なにかを美しい、おもしろい、善いと感じるとき、先に理由があるわけではない。先にその感覚がある。 そしてそれを表明し、その上でなぜ美しい、おもしろい、善いと感じたのかを言語化し探って行く。 理由がなくては、美しい、おもしろい、善いとは言えないなんてつまらないことはやめよう。