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寿司屋の大将、妊娠しました。

32歳

仕事は順調、今後仕事での目標もやりたい事も沢山ある。
でも、いつか子どもが出来るならほしいと、当時は彼氏だった旦那に相談すると、お互いに年齢的なことも考えたら早いほうがいいよね、となり
すぐ結婚し、驚異的なスピードで授かりました。

なんかすごいスピードで私の人生が変わりました。とは言っても、自分の中でいろんな価値観が変わり始めたタイミングではあったので、人生が大きく変わるとゆうことには戸惑いはなく、むしろ、ああやっぱりそんな時期だったか、とゆうような気持ちです。

5月、結婚が決まる前から私は立ち上げから店長を任されてきたお店をオーナーから譲り受けることが決まっていたので、会社立ち上げ、譲渡金を工面するために融資申し込みなどの書類作りをつわりと同時進行でしていました。
最初は年内いっぱいで退職、来年1月から譲渡となっていましたが、妊娠が発覚して10月から産休期間に入らなければいけないこともあり、少し早めて10月に譲渡となりました。繁忙期の11月12月に産休は痛いな、、、と思いつつ、代わりの人、次に料理長としてお店を任せる人を探す毎日。(継続中)

8月、会社の登記も終わり、諸々の手続き、融資申し込み、なんとか間に合って、だんだん大きくなっていくお腹と比例してどんどん動きづらく体力がなくなってくる中での日々の仕込みや営業、山盛りの課題。周りのスタッフや業者さん、オーナーの吉岡さんに各方面でものすごく頼って人の優しさをフルマックスで受け取りながら今、ここにいます。(不思議とストレスは皆無です)(毎日のケアをしてくれる旦那にも感謝しかない)

そんな中、たくさんの人に、いつから復帰するのか、これから旦那(なんかすごいシェフです)と一緒に店をするのか、など聞かれるので今の気持ちの整理も兼ねてnoteにまとめます。

大きく二つの夢について。

一つ目は”今後のおすしと和食はた中”の在り方について。

私がこの金沢に移住しお店を開業したのは3年前の2019年4月。当時29歳。
つい最近のことに思いますが、私はこの3年で料理、経営、コミュニケーション、あらゆる面での経験を通して、このお店にとても成長させてもらったなと思っています。飲食業をやっていくって大変だな、とゆうような思いです。
29歳の私には、店を任された経験もなく、何か評価に値する物は何も持っていない、ただ行動力だけがある状態でした。そんな何もない私を信頼し、賭けてくれたオーナーの吉岡さんのおかげで私はスタート地点に立つことができ、やりたいことをやらせてもらい周りの評価を少ないながらも何かしら得ることができました。経営の大変な部分を会社にしてもらい、楽しくやりがいのあるところだけをやらせてもらったような期間でしたが、おかげで仕事もプライベートもガッツリ充実させていただきました。
次は私が、もらったこのバトンを次につなげたい、挑戦したい人に次のステップになるような経験をしてもらいたい気持ちを込めて、店長としてお店を任せる人を探しています。
(その辺はお店のInstagramにも投稿しています。)
うちのお店を支えてくれていて、今は私の精神面も大きく支えてくれている二人のスタッフ、開業当時からいるマロ(ちっちゃい板前)と去年からうちのお店に入ってこれから社員となってくれるあやちゃん(ダンサー)には引き続きしっかりとはた中を面白い素敵なお店にしていってもらおうと思っています。
私がはた中の営業とどの程度関わるかは、もう一人の人が見つかり次第、その人と今いるスタッフと話し合いながら決めていこうと思います。


