人気の記事一覧

春風

3年前

際なる漢字は天へとつながる梯子を語源に持つという。道理で瀬戸際好きな方々には、人間離れした雰囲氣の者たちが多くおいでるわけだ。そのせいか、新しきことや珍しきことも等しく際で起こる。コロナ云々でなかなか際まで行けないという場合、まずは身近なところから際を探されてはいかがだろうか。

3年前

どこの街でも、朝の市場を散歩するようにしている。日常会話が朝食越しに響き、朝から生の喜びをそこはかとなく感じられる。現地の言語で朝食メニューを少しずつ覺えていくのも醍醐味であろう。でも、人にとっての至極の御馳走は、朝いちばんのアクビになる。目覺めたら、おおきくアクビされるとよい。

3年前

時空越えをされた方は等しくこうおっしゃる。今ここしかなしと。たしかに真理なものの、そんな安易に聖人面される一場というのは概して醜い。やはり真理を識っていてなお、未来に声をあげ、過去を愛す方が増えて欲しい。たとえ真理から外れてもまたそれもおもしろしと視る余裕こそダンディズムである。

3年前

人は情報をちゞめて経験する。わずか3%の情報を美化して、外界を視ているわけである。その脳からの脱獄は陽を意識的に視よと先人は説く。その点で過日の海からのぼる朝陽はたしかであった。無論、朝陽と夕暮れの身体的経験はまったく異なる。陽のさらに奥を視ること。これを解脱といった。陽を視よ。

3年前

梅雨のあいま、もみじの落ち葉が苔のうえに幾つかあるのにふと目がとまった。このような紅葉は秋のことと無意識におもっていたので、虚をつかれたかたちだ。まるで竹垣のなかから、秋だけがフライングしてやってきたようである。夏のなかに秋があり、生のなかに死がある。味わいつくして、歩まれたい。

3年前

ハンガリーの博物館で茶を点てた際、収蔵まえの茶碗を使わせていただいた。ご夫人が逝かれたあとに師が焼いた黒茶碗で、現地の客にも愛でられていた。それから三年後の暮れ、師も急逝し、茶碗だけがその博物館に今も収蔵されている。願わくば百年おきくらいに蔵からだし、一服点てて欲しいものである。

3年前

つばさ

3年前

3年前

サイ花

3年前

ものの良しあしを視る際は、間髪をいれなければ嘘である。間ができれば、思考という名の魔がさしてくる。純粋に生命を感じるか否かで即決されたほうがよろしい。字は概して音の死骸であるが、それでも生命を感じさせる字は存在する。逆に昨今、生命を感じさせぬ人が増えた。駄目なものは駄目なのだ。

3年前

人が五感という牢獄に閉じこめられて久しい。たとえ第六感をいれたとしても、その狭さにさして変わりはない。さらに母語が牢獄の鍵として、根強く人を脳内に閉じこめる。ある程度の娯楽が獄中生活でもよしとさせるものの、やはり人は広大無辺の宇宙の外にいるべき存在なのだろう。ASAP脱獄されよ。

3年前

皆が来てくれたと祖父は微笑し、祖母の墓に花を活けた。そよ風が吹き、ふと見あげれば光に照らされた紅葉があった。葉は一様に視えながらも、そこには濃淡があった。濃淡ごとに奏でられる葉擦れが青空に響く。やがて風もやみ、千手の紅葉も祖母に合掌してくれた。そんな初夏の一葉を今年も眺めている。

3年前

閉館でケアンズの図書館にはいりそびれた。館内にはまだ利用者が多く残っている。暮れなずむ群青色に輝く星がやけに目についた。かつて僧侶が原本を複製した写本室が図書館の原型だからだろうか。等しく閉館後の図書館には微かに神聖さが漂う。人類への贈り物にはやはり図書館ほど右にでるものはない。

3年前

秋の紅葉より、巫女の袴のほうが映える写真がある。前者には夏の青を背負いし赤を想い、後者には原始の赤を感じる。概して異色のあわせがその深みを際立たせるものの、それは感覚や思考といった五感の獄中での話に留まる。一切を棄て果てたさきにある景色は、血そのものの色しかないのではあるまいか。

3年前

ケチケメートのラダイ博物館で茶を点てた際、石フェチな職員がおり、石談議に花が咲いた。男ふたりで話にふけっていると、「大使がきているというのに、なぜあなたたちは石の傍らから離れないの」とおそらくこのようなハンガリー語で叱ってくる女性職員がきた。いわずもがな、大使より石が大切なのだ。

3年前

男にはご無沙汰がないといただけない。久方ぶりにたまたま出会い、そのときの仕事ぶりを垣間見せるあたりで止めておかないと、男としては視るに堪えられなくなる。不言と不在。せめてこの二点を綱渡りしなければ、男同士の美味い酒は期待できないであろう。男はつながらない故に、つながるのである。

3年前

私はこの軀をプラハのバターのようにしたい。原型は固体と液体のあいだでねっとりしながらも、かたまるときはかたまるし、とけるときはとける。要は、英語の不定冠詞aをつけてよいのかどうか迷う、曖昧な存在でありたいのだ。でも、しばらくはおとなしく丸くなっていよう。熱々なパンと出逢うまでは。

3年前

木の根に肥点を打つことで、漢字の「本」は誕生した。上が強調されたなら「末」になり、「本末」ははじまりと終わりをいう。おそらく宇宙のはじまりも本であった。詩集からさえずりが生まれ、絵本から風景がでてきたのである。人が本を書いたのではない。本が己を読ませるために、人を誕生させたのだ。

3年前

姓名學入門:名だけで人生がわかる(15971字)

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3年前