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コロナ禍で学んだこと!入ってはいけない業界!

2年前、コロナ禍前に。日中合作のゲームを作ろうという仕事も進めてました。宣伝PRにタレント選択しているあたりで、コロナ禍に突入しました。海外行き来できない状況、無期延期。

東京オリンピックブームで観光外国人来る事を予測してのウイチヤツト代理店になっていました。宝石店舗数点を代理店加盟してもらってウイチヤツト利用店舗を開拓してました。宝石であれば付加価値も高く、手数料が多く取れるので何もなければ、ウハウハだったはず。

地方は地方で、観光を兼ねたオリンピック観戦に、あちこちでお金を落とすと踏んでいて、わたしもまた。インフルエンサーが1番PRになると踏んでいました。何組かのインフルエンサーと仕組みづくりをして準備していたのです。

ほんと、何が起きるか?、誰にもわかりません。目論見は一瞬に変わらざる終えませんでした。

本当あれだけいた。銀座の街中から、外国人、中国人、そればかりか日本人の人さえも一時いなくなったこともあったのです。これが事実です。

イベントもなくなり、コンサートなども自粛。華やかなこともなくなり一時期は皆、自宅待機。通りや街から人の姿は消えてしまいました。

わたしもそれでも仕事をしなくてはならないので、入ってはいけない業界に入っていきました。それは、マスクや、ハンドジェルなどの販売でした。私は定款に項目もあり。また貿易実績もありました。だからまだましたと思いますが。急遽。業種替えをせざる終えなくなった経営者、や。ブローカーの方々は大変な思いとリスクを抱えていたはずです。

当然ですね。普通、販売や。輸出入は、信用できる長年付き合いのある会社。もしくは現地視察、工場視察、社長確認の上、契約。やりとりになるのですが、コロナ禍そんな掟はなんなその生きるがために皆。にわか勉強やっていたわけです。うまくいった人は賞賛です。大抵はうまくいかなかったはずです。

そんなコロナ禍、コロナウイルス対策装置をチームで開発して販売するに、現代に至っています。

これからが売れないものを売る。まさに自社製品で実行の最高の機会をいただき。毎日動いています。

コロナ禍は、多くの人生を変えたはず。でも。こんな中でも新しい素晴らしいものを生み出したり、新しい状況に前向きに変わったりしている人もいるのです。

人は、状況を変えるために生きているとも言えます。それこそが生きがいなのかもしれません。

わたしも入りたくなかった、にわか販売、貿易などの仕事は、恐ろしく辛い思いや、家族に怖い思いをさせたりもしました。朝は幸せ、夕方は地獄などもありました。

でもそんなところで学んだことも多かったのです。状況があることは学ぶことです。でも学んでそれを生かさなくては意味がないのです。、だから、今やるべきことは、パズル事を実践していくことだけです。

お笑い芸人ではないですが、それを面白くするにはどうする!こんな問いを実行し続けていくだけです。どうしたら目立つ。どうしたらインパクトある。どうしたら流行る。どうしたら手に取る。、こう毎日問うことです。

その結果が売れるものになるのですね。

皆さん、といましょう。どうしたら目立つようになる


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