今現在の私の勤務形態はフリーランスに近い。 基本的に1人で仕事をしている。お客さんと接するのは月一回あればいいほうだ。 人間関係のストレスがないから羨ましがられることもあるかもしれない。そういう働き方がしたくてしてる人もいると思う。 しかし、わたしは向いていないように思う。 1人が孤独で辛くなってしまうのだ。気軽に話せる人がいない環境が苦手ということに後になって気が付いた。 私の夢は一般事務の社員だった。同僚が同じフロアにいて、一緒にお昼を食べたり上司の愚痴を言い合う。
夢も希望もない人生は、 どのように時間を過ごせばいいのだろうか。 わたしはスマホ依存症である。 なぜなら他にやることがないからだ。 人とのかかわりもなく、やりたいこともない。 スマホさえあれば、私にも与えられている24時間をこなすことができるのだ。 時間を持て余してあるにもかかわらず、夜も寝ない。 寝落ちするなんてことはほぼないため、寝る前の静寂と向き合わなければならないのが嫌でスマホを見て朝を迎える。 わたしも、同僚と和気藹々と過ごしてみたかった。 それと、誰かと愛を
既読無視する奴らまじでむかつく 人を馬鹿にするのも大概にしろくそが いっそ全部ゼロにしちゃいたい 大事にしてくれない人たちなんていらなくね どの人間関係においても自分をいちばんにしてくれる人なんて自分にはいないので無くそうと思えばほんとにゼロになっちゃうね
将来の夢と言っていいのか、文字を書くことを仕事にしてみたいと思い始めた。 しかし、それ一本で食べていこうとは思っていない。 わたしは子どもの頃から夢というのものを持ったことがほとんどないため、大人になった今、尚更自分の才能で食っていくなどと思い込めるはずもない。 物を書くと言ってもジャンルはさまざまあるが、街歩き系のコラムを書いてみたい。 そう思ったのは、何ヶ月か前にそのような内容のアルバイトの求人を見かけたからだ。 わたしの将来の夢は、アルバイト求人にあったのだ。 わた
人に会うという行動はエネルギーが必要ですよね。 人にできるだけ会わないように生きてきました。 でも、それは本来の自分の性格が起こした反応ではないような気もするのです。 大学に入って、新しい環境に馴染めずに、寂しくてアパートの部屋で三角座りして夜に一人で泣いたこともありました。 高校時代は、家庭環境も友達といれば乗り越えられると思えるほどに、いい友達といわゆる青春を楽しみました。その反動で、大学は本当に辛かった。 今あるわたしの中の虚しさは、あの頃から始まった気がします。
朝起きて、ふと、自分には本音を言える相手がいないことに気づいた。 うちの親なんてものは、育ててくれた恩義はあるが、しつけという名の支配だったから、本音を言おうものならバカでかい反撃を食らうというのを理解できるほどわたしは大人になってしまった。 この間も、私が自分で選んで買ってきた浴衣が気に入らずに数日無視をされ、その後怒られたという出来事があったことを親と振り返っていたのだが、あれは怒って間違いではなかったと言っていた。 親はこのことに限らず、全てのことに対して自分が正
今日はとんでもなく完璧にこなせた日だった。 まず、8時間睡眠が取れたことから始まる。 睡眠時間に注視すると、わたしにとってはプレッシャーとなるのだが今日はよく寝ることができた。 睡眠が取れないことで仕事を休んでしまったことに自己嫌悪となり、さらに眠れなくなっていた。 昨日は3時間睡眠だったが、今日眠るために運動をして無事作戦は成功した。 眠れたことによって仕事にも行くことができた。 今日睡眠という第一関門を超えて仕事に行っても、なんてことなかった。休み過ぎてしまって嫌われ
何故スマホをいじってしまうのか。それは脳が暇になるのを恐れる感覚があるから。 なにも情報が入ってこないフリーの状態だと現実に向き合わなければならない。 恐怖にさらされている現実は幸いにもなく、あるのは自己嫌悪や不安感でしかないのだが、自分の考え次第で些細なそれが、恐れ慄くような心配事になってしまうことがこわいのだ。 ともすれば、自分の考えを変えれば事足りる。 しかし、思考回路を変えるのは難しいので、どうでもいいやって、思い込む。 白でも黒でもない、興味のないふりをする。考え
