力不足なのであれば、既存の番組に売り込むより、番組自体を作って実力を積む方が早い。月〜木の帯番組をこちらでパケて納品しなくてはいけなかったけど、その大変さに最初は気づかずに喜んだ。

月〜木で担当モデルを当てていき、ディレクターさん・構成作家さんを手配して、基本3人で番組を作っていった。構成作家さんは元々お付き合いのあった方にお願いして、コーナーについてもみんなで意見を出し合った。過去のレコード会社でのレギュラー立会いの経験も活きた。ディレクターさんの都合がつかない時は、私自身がディレクターとしてキューを振って、ディレクターさんに編集してもらうデータを録った。

この辺りでようやく毎週これが続く大変さに気づいてくるが、0から物を作っていくのはとても楽しかったし、自分ができる事が増えるのも嬉しかった。

何度かのメンバー変更を経たが、結果私が辞めた後も番組は続き、放送期間3年弱の割と長寿番組になった。その間にモデル達の成長を見て、やっぱりラジオをやってもらって良かったな、と思う瞬間も多かった。


その他、インターネットラジオでも週1のレギュラー枠をもらい、こちらは私自身が台本を書き、ブース内で進行をしたりした。普通のプロモーションとして、FM局でのゲスト出演獲得なども動いたりしたが、今回は前出で書いた地元FMでの帯レギュラー番組に少しだけ基づく事件の話をしたいと思う。


これはまた営業編として書こうと思うので省略するが、地元のあるテレビ局からもらった商業施設での営業イベント内で、その地元FMの帯レギュラー番組の収録をする事になった。テレビ局で露出も取れ、予算ももらえて、ラジオのレギュラー公開収録もできて、何なら次の日に事務所のコンベンションもセッティングしたので、一石四鳥くらいだった。

とはいえ、私が全て企画進行と責任者で、交通手段の手配から台本の確認から衣装リース、キャスティングと、コンベンションでは地元メディアの呼び込み、などやる事満載で、当日までも当日もバタバタだった。


当日になって、早朝からリハも終え、本番も何とか大きな問題もなく進んではいたものの、終わりがけにラジオの収録をしている最中、突如その事件は起きた。

あるモデルがその当時発売した書籍のその地方での発売イベントについて、告知をした。それが、今イベントを行っている商業施設の強豪施設の名前だった。

最悪な事に私の隣にスポンサーである商業施設の人、代理店、テレビ局の人が並んでいた。一瞬、時が止まるのが分かった。営業をやっている人なら分かると思うが、スポンサーの前で別の強豪の名前を、しかもステージ上で告知するなんてありえない事だった。

普通の事務所ならそんな容易な事くらい察して、言ってしまいそうなタレントであれば先に釘を刺しておくのが当たり前だが、そういう事ができない事務所だったのに気づけず、バタバタして現場に任せて期待した私が悪い。


私はすぐに、全員の目の前で頭を下げた。スポンサーの商業施設の人は「どうなってんだよ」とキレて、どこかへ行ってしまった。その後も代理店・テレビ局の人に頭を下げ続けた。

マネージャーは一応謝りに来たが、あとの祭りだ。そして「大丈夫そうですか?」と、あまり大事に捉えてもいなかった。事態を察していない人間がいると余計に逆撫でして足手まといなので、本人に後で謝らせるように話して、楽屋に帰した。

終わった、結構大きいスポンサーだったのに。そう思いながら、私は引き続き頭を下げ続けた。

仲間である同僚は大事に捉えていない、イベントもまだ一応続いている、嗚呼、、、と少し泣きそうになっていると、助けてくれた人がいた。

それは、レコード会社時代からお世話になっていた代理店の人と、テレビ局の人だった。

「ハタノちゃん、大丈夫。大丈夫だから落ち着いて、一緒に解決しよう。俺が何とかする」と言ってくれた。その後、私にどういう風に対処していくかを話してくれた。私はその後その通りに動いた。

スポンサーは何とか納得してくれた、私の力ではなく99.9%代理店の人の力だった。スポンサーも代理店もテレビ局も全員次の日のコンベンションにも来てくれた。

私は頭を下げても下げても下げたりなかった。本当に感謝した。


イベント後、起きた事を社長に報告する為に電話した。全て話した後の社長の一言に驚愕した。

「でも、そんな大丈夫っしょ?」と。

何かこの一言で察してしまった。あー、そっか、変わらないわこの人達、と。味方は同僚ではなかった、と。会社や私を守ってくれたのは、代理店やテレビ局の人だった、と悲しくなってしまった。

こうやって大事な得意先とかメディアとかバカにするのか、と。こんな人達を応援してくれる人は減っていくだろうな、と。少々暴走気味な考えかもしれないが、そう思ってしまった。呆れて、電話でも言葉が出なくなってしまった。


そして、次の日コンベンションを迎え、東京から社長や他のスタッフやモデルも来て、私は受付を捌き、中で対応もした。大人なので、昨日の事を態度に持ち込む事はなく、とはいえ昨日のスポンサー・テレビ局・代理店の人には改めて謝って、対応をした。

だが、私の中で沸々とボディブローのように、昨日の電話の会話が響いていた。

打ち上げのご飯会を終えて、さっさと帰ろうとしたが、元々事務所と仲の良いメディアの人が1人いた事もあり、少人数の二次会に無理やり連れ出された。私の大人の対応エネルギーは限界を迎えていた。

お待たせしました、ここで私はまた社長の隣になって、少し飲まされました。

速攻大人の対応の防波堤が決壊し始めて、私はもう帰りたくなってしまった。なので、社長がいなくなった隙に、荷物を持って帰る事にした。荷物を持って立ち上がった瞬間、「何で帰るの?」と言われたが、会話もしたくなくて黙って出口に向かった。

そして、店を出ると、外の駐車場で社長が電話をしていた。捕まった。もう大人の対応防波堤は全決壊中。

ここから先、何が起こると思いますか。恐らく皆さんの期待を超えられるとは思います。


そう、私は泣きながら社長に怒りの言葉をぶつけ、社長の胸をぶん殴り続けた(爆笑)。電話を終えた社長に向かって、真っ暗な駐車場で、

「あんたの考えはおかしい!もうついていけない!」「あんたの会社の事なのに、あんたがそんなに軽く考えて、私がこんなに気遣って私がおかしいんか!」と叫んだ。

社長は荒ぶりまくる私は捕まえて落ち着かせようとしたが、その手を振りほどき、胸をぶん殴り続けた。「離せ!ふざけんな、もう知らない!」と。

端から見たら、ただの痴話喧嘩だ笑。これから先で書くCDデビューしたモデルの件についての憤りも相まってしまって、大爆発した。


結果、だいぶ長くその痴話喧嘩を続け、様子を見に来た同僚に止められ、二次会も解散になった。

二次会から出てきた人達が、心配そうに私の様子を伺うのも無視して、大泣きしながらホテルに帰った。


その前から、退職については相談していたものの、この件が大きな決定打になったのは言うまでもなく。


結果何が言いたかったかという話だが、私はnoteでコソコソ大変だった事を書いているだけではなくて、普通に懲戒処分になってもおかしくないような荒ぶり方も含めて、意見しまくっていたという事。


少々やりすぎなくらい意見していたので、この方法は全然おすすめしません。疲れるし、生きづらいし、大人じゃないし。

とはいえ、大泣きして喧嘩してまで悔しかったとは、なんて会社の事が好きだったんでしょう、と客観的に今は思う。

次回からは戻って、マネージャー編の続きをお楽しみください。



ハタノ













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