子どもといて、ただ受け取る。 自分の不平不満を言わず、彼らの思いの傍らに居る。 もう大きいので、基本彼らの思うように動く日々を支える。 楽じゃないよ。娘を待って遅刻するし、息子の帰りを待てば寝不足だ。 それでも、これはとても若い頃の私が、親にされたかったことなのだ。
新しい日常に、少しだけ慣れてきたぞ。 サマリできることはして、順番を計算して。 その上で、いつも 「胸に愛しさを 手には優しさを」 それはまさに日常にこそ必要なのだ。 「よかれ」は往々にして宜しくない状態を招く。 大上段から「言わない」「しない」 今ここの自らの言動を、自覚する。
怒涛の一週間も後2日。 いろいろ不慣れで、バタバタで、眠い… 慣れてこなれていくと片付く問題も多いんだろうけど、どうしたって一足飛びにそうはならない。 ひとつひとつだ。私もそうだし、息子もそうだし、娘もそうだ。 最適解を探りつつ進もう。
自分が「揺れやすい」のだと納得。(ようやくだわ)揺れている状態が心地よくないと気付き、なぜ揺れ始めたかをざっと確認して、自分が揺れることを咎めない。でも自分に寄り添って、おさめていく。整えていく。 これ、揺れていない時の心地よさが満喫出来ていないと、やれないことなんだね。
息子に「構わない」のが、意外にストレスになる。 そのままじゃ風邪ひくわー。みたいなことが多いのだ。いろいろ抜けているのだ。寒ければ自分で手を打って温かくしなさいよ…寒い寒い言ってないで。 そちらを見ないように、趣味に走るか…
「手を離せ、心を離すな」 という段階なんだろうなあ。息子との関係。 じゃあようやく手を離せた打ち上げをしよう!と思い立ち、ドトールでケーキとコーヒー。モンブラン美味しい! 写真はドトールさんのwebメニューからです。 いつもありがとうございます。