他人のために仕事をするから苦しい。仕事というのはもちろん誰かのために奉仕して、報酬をもらうことだが、上司や職場の人間のために仕事をしているわけではない。 自分には目的があって、それを果たすために今の仕事を選んだ。ここをゴールとして選んだわけではない。 ジャンプアップのために選んだのだ。 しかし、ジャンプの前の沈み具合がどんどん深くなってしまった。これは職場の人間関係にも起因しているが、一番の原因は自分らしくいられないことだと思う。 自分の実力以上のことをしようとしていたって
今の仕事のなにが嫌なのかが明確化できていないので、書いて整理する。 特段これと言った理由はないのに行きたくない。それはどんな仕事でも自分はそうなのかもしれない。 好きなことを仕事にしたいと思って叶えられるほど熱量のある好きなものはない。 仕事に問題があるというより、自分の思考回路に問題があるのだろう。 仕事に行きたくない一番の原因は、自分らしくいられないことだと思う。 気を遣って、出来ないやつと思われないように必死なのだ。この姿勢が原因だ。正直、この仕事で上を目指す気など
ここ数年ずっと苦しい。自分の現状と理想とのギャップに苦しめられている。 わたしは地方に住んでいることに対して巨大なコンプレックスを抱いている。 東京に行くと、遊びに行っているにもかかわらず、高層ビルで働いている人たちが同僚とランチに行く様を見ると胸が嫉妬心で張り裂けそうになってしまう。 大きな会社で仲間と協力して仕事をして、その中の一員となっている人が羨ましくて仕方がない。高層ビルで働くということ自体にステータスがあると感じている。内実は知らない。とにかくパッと見てかっこい
やはり仕事が遅かったらしい。一度遠回しに指摘されたとき大ダメージを喰らったので、今回はさほどダメージは負わなかった。それにペースを掴み早くなってきていることを実感しているから。今日言われたのではなく、2週間くらい前の日報に書いてあったことに今日気がついたので、そのときよりペースは上がったのではないかというのもある。実際今日まで反映されていなかったと思う。よくよく考えてしまうと、2週間で本当にペースが上がっているのか不安になってきた。わたしや同じタイプの人間は、サボっていて遅い
今日はなぜか時間が長く感じる。仕事から帰ってきて、お風呂に入って掃除して洗濯して、ご飯を食べながらNetflixで「不適切にもほどがある」を観て、YouTubeを観た。 時間があっという間な時と、ゆっくり流れる時の違いはなぜ起きるのだろう。 楽しい時は時間が過ぎるのが速く感じるというけど、今日はつまらなかったのかと言われるとそういうわけでもない。 今思いついたが、ここ最近忙しくしていたため気持ちが焦っている部分が大いにあった。少し心が落ち着いてきたから、時間の流れもゆっくりに
最近遊びの予定を詰めすぎている。何も予定の無い日が週に一日必要なタチだ。忙しさを理由に遊びを断ったあと、その人と遊ぶ前に別の友達と予定を入れてしまったとき、非常に申し訳ない気持ちになる。いや、申し訳ないは格好付けた。正直に言うと、見捨てられるのではないかと不安になるのだ。 遊ぶ順序なんて考えすぎなのだろうか。しかし、わたしが逆の立場だったら、わたしと遊びたくなかったのかと落ち込むと思う。ただ、今回の場合においては、久しぶりにその友達と会ってきたが、その人はその人で忙しくしてお
注意されるとショックで一日中ほぼ頭から離れない。 自己肯定感が低いため、指摘と自己否定の組み分けが曖昧で、指摘された瞬間自己否定の言葉として受け取ってしまう。 しかも今回は自分が心配していた部分に関して言及されたため、やっぱりそうなんだとすごく落ち込んでしまった。落ち込んだと同時に、それを言われてすぐ改善できることならもうしているが、そうはならない事象のため、どうしてただ自信を損なうことを言ってくるのだと批判する気持ちにもなった。 自分の認識している劣等感をくすぐられると、
職場での出来事を旧知の友達に話した。 社員の一人称が下の名前なこと。 歩きながら眼鏡をスチャッと外したこと。 すごいカタカナを使うこと。 酒ヤクザという語彙を使うこと。 〇〇くんが〜、と彼氏の話をしだすこと。 必要な質問をすると、内容によって不機嫌になること。 目の前にいるのに飲み会に誘われなかったこと。 友達はめちゃくちゃ笑っていた。それはその環境がおかしいと言った。職場ではわたしが浮いているので、わたしがおかしいのかとわたし自身少し思ってしまっていたが、やはりおかしい