二つ目は大きな意味でどんな飲食店をしていくか。会社としてどんな動きになっていくか。

冒頭で触れた、”価値観が変わりはじめた”とゆうのが大きく関わってくるのですが、魚を発注すると翌日その魚が発注した分だけ届く、1ヶ月同じコースメニューにするために毎日同じ野菜が同じクオリティーで必要、などのことがすごく気持ち悪くて、何か、悪いことに加担しているような気持ちになってきたことが始まりでした。
小さな区画に高いマンションが建ち、その一世帯一世帯が毎日いろんなものを消費だけしている、都会的な構造が、どうして成り立っているのか。あのマンションに野菜を育ててる人や牧場で乳搾りしたり、山で猟師をしている人は一人でもいるんだろうか?でも、みんな毎日野菜も食べるし牛乳も飲むし、お肉もたくさん食べてる。ここは東京ではない地方の町の話。地方でこれなら全国各地そうなんだろう。そんで世界中でそうなんだろう。
もう毎年毎年漁獲量の減ってる魚でも、消費する人がいる限り海の資源が無限だとも思っているように捕り尽くす日本の漁業の在り方や、過剰な包装、形の揃った野菜、少人数で大量生産するための化学肥料による汚染。そんなことを頭で考えても、私の日常は同じく消費ばかりで、うちのお店が成り立つためには毎日、魚と野菜が必要で、作業を効率化しつつロスを少なくしようと思えば同じような大きさの同じ種類の魚や綺麗な形の野菜などが必要になってくる。
ナチュールの生産者がこんなに自然と向き合って作られてるんですよ、とお客様に説明して、おいしー!と消費されていく。真摯に向き合って作られたものは数が少ない、そんな少ないものを大量消費に慣れた私たちが、あれは美味しいから、と各飲食店で取り合いしている。大量消費しかしない私たちが味が美味しい美味しくないだの評価してるのもなんだか、Googleレビューで飲食のこと何もわかってない人がフーディーのようにレビュー書くのと同じようなことに思えてきました。

考えた結果、私が気持ちよく生活するためには、
何か一つでも生産しなければいけないな。とゆうことでした。
恵まれた土地でただ自然の恩恵にあやかるのではなく、例えば壊れかけた植生の山を再生していこうとしたり、無農薬の畑をしたり、自然に返しながら限られた環境の中で生きていく、みたいなことが今からの私たち”食”を仕事にしている人間に必要な意識になってくるのではないかなと思っています。資源は有限であるとゆう意識。

そんなこんなでやっぱり今のままのお店の在り方ではいけない、と、思い、実家のある天川村への移住を決めました。新しい形の飲食店の在り方や、生産を意識した仕事を新しく始める予定をしています。旦那もそこでオーベルジュを開業予定。
私は、村での雇用を拡大したり、無理のない仕入れで回るお店づくり、保存食を生かしながら料理したり、畑したりする基盤を整えるために奔走します。ゆくゆくはスタッフも金沢と天川村を行き来して、刺激しあいながら、天川村で作ったものを金沢のお店で使ったり、金沢のお店で手が回らなくて今まで廃棄してたものなどを天川村で加工したり、そんな循環もできたらいいなあ。(まだまだ遠い話ですがこんなこと言いながらスタッフと夢の話をするのは楽しい)
人を雇うとゆうことは家族が増えることと同じだと思ってるので、責任を持って指揮を取っていきたいし助け合っていいチームを作っていきたいです。
面白くて夢のある話ですが、大借金して資金繰り、夢と同じだけのリスクと不安も抱えながらですが、それいいね!と言ってもらえる、応援してもらえるようなかっこいい話だとも思ってますので頑張ります。モリモリ
とりあえず、天川村で、お昼営業のお店を開店することと、吉野葛を使ったお土産を作ることが直近の私の課題なのでそれまでは金沢のお店に実際に立つことは難しいと思っています。(子どもが生まれてすぐはどっちにしろお店に立てないので)

まあ夢だけ言ってると楽しそうですが、子ども生まれた後に子育てしながら働く働き方を考えた時に、金沢のお店だけでは私は子育てができないし、子育てして労働時間減らすと食べていけないことに気づいたってことです、必死のパッチです!バイーン!
詳しく話だすとキリがないのでとりあえずはここまで。

一緒に私と何かやりたいと思ってくれた人は
気軽に連絡いただけたらと思います。
もうすぐ妊娠7ヶ月。
お腹の中でウゴウゴと元気に動くこの子がスポンと無事に生まれてきたら、世は年末。年末に大量にくるであろう書類仕事のことを考えると白目むきそうですが(実際に白目になるのはその時)つわりや妊娠中もこんだけ頑張れてるんだから私なら、うちのチームなら、うちの家族なら大丈夫だろう、とゆう強い気持ちで挑もうと思います。オー!(てゆうか、頑張らないって選択肢がない、みんなオラに力をわけてくれー!)

つ・づ・く ♡






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