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姓名學入門:名だけで人生がわかる(15971字)

名から凡てがわかる。

といったら、あなたは苦笑するだろうか。

しかし、たしかな姓名學者は漢字圏の名前に限るけれども、名だけでその人の一生をかなりの確率で当ててしまう(アルファベット圏にも姓名學はあるが、確率は落ちる)。むしろ

名以外の情報はノイズでしかない

といった感じさえある。

さらに日本には、『古事記』に代表されるような言語創成神話が存在する。つまりはこの國は言葉そのものが神の國なのだ。その証拠に、ひら仮名をひら神名とした時代もある。

閑話休題。

古代中國でも、歴代皇帝の本名と顔は極力、秘すられてきた。

なぜなら、性格はもちろんのこと、人との相性や身体の強弱、運氣の盛衰名だけでほぼバレてしまうからになる。

今回の記事は、いかに命名によって人生をよき方向に変えていくかを軸にしてお話ししていきたい。

この記事の想定読者は以下の

高堂RADIOを聴いて、うっかり姓名學を極めたいとおもった方

・人事担当者(人事をする上で、姓名學は必須に近いツール)

・面接が面倒な方(笑)

そして、

命名や改名が必要な時期の方

になる。

履歴書は最初の一行だけでよい。

名とがだけで充分な情報なのだから。

ちなみに、この記事は伝統的姓名學と野尻泰煌姓名法をもとにして草しており、そこにこれまで約4400名の姓名を觀てきた私の統計を添えている(この数字は2020年時点のもので、ほぼ毎晩、企業の社長たちから部下や取引先の姓名を觀て欲しいとメールで依頼がくるので、最近はお断りすることも少なくない)。

名は精神を代表した文章であり、改名は精靈のオーケストラを変えることに他ならない。

ようこそ名から凡てを創成する世界へ。

本記事は、ご覧の通りのコンテンツになっている。

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姓名學の極めは利き目と同様、本来は非公開を背負うべき叡智になる。

人の運命が觀える方は、やはり選ばれるべきなのだ。

そこでこの記事途中からは、3500円の課金をさせていただいている。非公開を背負える方のみ、4章以降を読みすすめて欲しいと祈っている。

もちろん第3章まででも、姓名判断の占いレベルからは脱せられるように草してあるので、お付き合いいただければ幸甚だ。

それでは、第1章からはじめよう。



1 名の意味


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1993年、惡魔くん命名騒動なるものがあった。

子に「悪魔」と命名をし、市役所に届け出をだしたものの、これが受理されなかったのである。

しかし、その後、両親が家庭裁判所に異議申し立てをし、これに勝訴した。

結局は「亜駆」という名に落ち着いたそうだ。

兎にも角にも、私たちは、

直觀的に「悪魔」なる名がよくない

とわかる。

それはなぜだろうか。

例えば、日本語圏外の遠い島國に「アクマ」なる音の名を持つ方がいても、これはその地域の文化として大丈夫なのだろうとおもってしまう。

そう、名を觀る場合、

漢字が醸しだす香り

が最も大事になるのだ。漢字の靈性あるいは精靈と表現してもよい。

したがって、人生における改名は、精靈のオーケストラが変わるということに他ならない。

つまりは、

画數よりも漢字の意味が肝要

なのだ。姓名判断がまず占いの域をでないのは、この点にある。

「悪魔」なる名を觀て、何も考えずに「悪」の画數を數えても仕方がないでせう?(笑)

画數以前に惡いものは惡いのである。

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このようなわけで、改めて貴方の名を眺めて欲しい。

見方だけれども、

1.名の意味
2.名の陰陽
3.名の響き

の順で名は觀ること。

つまりは、画数よりも名が表す意味のほうが漢字圏の場合ははるかに肝要なのだ。

それ故に、高堂RADIOでも申しあげたが、まずは名の意味から觀ていきたい。

例えば、

山田耕作

はやはり農業向きな感じを受ける。文字通り、山の田んぼを耕作するからだ。ところが、同じ耕作さんでも、

島耕作

とすると、今度は農業というよりはどこか新たな島を開拓するために生まれてきた男性の印象に傾いていく。

このパイオニア的な香りが、漫画の主人公とマッチしたことにより、大ヒットしたと云っても過言ではない。

兎にも角にも、漢字圏の名に関しては、

漢字に宿る靈性

に注目されたい。

なぜなら、あなたの名に宿る靈があなたの人生を導いているからだ。

例えば、ご機会があれば、白川静の『#常用字解』あたりに訊いてみるとよい。

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白川静の代表格となった「口(くち)」という字は、甲骨文字や金文には人の口として用いられた例は視られず、

等しく神への祈りの文である祝詞を入れる器の形を表したもので、サイと呼ばれている。

これだけでも、名前の見方が深まってくるのではないだろうか。

例えば「古」は上の靈箱に蓋をし、中の祈りが永く続くようにした風景が語源になる。

「詩」や「誌」「詞」「記」「誠」「識」等に添えられている言偏もまた、ただの言葉ではなく、神への誓いに近き祝詞なのもわかっていただけるのではないだろうか。

実際にそのような言靈の重みが近代にないのは、活字がコピペにより普及したからに過ぎない。

凡ての言葉は積み重ね過ぎれば、氣枯れを起こす。

そして、この過度な積み重ねを文字通り「罪」という。

だから、名を残そうと名をインターネットで発し過ぎたなら、残るのは惡名のほうになるであろう。

名は秘するべし。

智者不言。

本来は人類が最初に學ぶべき文法になる。

ある程度の賢人なら誰もが識っている最低限の姿勢なのだ。

兎にも角にも、名の意義は文字通り人の運命を支配するのである。

動植物の名をつければ、人からの尊敬はされにくく、指導者にはなれないし、季節や氣象の名は運命が不安定になる。

これは干支にも云えることだ。

それでは、姓名學へと案内しようか。

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