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【歴史小説】流れぬ彗星(4)「鼓動、波音」

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明応8年(1499)1月30日は畠山尚順が畠山義豊を河内十七箇所で破り自害させた日。尚順の父政長と義豊の父義就の家督争いは応仁の乱の原因の一つとも。義就の死後に将軍義材による義豊討伐の際に起きた明応の政変で政長が自害に追い込まれ尚順は紀州へ逃亡。反撃の末に義豊を死に追いやった。

■【より道‐111】戦乱の世に至るまでの日本史_時代を超えた因果応報_細川政元という男

■【より道‐109】戦乱の世に至るまでの日本史_時代を超えた因果応報_ 日野富子という女

明応2年(1493)4月22日は細川政元が将軍足利義材(義稙)に対して挙兵して明応の政変がはじまった日。河内征伐中の義材を廃して11代将軍に義澄を擁立し傀儡化して実権を握った。この後、政元は暗殺され細川家の跡継ぎ争いと将軍職争いが絡み幕府の権威が地に落ち争いが全国へ広がっていく。

■【より道‐108 】戦乱の世に至るまでの日本史_時代を超えた因果応報_時系列

雑記:戦国時代の室町幕府に関する史跡

4年前

足利義稙がおもしろい